メキシコでは前世紀から、自動車を所有すると税金を払うことが義務化されている。それが「テネンシア」と呼ばれる自動車税である。グアナファト州のナンバープレートを所有している場合、どのような税金の支払いが必要か、ここで紹介する。 メキシコの自動車税は1962年に導入されたが、その始まりは1968年のメキシコオリンピックのための資金調達を目的とした臨時税だったという説があります。 現在でもこの税金は政府当局により徴収されていまが、課金するかどうかは州政府に自治権があります。 グアナファト州では、自動車の所有者にかかる税金として、テネンシアと呼ばれる高級車税と、レフレンドと呼ばれるナンバープレート税の2種類があり、どちらも毎年納めなければならない税金です。 高級車税 インボイスに記載された車両の価格が50万ペソを超えた場合に課される自動車税。新型車を購入し、それが50万ペソを超えない場合はこの税金を支払う必要がない。ただし、車両価格が50万ペソ以上の場合は超過分に対してのみ2.5パーセントの負担となる。例えば、車両価格が55万ペソの場合、超過分5万ペソの2.5パーセントを支払うことになる。 自動車登録税 ナンバープレートや登録証の交換や使用に対して課される税金。グアナファト州のナンバープレートを持つ車両の所有者全員が毎年納付する。例えば2021年は、自動車が504ペソ、二輪車が140ペソだった。 支払い期限は2022年1月1日から3月31日までで、この日を過ぎると、遅延利息を追加して支払うことになる。 支払いは、源泉徴収事務所、またはグアナファト州税務局が認可した1900か所以上の事業所で、ナンバープレートの番号を示して行う。sateg.gob.mx または、finanzas.guanajuato.gob.mxのウェブサイトで詳細を確認することができる。 また、これらのウェブサイトで直接支払いを行うこともできる(ナンバープレートの番号と銀行カードのみ必要)。 支払い期限は1月から3月 グアナファト州の自動車税は1月1日から3月31日までが支払い期限で、これを過ぎると遅延利息が追加される。 未払金に対する罰則 グアナファト州道路交通法の187条では、高級車税と自動車登録税の不払いに対して最低賃金10から20の罰金を支払う規定を定めている。 自動車税が納められる施設 Farmacias ISSEG, Farmacias San Francisco de Asís, Tiendas Soriana, City Fresko, Farmacias Guadalajara, Farmacias Benavides, Tiendas Extra, Tiendas Chedraui, Tiendas OXXO, Tiendas Elektra,…
目標達成に向けての日本式3ステップ
新しい年には新たなチャレンジが待ち受けている:日本流に新年の目標を達成してみよう! 日本文化がその目標を追求する厳格さは知られています。 世界中で、目的の達成に焦点を当てた彼らの戦略と古代の習慣がエミュレートされています。 年末はまた、あるサイクルの終わりと、新しい目的が達成されることが提案されている別のサイクルの始まりを示します。 その有効性で人気があり、この初期の2022年に私たちの最高のバージョンへの道を開くことができる日本の方法のほんの一部を紹介します。 オオソウジ:大掃除 使わなくなったものを処分することを目的とした習慣。日本人はこの日を「大掃除」と呼び、主に年末に行われ、新しいもののために空間を作り出すことを目的としている。掃除は外観的なものだが、外との関係は内なる世界を反映しているという前提のもと、精神も浄化される。 タンスや引き出しの中、あるいは家の中のあらゆる場所にスペースを作ることは、実用的な目的である外観だけでも非常に有効だが、治療目的であればなおさらである。 片付いている家では、ストレスや不安のレベルが下がる。スペインの新聞『El País』によると、アメリカの「全米睡眠財団」は、75パーセントの人がシーツがきれいだとよく眠れる、とした研究結果を紹介している。 