日本で初めて聖人となったメキシコ人修道士の歴史

長崎の難破船が、聖フェリペ・デ・ヘスス教会へと続く道のりの原点となる。 日本で初めてメキシコ人として聖人となった聖フェリペ・デ・ヘススは、群衆の前で処刑され、日本で殉教しました。 豊臣秀吉の命により、京都から長崎の西坂の丘に至るまで各地で見せしめにされ、フランシスコ会司祭6名、イエズス会3名、そして日本人信徒17名が磔の刑に処されました。

セルビンと日本の子どもたち

グアナフアト日本人学校では、60人以上の生徒が、陶芸家セルビンの学校で講習を受け、その技術を学びました。

日本人に人気の陶芸家セルビン

セルヴィン氏が生み出す陶芸の技術は、生産量の多くを輸出する日本でも認められ、評価されています。 グアナフアト州南部のタランダクアオ村にある陶芸工房は、バヒオに住む日本人にとって、まさに観光名所である。 週末になると、日本人はレオン-サラマンカ-セラヤ-アパセオ・エル・アルト-ジェレクアロの高速道路を3時間かけて、ミチョアカン州のほぼ州境にあるタランダクアオに行く。 工房があるのは、人口500人余りの小さな田舎町「La Purísima」。全員、陶芸家。グアナフアトの職人、ハビエル・セルビンの技術と品質に惹かれて、日本人がやってくるのです。 “日本の皆様をお迎えできることを大変嬉しく思います。彼らは私たちの仕事をとても評価してくれて、私たちは日本でとても有名だと言ってくれています。  「日本には千年以上の陶磁器の伝統がありますから」。

日本人とスビレ・レオン校との関係を強化

学生の利益のための教育交流は必須である。

Mazda3とMazdaCX30にマイルドハイブリッドシステムを採用

マツダのサラマンカ工場では、今年Mazda3とMazdaCX30モデルにマイルドハイブリッド技術を採用。つまり、ガソリンと電気の二つのエンジンを搭載したセミハイブリッド車となっている。

アマゾンがレオンで始動

アマゾンの登場により、グアナフアトの対世界貿易が活発化し、Eコマースの売上が増加する見込み アマゾンのレオンの新しい配送センターは、すでに操業を開始しています。近隣の市民の皆様には、昼12時までの注文で当日中に商品をお届けすることができます。 グアナフアトから世界へ、より多くの製品を。 州当局とアマゾンが企業のデジタル化を促進する協定を締結。

世界トップの自動車セールスウーマンはメキシコ人

2022年フォーブス誌の「メキシコで最もパワフルな女性100人」に選ばれ、現在も日産自動車株式会社のグローバル・セールス・ディレクターとして活躍中。 メキシコの自動車業界でも最も影響力のある一人と言われるマイラ・ゴンザレスさんは、大学在学中に自動車の販売を始めました。最初の1台目はオパールブルーのキャバリアだったと、彼女はインタビューで振り返っています。車を買いたいと思っていたマイラさんは、セールスウーマンとして販売店でアルバイトをしたことが出発点となりました。現在、彼女は日産自動車のグローバル・セールス・ディレクターを務めており、日本の自動車メーカーにおいては画期的な出来事です。2019年から東京でこの役職に就く前には、80年以上にわたる世界的な日産の歴史の中でも類がない、日産メキシコを率いる初の女性社長となったのです。 6月、フォーブス誌が「2022年メキシコで最もパワフルな女性100人」を発表しましたが、そこにマイラさんも掲載されています。しかし彼女はその快挙を謙虚に受け入れ、急成長するキャリアよりもプライベートな生活の中での役割を優先させています。Twitterアカウントでは、自身のことを「母、妻、娘、それに日産自動車のグローバル・セールス・ディレクターとしても知られています」と紹介しているように、役職は彼女の人生における「プラスアルファ」にすぎないのです。

加藤先生の庭園

加藤みどり先生は、長年にわたり日本とグアナファト大学との架け橋となり、彼女の名前を冠した庭園が今日完成した。 日本庭園は癒しの場として活用されています。みどり先生によると、緑色は人を落ち着かせ、心を癒す色であり、彼女の名前「みどり」はまさに緑色を意味しています。今日、グアナファト大学での功績を称え、みどり先生の名前を冠した日本庭園が造られました。 東京近郊の茨城県出身の加藤先生は、2017年に定年退職されました。1975年にメキシコへ渡り、結婚して家庭をもった後、1990年に日本語学科を設立しました。当時はグアナファト州にこれほど多くの日本人が移住することになるとは想像もしていませんでした。また、グアナファト大学の現学長の言葉を借りれば、「グアナファト大学が、日本の多くの大学と学術交流をもつための橋渡し役」になるとは思ってもみなかったことでしょう。

田畑から食卓へ

レオン近郊の農地では、季節の果物や野菜を栽培する家族経営の会社があり、その日に収穫した農作物を食卓に届けるサービスを提供しています。 ここで生産されている製品には、化学肥料やホルモン剤が含まれていません。 注文方法: 100%オーガニックな製品を食卓に並べたいお客様のために、週明けにワッツアップにてご注文を受け付けています。 食料品:はちみつ、卵、コーントルティージャ、ジャムなど、オーガニックでナチュラルな製品 花木苗:家庭菜園や観葉のための植物 果物・野菜:玉ねぎ、レタス、トマト、セロリ、食用サボテン、その他 薬用植物(ハーブ):メキシコの薬草で自然治癒力を高める

