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クラスを超えて伝えたいもの

グリセラ・アリサガ先生は授業中に生徒を連れて街を歩く。メルカードや公園やスーパーで 生きたスペイン語を日本人の生徒に学んでほしいからだ。 グリセラさんはボストンアカデミーのスペイン語の先生だ。 レオンで17年の実績があるこの語学学校はもちろん教室でテキストを使って授業しているがスペイン語のクラスは教科書で学ぶだけではないもっと実践的なものだ。 彼女のクラスは楽しくて実践的なスペイン語だ。 日本人と日本語を使わずコミュニケーションを取ることが目標だ。 クラスではゼスチャーで意思疎通をはかる。 クラスでは映画や劇場、クラブへ行ったりタコスを食べたりすることもある。 日本人のママたちにメキシコ料理の作り方を教えたり、子供たちの学校の宿題について教えてくれたりもする。 ボストンアカデミーでは日本人にスペイン語を教えて7年になる。 この仕事に大変誇りを持っている。 ボストンアカデミー校長のペドロ・メンドサは 我が校は市内に3つの学校があり1400名の 生徒が英語、フランス語、中国語、スペイン語を学んでいます。 グリセラ先生はスペイン語の先生で1時間文法、1時間会話を教えています。文法から料理、 歌って踊って飛び跳ねてエネルギッシュに授業してくれています。 「私は自分の仕事が大好きです。スペイン語を教えることで人の役に立っていると感じています」と元気いっぱいに話してくれた。 インフォメーション セントロ:7141450 サン・イシドロ:7713636 プラサ・サンタフェ:2187797   よく使うフレーズ Escuela 学校 (Gakkoo) Clases クラス (kurasu) Maestro 先生 (sensei) Alumno 生徒 (seito) Tarea 宿題 (shukudai) Libro 本 (jon)

サルバティエラへ お越しください

サルバティエラのホセ・バスケス市長が自ら 市内の建築物や地域の伝統行事の紹介、 自然豊かな絶景が広がる 肥沃で広大な 土地を案内してくれた 彼の言葉を紹介する ●サルバティエラはスペインの政令によって建設されたコロニアです。 この街は建設されたときから魔法のように美しいのです。 ●5年前からプエブロ・マヒコの認定を受け観光にも力を入れています。 インフラをさらに整備し、通りや公園の美化してきました。 ●観光客のみなさんがレルマ川沿いを散策できるように川の美化に取り組んでいます。 ●ルス教会、ラス・カプチーナやサンフランシシコ教会など訪れる価値がある宗教建築物も多く観光スポットになっています。 ●メキシコ国立自治大学の協力でエル・マジョラスゴ文化センターで英語、フランス語、日本語のクラスを市民に開講しています。 ●ここは肥沃な大地が広がっておりピーナッツやグアジャバ、サツマイモ、ベタベルやにんじんなど35種類以上の農産物を生産しています ●サルバティエラは料理もとてもおいしいので有名です。ウリレオ(サルバティエラから5分)のモーレやトルティージャは品質もよく有名です。 ●6月には日本へ行ってサルバティエラのプロモーションをしてきます。 ここにも日本の企業が進出してくれることを願っています。