「イキガイ」との賢いバランス エクトール・ガルシアとフランセスク・ミラージェスにより、『生きがい:日本が誇る長寿と幸福の秘訣』という本が2016年に出版された。 その中で、日本人の長寿の要因を、「生きがい」と訳される哲学に起因するものとして明らかにしている。 「自分が得意なこと、やっていて楽しいこと、世の中に貢献していると実感できることを見極めることだ。そうすることで、自分の存在が正当化されるような気がして、自尊心が高まる。幸せはその結果なのである」と、ミラージェスは、いくつかのインタビューで説明している。 この方法は、その人の情熱、使命、天職、専門性が交差する円が重なり合う図式で、一般的に広く知られている。 そのバランスをとることが、人生をより幸せに、より長く生きるための大きな課題なのである。 カイゼン:あらゆる瞬間に、あらゆる場所で、全員で 「カイゼン」という言葉に関しては多くの訳語があるが、いずれも品質管理の手法として認識されている。 「カイゼン・インスティテュート」の創設者である今井正明氏は、「継続的改善」という直訳では、この哲学には限界がある」と述べている。「日々、あらゆる場所で、改善する」方が良いと明記している。 「昨日より今日、今日より明日」という言葉は、共通の目標を達成するために組織に変化をもたらすための哲学としてよく知られている言葉である。 この方法論は、第二次世界大戦後に先駆的に「カイゼン」を導入した日本の自動車メーカーに起因するもので、プロセスをより効率的にする方法を毎日考えるという前提に基づく重要な行動変革を意味している。 簡素化することで、仕事の効率と生産性が高まる。それが「カイゼン」である。小さなカイゼンを積み重ねることで、個々のプロセスや組織を最適化していく。カイゼンの哲学は70年以上前に実行され始め、現在では日本の産業界の世界観に根付いている。そしてそれが日本を経済大国へと変貌した大きな一因なのである。
ラベンダー:心を癒す香り
嗅覚は人類の生存を可能にしたが、香りと精神効用との関連はまだ未開拓な分野である。 世界的に流行したパンデミックにより、人類はこれまでほぼ無関心だったことを再認識することになりました。その一つが「嗅覚」です。新型コロナの初期症状の一つは、この嗅覚の喪失です。そして、歴史上、嗅覚は私たちが知る社会の進化には欠かせないものでした。 しかしながら、香りがもたらすであろう、神経系へのプラスの影響については、ほとんど研究されていないのが現状です。 故郷を思い出す香り、気持ちを落ち着かせる香り、特定の花の香りに包まれた空間で過ごす幸福感など、感覚だけでなく、脳レベルでも大きな効果が期待できるのです。 鹿児島大学の研究者は、ラベンダーに含まれるリナロールという成分の抗不安作用をマウスで実験しました。この研究成果は、専門誌「Frontiers in Behavioral Neuroscience」の2018年10月号に掲載されました。 研究チームのリーダーである柏谷英樹講師は、「La Vanguardia」紙に、「リナロールを嗅ぐとバリウムを飲んだような効果があった」と報告していますが、副作用はありません。 古くから民間療法では、植物エキスから得られる芳香成分に、癒しやリラックスの効果が見いだされてきました。そして、ラベンダーには抗不安薬としての効能があることが確認されています。 アロマコロジー(芳香心理学)とは、香りが人間の精神状態に及ぼす変化との関係を研究する新しい科学分野です。 ラベンダーの香りが、掃除用洗剤や家庭用芳香剤などの「広告手段」として使われているのは。偶然ではありません。 実際に、科学で認識されるずっと以前から、ハーブの伝統的な自然療法として、このラベンダーの微妙な香りが、不眠症などの睡眠障害の治療薬(枕元に2,3滴たらすと良い)、あるいは頭痛の鎮痛剤として含まれていたのです。 観光客を魅了する香り「ラベンダー」 グアナファト州では、日本の北海道と同様にラベンダーの風景が観光地として定着しており、自撮り用のユニークなフレームを提供している。 