メキシコ人により運営される日系企業

Hirotecのシラオ工場長・ディレクターはシラオ人のエンジニアです。経理・購買・物流・ITディレクターはレオン人で20年以上勤続している人です。 他にもHirotecには勤続15-20年以上の社員もおり会社を支えております。 Hirotecは常にメキシコ人を信頼してきました。 製造や会社の重要ポストなど労働力の大部分を占めるのはメキシコ人です。全社で1280名の従業員が居る中、日本人の駐在員はわずか7名しかいません。 メキシコ人は活躍し存在感を示しており、この日本を代表するドア・排気系部品の製造企業の舵取りをしているのは正に彼らです。 Guanajuato州にHirotecが来たのは24年前の事です。当時ヒロテック日本から述べ約100名の日本人がやってきました。彼らは日本の「仕事の哲学」を導入し、「改善」手法を教え、高い技術・知識を共有し、世界に通じる日本品質に到達するまでとなりました。 今日Hirotecには多くのメキシコ人がおり、シラオにある有名企業向けの良質な自動車ドアの製造を担っているのです。その顧客からは何度も「年間最優秀サプライヤー」に認定されているとの事です。また、Hirotecの製造する部品はその他にも様々な顧客向けに納入されております。 Hirotecでは、日本の技術とメキシコ人人材によって、なんと1日に1万枚以上のドアが生産されております。毎日の作業において、Hirotecのメキシコ人は規則正しく、継続的改善をもって働いています。機械は近代的・高技術のロボットを使用し、ベストな結果を得るため目標設定・管理が徹底されております。自動車産業において彼らはエキスパートです。 改めて、Hirotecには20年以上勤続している従業員がたくさんいますが、それこそが、企業が成長してきた「証し」なのです。 “ここでは私たちは一つの家族です”‘ Gisela Padilla経理・購買・物流・ITディレクター勤続23年 “私は経理士でレオン出身です。以前はある国際的なコンサル会社に勤務し、Fipasi内の企業の税務監査を行っていました。ある時Hirotecの副社長(日本人)から一緒に働こうと誘ってもらいました。 私は日本人役員のプロフェッショナリズムの非常に高いレベルに惹きつけられました。人はみな規則正しく、インテリジェンスがありました。日本から来た人でもメキシコの法律をよく知っていました。私は英語を学ぶための1年の猶予を与えられ、その後3カ月間アメリカのデトロイトへ派遣され財務の全システムの理解と導入のため準備を手掛けました。また教育のため日本へも研修で行く機会も与えられました。最近ではドイツへも行っています。  この経理の世界は従来「男性のフィールド」でしたので最初は苦労しました。エリアはどこであれ20年前は自動車産業で女性が働くことがまだ珍しかったのです。しかし日本人は私たちに信頼と自由を与えてくれました。ヒロテックの他(企業)と異なる重要な点は、メキシコ人にも重要な役職を与えられる機会が開かれていることでしょう。 Hirotecは私たちを信頼してくれました。これは新世代のマネジャーたちの成長にとって非常に重要なことだと思います。 Hirotecは一つの家族です。子供たちを成長に導き子供ら自身に決断を取らせる。 私たちはお互いに信頼し合い、決して一人にはさせません。 家族の中では日々、より良い人であろうと努力します。今までにいくつも挑戦がありましたがみなお互いを助け合ってきました。多くの人がここでその歩みを20年間以上続けており、私たちは良い時も悪い時も一緒にいるチームです。Hirotecの従業員は貴重な人材です。” “プロフェッショナルとして非常に充実していると感じます” Alberto NuñezHirotec工場長・ディレクター勤続23年 “私は電気メカニックエンジニアです。元々シラオ出身でTecnológico de Leónで 学びました。以前はGeneral Motorsで働いておりその後Hirotec がGuanajuatoに来たことを知り自動車産業で自分がより成長するよい機会なのでは、と思いました。この企業で働き始めて以来、他企業には移ったことはなく、23年経ちました。ここでの仕事は私が思っていた以上のことを与えてくれました。プロフェッショナルとして非常に充実していると感じます。 私は成長してきました。最初はあるエリアの担当者として仕事を開始し、日本人と接する機会も多く彼らの文化を知ることができました。 メキシコで導入する作業システムを学ぶため、日本へも研修に行きました。特にHirotecはメキシコ人、メキシコの文化、私たちの伝統的なことをよく重んじてくれる会社だと感じ、当時私は日本の方法論にとても賛同し始めました。 仕事はもちろん大変ですが日本の思いに賛同しています。ヒロテックはグループとしての連帯感が非常に強く、心地よくいられるための自由も与えてくれます。 日本人はこの自動車業界での仕事の仕方を教えてくれました。多くの人が現場に来ましたが、その当時私たちは機械の操作の仕方も知りませんでした。そこで最初は合計約100名の日本人が各エリアに入りそのプロセスを見せてもらい、そして私たちはお互いにサポートし合ったものでした。 社長は歴代日本人ですが、初代社長のビジョンは「私はいつか、この工場はメキシコ人に運営させたい」と仰ってました。当初、経営陣や要職はすべて日本人が占めていましたが、少しずつメキシコ人が優先される様になってきました。