日本では21社が参加し、空飛ぶ車の開発に取り組んでいる。このプロジェクトは大都市の交通手段の解決策になるだけでなく、離島や自然災害時の被災地を繋ぐ重要な役割を果たすと考えられている。 ウーバー、エアーバス、ボーイングなどの海外企業の他、日系企業では航空会社ANA、JAL、ヤマト運輸、そしてカーティベーター(Cartivator)と呼ばれる空飛ぶ車の開発を手掛けるトヨタ中心のプロジェクトも加わり、2020年代の実現を目指して進められている。 外交会議 河野太郎外務大臣はメキシコ次期外務大臣マルセロ・エブラルド氏を外務省賓客として迎えた。 河野外務大臣はメキシコは日本と共通の価値観を有する重要なパートナーであり、エブラルド氏の就任後は更に関係強化に努めることを確認した。 また、エブラルド氏は両国の協力関係を新たに構築する上で良いスタートを切ることができた、と述べた。 自動車業界に新たな機会 グアナファト自動車産業プログラムに所属する企業が、サン・ルイス・ポトシで開催されたイベント「Innomat」に参加し、サプライヤー企業は新たに13社とコンタクトを取ることができた。 今年1月〜7月の期間、グアナファトの自動車部品メーカー148社(従業員数4万480人)は34億ドル以上の輸出を記録している。 「AIロボ」英語学習の導入広がる 文部科学省は小中学校の英語の授業に人工知能(AI)を搭載したロボットを活用する方針を発表した。2018年4月には国内500校でAIロボットが試験的に設置され、2020年には本格導入される。 現在ミュージオ(Musio)というAIロボットが導入されており、会話練習や自由な対話など話す能力の向上が目的とされている。
日本とグアナファト:オポチュニティ溢れる将来
グアナファト在住の日本人コミュニティの皆さんからは日々学びがありますが、まずご挨拶申し上げます。 ココ・メキシコには日本とグアナファトの絆を深める機会を提供していただき、大変感謝しています。現在構築しているこの友好関係は、将来的に更なる経済・文化交流へと繋がり、多くのオポチュニティそして希望をもたらすでしょう。 グアナアファトにおける日本の重要性は、1614年1月に武将支倉常長率いる慶長遣欧使節団がアカプルコ港に到着して以来、400年以上前から継続している友好関係の極みです。 今日のメキシコと日本は、人権尊重や労働・家族に対する姿勢、そして寛容さや団結力など共通の価値観に基づいて強化されてきた戦略的パートナーです。 グアナファト州政府にとってそれぞれのコミュニティを統合していくことはとても重要で、互いに学んでいかなければなりません。経済成長面では、引き続き日系企業進出を補助していきますし、若い学生や教授の交換留学も強化していきます。 グアナファトで日本人の皆さんが快適に暮らせるように、頻繁にコミュニケーションを図りながら、改善点や上手く機能している点を把握していきたいと思います。 グアナファト社会に日本人コミュニティが溶け込めるように手助けをし、同時に日本の素晴らしい文化を我々メキシコ人に普及していくのが目的です。 日本とグアナファトの友好関係は時間の経過とともに深まっていくと確信していますし、互いの対話の中で新たなプロジェクト、アイデアやオポチュニティが生まれてくるでしょう。 いつでもサポートしますので、遠慮なく皆さんの見解、要望、希望する点などを共有してください。 日本人の皆さんを友人として、そしてグアナファト州をより競争力があり、革新的で、機会均等な場所へと築いていくためのパートナーとして共存していくことを誇りに思います。 ありがとう!