「ファーム富田」がある北海道富良野町は、ラベンダーを主な観光資源としている。富良野地方でラベンダーの大量植栽が始まったのは1950年代。しかし、多くの生産者が転向し、ラベンダー栽培を続ける人はわずかだった。 現在のファーム富田は、初夏のラベンダー畑が見ごろを迎える時期になると、主要な観光スポットの一つとなる。 北海道から1万304Km離れたグアナファト州ドローレス・イダルゴ近郊のラス・コロラダスでは、2005年の干ばつで被害を受けた地域で、ラベンダー栽培を活かした社会経済活動を展開している。 現在では、持続可能な農業を推進するもう一つの観光名所として定着させることを目指している。さらに、あらゆる地域を美しく彩り、栽培地域の経済・社会発展の源ともなるこの美しい紫色の植物が持つ、あらゆるメリットを普及させることも目的としている。
メキシコ最大規模の家族向けフェア
パンデミックによる困難な1年が過ぎ、2021年のサマーフェアの開催を経て、バヒオで最も待ち望まれていたレオンフェリアが、新しい施設と素晴らしいアトラクションとともに戻ってきた。 レオンフェリア2022は1月14日から2月9日まで、新複合施設「Distrito León Mx」で開催されます。新型コロナ感染拡大防止のため、対面式ながら、厳しい衛生管理のもとでの開催となります。 エリアごとに衛生フィルターや定員管理、空間消毒を行い、800名以上の防疫担当者が出展者・来場者のコンプライアンスを徹底します。 メキシコでも最大規模のレオンフェリアは今年で197回目を迎え、レオン・デ・ロス・アルダマ市は創立446周年を迎えました。 アグアスカリエンテス州が招待都市として、「Festival de las Naciones」に参加する15か国以上の外国人コミュニティとともに参加する予定です。 フェリアの期間は27日間で、伝統料理、アトラクション、コンサート、ルチャリブレ(プロレス)のパフォーマンス、ショッピングエリアなどを楽しむことができます。 「Velaria de la Feria」で行われるコンサートのほとんどは無料で、入場料が必要なのは、マルコ・アントニオ・ソリス、フリオン・アルバレス、ロス・ティグレス・デル・ノルテなど、7つのコンサートのみです。 闘鶏も行われるパレンケでは、アレハンドロ・フェルナンデス、アンヘラ・アギラル、バンダ・ミス、ロス・アンヘレス・アスレスなどの有名歌手が出演する予定です。 さらに、フェリア2022のハイライトは、イルージョンオンアイスが提供するアイスリンクでのダンスとアクロバット「Deja Vú(デジャヴ)」です。さらに、ロバート・サーカスのビッグショーは、すでにフェリアの恒例行事となっています。月曜日から金曜日は1日2回、土曜日と日曜日は3回の公演が予定されています。 今回は、エクスプローラー公園内の野外スペースで、子供向けの体験型農園を含む「エクスポ・ガナデラ(家畜博)」が開催されます。 チャロがフェリアに帰って来る フェリアでは、ユネスコの無形文化遺産に登録されている、メキシコの「チャレリア」も紹介されます。 リエンソ・チャロ(チャレリアが行われる競技場)では、チャレリアのトーナメント、乗馬ショー、馬のダンス、テキサス・ロデオなどを楽しむことができます。 「恐竜の大地」展では、恐竜の化石、レプリカ、ロボットなどが展示され、また「フォーミュラ・アート」展では、ウイチョル族のアートがコラボされた、スポーツカーやレーシングカーが展示されています。 また、文化フォーラムでは、レオンフェリア2022の一環として特別アクティビティや、ビセンテナリオ劇場でのコンサートが予定されており、ソーシャルメディアでプログラムを検索できます。 パンデミック禍のフェリア 一般入場料:12ペソ シニア料金:6ペソ 身長1.40m未満の子供:無料 感染拡大防止対策 −マスク着用の義務化 −ソーシャルディスタンスをとる −抗菌ジェルによるこまめな手指の消毒 −人数制限やコロナ対策表示の順守
同郷人よ、おかえりなさい!