メキシコで暮らすための15のヒント
200万平方メートルの領土に人口1億2千万人を抱えるメキシコでは、地方により食文化、音楽、習慣、時には言語に至るまで違いが生じる。今回はメキシコに住む外国人のための手引きを紹介。 食べ物 メキシコ料理は世界的に人気があるが、多量の香辛料や油分を使用しているため誰にでも適しているわけではない。 メキシコ人が「辛くない」と言った場合でも鵜呑みせずに、自分で少量試してみる方が良い。 油断大敵 メキシコでは他国同様、治安の良くない地域もあるので、夜間は薄暗く人通りの少ない道を避けるようにする。また運転中に赤信号で停止する場合には、「ひったくり」を回避するため窓を閉めるように心がける。 要インターネット接続 自国語が通じない外国では、人に助けを求めるのも容易ではない。そこで、オンライン辞書やGPSが手元にあれば位置情報が入手できる。メキシコでのインターネットアクセスは手軽で早く、携帯プランを契約するか、公衆無線LANアクセスが提供されている場所もある(ビル、オフィス、カフェ、レストラン)。 いつかは知ることになる「マリアッチ」 メキシコは陽気な国として知られているが、それは音楽に頼る部分も大きい。レストランで、通りで、誕生日パーティーで、または卒業式、結婚式、どこかでマリアッチを目にする機会があるだろう。 現金を所持する 他の国と違って、メキシコではまだカードで買い物ができない場所もある。例えば、レストラン、売店、博物館、駐車場、高速料金などを支払う際には現金を持っておくことをお勧めする。 有料道路 道路には有料と無料の2種類があり、どちらかを選択できる。メキシコ人がよく「有料道路の方が良い」というのは、通常有料道路の方が道路状況も良く安全だからである。 水道水を飲まない ヨーロッパやアメリカでは水道水が飲用されているが、メキシコではボトル又はガラフォン(20ℓ入り水タンク)の飲料水を飲むようにする。 市場 メキシコでは昔ながらの市場が今でも多く見られ、野菜、果物、肉などが売られている。スーパーマーケットに比べて市場の商品はより新鮮で安価である。 露店販売 繁華街や信号など、通りのあらゆる場所で露店販売が行われている。食べ物、お菓子、衣料品、おもちゃ、電気製品まで商品も様々である。露店で物を買う際には小銭を携帯しておくようにする。 身分証明書 運転免許証は身分証明書としてほぼどこででも利用できるが、公式な身分証明手続きの際にはパスポートを所持しておく方が良い。 祝祭日 メキシコの祝祭日は年間20日である。独立記念日、革命記念日、労働者の日など公式な祝日から、死者の日、母の日、父の日、子供の日、三賢者の日など公式でない祝日もある。祝祭日には通常仕事も学校も休みになり、家族で時間を過ごす。 魅惑の町 メキシコには文化や歴史に富んだ「魅惑の町」が100以上存在し、文化遺産とみなされている。 メキシコ国内あらゆる場所に魅惑の町は点在し、コロニアルで伝統的な建造物が保存されている。地域によっては、いまだ原住民の言語が話されている町もある。昔ながらのメキシコを体験するには恰好の機会である。 サッカー熱 メキシコではサッカーというスポーツはほぼ宗教に等しい。大きな試合や特にワ−ルドカップでメキシコ代表が対戦する日には、学校や職場での活動を一時中断してテレビ観戦することもある。 日曜は休息日 日曜日は基本的に働かないため、開いているお店を探すのも困難である。特に銀行などのサービスは平日に利用しておかなければならず、ガスタンクの注文も週末を挟んで待つことのないよう平日にやっておく。 メキシコの気候 比較的過ごしやすい気候だが1日の温度差も激しいため、上着を持参しておくと便利。また、日差しも強いので常に日焼け止めを携帯しておく方が良い。
メキシコ革命に参加した日本人−野中金吾氏
メキシコ史上でも名高い戦いの舞台で、日本人青年が 看護師として負傷した兵士たちの治療に奮闘した 九州で生まれた野中金吾氏は、1906年に国家再生中のメキシコに渡りました。 独立革命後(1810年−1821年)のメキシコではスペイン征服の後に主権国家が宣言され、メキシコ・日本政府の間でメキシコの人手不足を補うために農業に従事する日本人のメキシコ移住を奨励する条約が締結されました。 この最初の移民団として野中氏は叔父や親類と共に海を渡り、オアハカ州のサリナ・クルス・コーヒー農園で働き始めましたが、予定通りにことは進みませんでした。当時日本からの移住者は8000人を超えていたにも関わらず適切に取り仕切られていなかったため、農園での仕事だけでは十分ではありませんでした。 そこで野中氏が属していた移民団は鉄道線路を辿ってアメリカへ北上することに決めました。 まず国境近くにあるチワワ州シウダ・フアレスに到着し、そこで数か月働いてアメリカ行きの必要資金を蓄える予定でしたが、全くスペイン語が話せなかったため職を探すのも困難でした。 「何か食料が必要でしたが、スペイン語が話せないのでどうすればいいのでしょうか?