福嶌大使は、自身がメキシコ人であることを証明する出生証明書をツイートし、ソーシャルメディア上では驚きの声が上がった。 福嶌大使は、メキシコ生まれの最初の日本大使です。1958年8月27日午後2時に、メキシコシティのサンタモニカ病院(ポランコ地区テミストクレス210)で産まれました。一年後の1959年6月に、両親により出生届が提出され、スペイン語で「ハイメ」というミドルネームが付けられました。 2017年から2021年まで在メキシコ日本大使館を成功裏に導いた高瀬前大使の後を引き継いだ福嶌大使は、ソーシャルメディアによる最初のメッセージに「両国に貢献できることを誇りに思います。同胞の皆さん、初めまして。」と書き込みました。 その際に紹介した画像は、自身のメキシコ人としての国籍を確認する、出生証明書という意外なものでした。 着任日の2021年12月12日、大使のツイッターアカウントにはアクセスが集中し、コメントやリツイート、「いいね!」が殺到して、数時間にわたって規制がかかりました。 「出生当時、実業家だった大使の父親は、メキシコで仕事をしていた」と2019年にJapan Hoy TVが報じています。 2021年の最終週に行われた、メキシコ国立工科大学(IPN)のテレビ放送カナルオンセのインタビューで、大使は生まれてから1年半だけメキシコで暮らしていたこと、そして弟もメキシコ国籍を取得していることを語りました。 「必ず戻って来ようと思っていました。メキシコに帰るために、外交官になることを決意したのです。子供の頃から、自分はメキシコ人だ(中略)『ハポメックス』だ、と思っていました」と、カナルオンセで誇らしげに述べています。 大使の父親が来墨したのは1953年。その5年後、現在の大使が誕生し、彼の運命はメキシコの大地と永遠に結ばれることになりました。 <アンバサダー3.0> しかしながら、ソーシャルメディア上での騒ぎは、福嶌大使にとって驚きではなかったかもしれません。 2015年から2019年の駐アルゼンチン日本国大使在任中、現地の「ラ・ナシオン」紙のジャーナリストは、福嶌大使は外交インフルエンサーであるとして、<アンバサダー3.0>と名付けました。 当時ブエノスアイレスでのツイッターを活用した外交について、「人々と直接コミュニケーションをとることができ、それが気に入っています」と語っていました。 アルゼンチンでの在任期間中は、社会的、政治的、経済的にも困難な時期であったにもかかわらず、夢のような経験だったと言います。日本は、悪化していたアルゼンチンとの関係を修復しつつありました。福嶌大使が就任当時、アルゼンチンに進出していた日系企業はわずか50社でしたが、任期中にその数は倍増しました。また、50年もの間、日本の首相がアルゼンチンを訪問しない時期が続きましたが、2017年から2019年にかけて、二度の歴史的な訪問が実現しました。アルゼンチン産の有名な牛肉が日本へ上陸し、同時に世界で知られている日本のブランド牛である神戸牛も、大陸の最南端にあるアルゼンチンへやって来ました。また、アルゼンチンが議長国となり、G20首脳会議がブエノスアイレスで開催されました。 福嶌大使は、その時期をアルゼンチンと日本の外交関係の「黄金期」だったと表現しています。そして、その友好関係の大半は、大使の精力的な現地での、そしてソーシャルメディアを通しての活動に起因していました。 ブエノスアイレスを離れる際、デジタル外交の達人であるマーク・ケント元駐アルゼンチン英国大使が、世界各国の外交官を招いて、福嶌大使のために夕食会を開きました。ニュースポータルサイト「Ámbito Digital」がYoutubeで公開している動画では、取材に応じた全員が、大使の楽観的で合理的な人柄を賞賛しています。 「第二の故郷のために働きたい」 京都大学卒業の外交官というキャリアを持ち、難題に直面してきた福嶌大使は、2019年に日本政府から「2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会担当特命全権大使」という、もう一つの任務を任されました。新型コロナウイルス拡大により1年延期され、オリンピック終了後の昨年後半にメキシコへわたることになりました。 2003年には、在メキシコ日本国大使館参事官を務め、その10年前の1993年には、ニューヨークで国連代表部一等書記官を務めるなど、キャリアを積んできました。 外交官として、これまでアメリカ、スペイン、アルゼンチンに滞在し、そして幼少期には家族でチリに住んでいました。 以前のSNSでの投稿にはフレンチブルドッグも登場しており、メキシコで日本人移住者が最も多いグアナファト州を観光している様子も紹介されています。 京都大学法学部を卒業し、スペイン語に堪能な新大使は、「メキシコ人として、第二の故郷のために働きたい」と語っています。
あやかさん:グアナファト新体操競技のパイオニア
エレガントで笑顔が素敵な小野寺あやかさんは、グアナファトで新体操の普及に努める若き日本人インストラクターです。 エレガントで笑顔が素敵な小野寺文香(あやか)さんは、グアナファトで新体操の普及に努める若き日本人の新体操指導者です。 彼女の第一の目的は、メキシコであまり知られていない新体操スポーツの面白さを広めることです。1年前に新体操教室を開校し、グアナファト地域で才能のある子供を発掘してきました。そして、教え子たちが国際的に通用するレベルの選手に育つように、選手の育成に励んでいます。 メキシコ人の友人たちから「アニータ」と呼ばれ、新体操のレベルが世界で高いことで有名な、ウクライナやロシアで指導してきました。また、2016年にブラジルで開催されたリオ・デ・ジャネイロオリンピック、2017 年にイタリアで開催された新体操世界選手権大会での大会運営の経験もあり、日本の体育学を卒業後はロシアの大学院でスポーツの修士も取得している新体操の専門家です。 子供の頃は新体操の技術や柔軟性を高めるために、最大9時間のトレーニングをしていましたが、20歳の時、怪我により引退しました。現在は子供から大人まで幅広く指導しています。新体操は19世紀にロシアで生まれたスポーツで、非常にエレガントで、手具操作の技術、体の柔軟性、動きのハーモニー、音楽に合わせながら表現力も求められるスポーツです。リボン、ボール、フープ、こん棒の道具を使用しながら行います。 演技中のように優雅で笑顔を絶やさないアニータさんは、グアナファトでの生活についてこのように語ってくれました。 「大好きな新体操スポーツを広めたいという思いで、1年前から教室を始めました。レオンとイラプアトで新体操教室を開いています。メキシコ人は踊るのが好きで、日本人ほど恥ずかしがり屋ではないので、新体操に向いている子供が多いと思います。」 あやかさんは、メキシコで新体操の才能を発掘し、メキシコ人女性をこの競技の国際大会に送り出すという夢を、で実現できると確信しています。 そして、アニータさんはそのために日々努力しているのです。 連絡先: ayafit.sports@gmail.com https://allstaracademy.com.mx 4792231601
日本人による
バーチャル新年会
バヒオ地区に住む日本人コミュニティは、バーチャルパーティで新年を祝います。 タレントショー、プレゼント抽選会、音楽や歓談の場などが設けられていますが、すべて自宅にいながらコンピューターの前で参加するイベントで、オンラインで新年を迎えることになります。 グアナファトに拠点を置くメキシコ日本商工会議所、広島グアナファト親善協会、在レオン総領事館により、日墨両文化の融合を図るために開催されるイベントです。 家族的な雰囲気の中で、オープンで自由な集まりとなる予定で、日時は1月29日午後1時から3時半です。 当日は、世界遺産に詳しいユーチューバーがメキシコの遺産について、また書道家が1月2日に行われる「書き初め」について紹介するプログラムも予定されています。 バーチャル観光ツアーや、べラクスル大学の研究者によるメキシコのピラミッドについての講演など、メキシコと日本の文化をミックスした企画が実施される予定です。 