公園のベンチで寝泊まりしていましたが、その正面には教会があり、ある女性が毎日そこを通って父を見ていたそうです。」野中氏の息子、野中ヘナロ氏は地元バハ・カリフォルニアのテレビ局のインタービューでこのように述べていました。 その女性はシウダ・フアレス市民・軍人病院の看護婦長であり、野中氏に初めは清掃員としての職をあてがいましたが、後にメキシコ革命で負傷した兵士を看護する職員の人手不足から野中氏は看護師として採用され、その理解力の高さからのちに看護助手まで昇進し、手術補助などを行いました。 「父は常に自己の向上を目指していましたが、指導は受けずに人の動作を見よう見真似で学んでいました。」こう話すヘナロ氏は父である金吾氏が綴っていた日記を見つけ、それを基に“Kingo Nonaka: andanzas revolucionarias” (2014)という本を出版しました。 メキシコ革命が始まり各地で激戦が繰り広げられていた頃には野中氏はすでに看護師としての手腕を発揮していました。同胞に会いにシウダ・フアレスからほど近いカサス・グランデスという地を訪れていた時、この地でメキシコの歴史的な闘争に遭遇することになります。 そこでメキシコの有名なフランシスコ・マデロ将軍が敵の手榴弾で右手を負傷した際に野中氏がその処置に当たります。 日記の中で野中氏は、50人もの兵士が命を落としたラス・カサスでの闘争中にフランシスコ・マデロ将軍と交わした短い会話をこのように書き残しています。 「何故メキシコ人同士で戦っているのですか?」と金吾氏が尋ねました。 「独裁者ポルフィリオ・ディアスの責任だ。彼のせいでメキシコ人は保証も正義も平等もなく、富裕な外国人の奴隷として働かされている。メキシコ人のためになら我々はどんなことでも犠牲にするが、もうディアス大統領の言いなりにはならない。その為に我々はポルフィリオ・ディアスの軍隊と戦う必要があるのだ。分かりますか、野中先生?」 「はい、将軍」 この時から野中氏はマデロ軍に加わり、14の戦闘で看護師部長として負傷した多くの兵士の治療にあたりました:マデロ軍で2戦、護憲軍北部師団の司令官となったパンチョ・ビジャ将軍のもとで12戦。 このように一人の日本人がメキシコ革命の歴史の一ページを刻んだのでした。 1969年には野中氏の功績が讃えられ、メキシコ政府からメキシコ革命における功労賞が授与されました。 メキシコ革命 (1910年11月10日) 無期限の大統領再選を可能とするなどの独裁政治を行っていたポルフィリオ・ディアス大統領に対して、実業家フランシスコ・マデロ氏が筆頭となり武装蜂起を行った。
駅伝競走で共に奮闘
日本の伝統的なリレー「駅伝競走」が今年もマツダ工場で開催されました。 10月14日(日)に行われたこの大会には、2000人以上のランナーが参加し、500以上の駅伝チームが構成されました。イベントは終始アットホームな雰囲気に包まれていました。 各チーム5人で形成され、第1走者は区間4km、第2走者は区間2.2km、第3走者は区間3.6km、第4走者は区間1.5km、第5走者は区間5km、をそれぞれ走りました。 伯耆田修総領事や、ベアトリス・エルナンデス・サラマンカ市長もマツダ・サラマンカ工場で行われたこのイベントに参加し、マツダ・メキシコ水谷智春社長は大会主催者として入賞者に賞品を授与しました。 マツダ駅伝大会はすでにグアナファトの伝統となっており、マツダの社員、その家族やサプライヤー、そして近隣からの招待客が集う、和やかなひと時となりました。
死者の日に捧げる即興詩「カラベリータス」
メキシコの「死者の日」は家族や友人たちが集い、故人への思いを馳せる伝統行事です。しかしユーモアあふれるメキシコ人達は、「死」というコンセプトさえも冗談の一つに変えてしまいます。 11月になると、まだ健在な有名人、親類、又は友人について、その人物の特徴や癖をうまく捉えながら、彼らがまるで死後の世界にいるようにユーモアを交えて面白おかしく短い詩にします このような即興詩は「カラベリータス」と呼ばれています。 ココ・メキシコは日頃のご尽力に感謝の意を表し、伯耆田修総領事と水谷智春マツダ・メキシコ社長にカラベリータスを綴りました。 このメキシコの伝統行事を是非一緒にお楽しみください。 総領事:修 居住地:レオン 州:グアナファト 出身地:日本 伯耆田さんは死に微笑む 骨を見せつけながら 白いガイコツ:待て! マツダに行くんじゃない! サラマンカには入っちゃいけない 智春さんが待っている 車を作って帳簿をつけながら 正真正銘のメーカーだ ガイコツさんよくお聞き 座ってこの二人を待つ方がいい 日本では8月に アンタと「お盆」に行くだろう 死者の日と同じような 日が日本にもあるんだ 死者と生者が共に過ごす ここの墓場と同じように だから急がずに 水谷さんと伯耆田さんを待とう すぐに死んでいく死者もいれば 噂だけの死者もいる 可愛いガイコツさんもうお行き 自分の墓に帰りなさい 気長に待って そのうち日本へお行き