そしてタレントショーも見逃せません。メキシコ人、日本人双方が参加し、歌やダンスなど、隠れた才能を事前に収録したビデオを披露します。紹介された映像をもとに、観客が優勝者を選ぶことになります。 抽選会にはさまざまな賞品が用意されており、参加するためにはおせちを購入し、抽選券を受け取る必要があります。 *おせち:日本の伝統的な正月料理で、仕切りのある重箱にさまざまな料理が詰められている。食材にはそれぞれ意味が込められている。 2022年新年会 開催日:2022年1月29日(土) 時間:午後1時〜3時半ごろまで 形式:オンライン 言語:スペイン語、日本語 無料イベント
411年前、メキシコに初めて日本人がやって来た
日本人のメキシコへの移住には、非常に深いルーツがある。 日本人が初めてメキシコに来たのは411年前で、最初の記録はスペイン統治時代の1610年にさかのぼります。 それから2世紀後、メキシコがすでに独立国家として構成されていた19世紀末、1897年に34人の日本人がチアパスに到着し、「異なる特徴を持つ7つの移民の波」の出発点となったと、人類移動の歴史の専門家である、グアナファト大学のアナ・ビラ・フライエル教授は2017年に発表した学術論文で解説しています。 また、1888年11月30日にメキシコと日本の政府間で締結された「日墨修好通商条約」も、この緊密な協力関係の根幹をなすものと考えられています。 このような日本人移民の波は、それぞれの時代のそれぞれの国の事情によって、異なる特徴を持っています。 最初の2つの波は、ビジャ・フレイエルが述べているように、メキシコに農業植民地をつくるためにチアパス州にやってきた日本人たちでした。これは、日本が諸外国との商業・外交関係を再構築した1858年から20世紀初頭にかけて起こった出来事です。 そして1900年代の最初の10年間に第3の波が到来し、1万人以上の日本人がメキシコ各地で労働契約を結んで移住しました。彼らは、当時活況を呈していた工業に、あるいはポルフィリオ・ディアスが推進する野心的な鉄道事業に、またはサトウキビ畑のプランテーションにそれぞれ配置されました。 ひどい労働条件に苦しんだ移民や、アメリカには更なる経済成長の可能性があり、より良い雇用機会があることを知った移民もいました。1907年から1924年の間に「アメリカンドリーム」を追い求めてアメリカ入国を試みたものの、アメリカ国境警備隊に捕らえられたため「メキシコを踏み台にして、いずれアメリカへ入国しよう」とメキシコへ戻った日本人移民の波が第4波だと、メキシコ大学院大学(COLMEX)アジア・アフリカ研究センターのマリア・エレナ・オオタ・ミシマ教授は説明しています。 第5波は、アメリカを目指す日本人移民のメキシコ国内での移住の流れが大きくなったために現れた波です。日本とメキシコは1917年に「日墨医業自由営業協定」を締結し、主に医学分野の専門家(医師、歯医者、薬剤師、産婆、獣医)のメキシコ国内での移動を容易にすることで、メキシコ革命後の医療の需要に応えようとしたのです。 移民研究を専門とする日本の人類学者、平井伸治教授は「この協定により、まず約30人の医師と歯科医師が渡墨し、その後もいくつかの移民グループがメキシコ社会と日本植民地の両方に医療サービスを提供するようになりました」と述べている。 第6波は、貿易、漁業、農業の分野で小さな日本人コミュニティが統合されたことを意味します。メキシコ北東部に日本人社会が集中する「呼び寄せ」移動が始まりました。1897年から1941年にかけて、チアパス、バハカリフォルニア、コアウイラ、チワワ、メキシコシティ、シナロア、ソノラ、タマウリパス、ベラクルスといった州に日本人の移民集団が定住しました。 第二次世界大戦の終結(1945年)後、1940年代半ばから1950年代初頭にかけて、第七の移民の波が始まりました。それは駐在員、つまり「会社から海外に派遣された日本人」で構成され、「日本企業の役員や技術者が入れ替わりでメキシコに移住した」という特徴があります。 1962年、バハカリフォルニアにメキシコ初のトヨタ自動車工場が稼働し、1961年にモレロスに設立された日産自動車とともに、メキシコで最初の日系自動車メーカー設立の歴史が始まり、その後、グアナファトにつながる道が開かれたのです。 第8波 2011年以降、グアナファトはメキシコにおける日本人の主な定住地となっています。この移民現象は非常に新しいもので、社会学や人類学で研究され始めたのはごく最近のことです。 「グアナファト州は2011年まで伝統産業が盛んで、日系人の定住地として国内第2位だったヌエボ・レオンをわずか4年で追い抜いた」とビラ・フライエルは述べています。 グアナファト大学文化・移民・政治学部の研究者であるビラによると、この日本人移住のブームは、2014年にホンダとマツダの操業が開始された、その年の夏に始まったといいます。 2012年から2014年にかけて、グアナファト州の各市町村に進出した136の日系企業にともない827人の日本人が到着した、とビラ・フライエルは論文「メキシコにおける日本人移民の歴史と現在:グアナファトにおける移民コミュニティ研究のためのアジェンダに向けて」で強調しています。 メキシコの中心にあるグアナファト州では、この動向に適応するため、2015年に、メキシコシティ以外では3か所目となる日本領事館がレオンに開設され、州内の案内標識に一部日本語表記を加えるなど、迅速に対応してきました。また、グアナファト大学は日本の長岡大学と協定を結びました。 2017年には、州内の日本人移民が4年間で400パーセント増加し、約2500人になりました。そして2021年1月には、その数は2700人近くにまで達しました。
ダビノ・グリル:レオンで創業34年
ダビノ・グリルは、グアナファト州レオン市で34年間最高のアルゼンチン・ステーキと生パスタを提供し続けています。 1987年、ダビノ一家がレオンにアルゼンチン・ステーキの味を紹介して以来、レオンの伝統的なレストランとなりました。 プレミアムステーキ、パスタ、エンパナーダ、カルパッチョ、サラダ、スープ、デザートなど、メニューの一つひとつにアルゼンチンらしさが感じられます。 ダビノ・グリルでは、伝統的なタンゴの音楽をバックに、美味しい料理に加えて、最高のペアリングが楽しめるワインや蒸留酒が堪能できます。 このレストランは、良質の味とサービスが際立っており、メキシコサッカーのプロ一部リーグや、代表チームで活躍したホルヘ・ダビノ・ビアンチーニ元選手とその息子、フラビオ、ドゥイリオ・ダビノ氏も加わり、優秀なスタッフが揃っています。 レオンには、家庭的な雰囲気のパノラマ地区(レオン北部)支店と、ビジネスマンの利用が多い、アエロプエルト通り(南部)支店の二つがあり、どちらもプライベートなイベントやビジネスミーティングが開催できるプライベートエリアが備わっています。また、幼い子供連れの家族のために、ベビーシッターのサービスが利用でき、ゲームも設置されているキッズエリアもあります。 ダビノ・グリルのどちらの店舗も味は変わらず、アルゼンチンのグルメを楽しむことができます。 grupodavino.com
プロ・ニーニョ・レオネス基金が企業団体からの寄付を募集
プロ・ニーニョ・レオネス基金は、53年以上にわたり、グアナファト州レオン 市の疎外された地域における教育継続のために戦ってきた、非営利の市民団体である。 この財団は市の北部に位置するポリゴノ・デ・ラス・ホヤスにあり、通常化、初等、中等の3レベルで識字トレーニングを提供している。 パンデミックの影響で教育機関の支払いが困難になったため、学生の教育を継 続するためには寄付による支援が必要である。 企業は、支援物資、あるいは奨学金として支援金の寄付が可能であり、100パーセント税金控除の対象となる。 詳しくは477 754 2518まで電話でお問い合わせを。また基金のホームページ https://www.fundacionproninoleones.org/でも詳細が検索できる。