ようこそ日本へ

小林 明子 元在レオン日本国領事  昨年末、日本で最も驚いたのは、スキー場が多くの外国人観光客で賑わっていたことです。鄙びた山奥のスキー場に外国人が大勢いるとは想定外でした。島国である日本は一般的には閉鎖的だと言われてきましたが、21世紀の日本はここまで開かれた国になっていたとは!!まさに衝撃でした。 それもそのはずです。安倍総理は大胆な改革を断行し、訪日外国人旅行者数を2012年の836万人から2015年には1974万人まで伸ばし、さらに2020年に4000万人、2030年には6000万人に増やすことを目指しています。日本は2008年に観光庁を新設し、以来外国人を積極的にもてなし、受入れてきており、観光誘致は成功を収めています。 日本を訪れる外国人が日本の魅力としてよくあげるのは、「伝統文化と現代文化が上手に共存している」点や、人々の規律正しさや治安の良さです。財布を置き忘れ、翌日何も取られていない状態で手元に戻ってきた、朝3時に東京の繁華街を女性一人で歩いても全く怖くなかったといったエピソードを良く聞きます。 渋谷に行けば、ハチ公(一日に最大50万人が通行する交差点)や、回転寿司が楽しめます。秋葉原に行けば、最先端の電気製品があり、メイド喫茶(誰でも最高のおもてなしを受けられる)に行ってみるのが面白いでしょう。もう少し落ち着いた旅を楽しみたければ、京都の寺で庭園を見ながら瞑想するも良し、高野山に登って座禅をしながら精神のデドックスをするも良し。日本観光は、老若男女が楽しめるバラエティーに富んだものです。 ここバヒオ地域には現在約5200人の日本人が住んでおり、メキシコ人の日本に対する関心が高まっています。しかしながら、多くのメキシコ人にとって日本という国はマルコポーロがジバングと呼んでいた時代と同じぐらい、まだまだ遠い存在のようです。 しかし、勇気を出せば日本はたちまち近くなります。今年2月から、全日空は成田・メキシコシティ直行便のディリー運航を開始し、また、アエロメヒコも直行便を増やしており、メキシコシティから14時間で東京に着きます。 それから、メキシコ人は観光目的の6カ月以内の滞在であれば、日本への査証が免除されています。お金を貯めて2020年の東京オリンピックまで待って日本を訪れるも良し、それまで待てないという人はすぐにチケットを買って、明日日本に遊びに来てください!

バヒオの工業地帯の発展

メキシコで生産される車の10台に4台がバヒオで組み立てられている バヒオは世界的に重要な車の生産地域だ。アグアスカリエンテス、グアナファト、サンルイスポトシで生産されるのは150万台。ロシアとトルコの上を行く。 フォードはサンルイスの工場を撤回したが、自動車産業は今も成長し続けている。 10台に4台の車はバヒオで生産しているのだから。 グアナファトだけを見ても ホンダ、マツダ、GMなど重要な会社が生産拠点を構えてる。 トヨタが生産開始するば 年間の州内の車の生産量は大きく増える。 トヨタのメキシコ社長 マイク・バファン氏は新工場のアパセオグランデで年間20万台を生産するという。 そうなれば2020年にはグアナファト州で93万台の生産になり現在より27パーセントのアップになる。メキシコ国内の生産量の19パーセントが州内で生産されることになる。 エル・フィナンシエロ参照

メキシコと日本の国籍の赤ちゃん

グアナファトの市役所では最近新しい名字の赤ちゃんの出生届けが出されている。例えば去年6月9日タナカ・ヒビキという日本人の両親から生まれたメキシコ人の赤ちゃんが戸籍に登録された。 お父さんはヒカルさんお母さんはサトコさんだ。 レオンには仕事で転勤されて来た。 初めての子供を外国で育てるなんて神経質になるかもしれない。市役所で出生届けを出すのも一苦労だ。 ヒビキ・レオン・タナカ君はメキシコで生まれたのでメキシコ人としても出生届けを出した。 ご両親はどのような手続きを行ったのでしょうか 日本人のお子さんの出生届けの提出方法について 市役所での手続きは戸籍課で行います。 手続きできる場所はたくさんあるので最寄の役所を探してください。 予約を取る事をお勧めします。月〜金 8時から3時半まで 新生児の出生届けに必要な書類 両親の戸籍の公印確認がされているもの(公文書上に押印されている公印確認があるもの) 戸籍は公認通訳士が公印確認をしたもの 必要書類をそろえて最寄の役所の戸籍課へ持参する グアナファト州の公認通訳士が翻訳したものを要求される場合がある 住所が記載されている電気、水道、固定電話の請求書3ヶ月以内のもの 身分証明書(パスポートや在留カード) 医師の出生証明書 保健省発行の新生児の予防接種手帳 市の健康センターで無料でもらえる 全ての書類の原本とコピーを持参すること 重要事項 出生から60日以内は無料で出生届が提出できるが 60日以降は131ペソかかる。

120年前にやってきたはじめの日本人たち

オーディオ チアパスでコーヒーを栽培するため35人の 日本人がメキシコに到着 Por Kokó México 1897年榎本移民はコーヒーを栽培して日本に持ち帰るためメキシコに到着した。 榎本の夢は達成されることはなかった。チアパスにたどり着く事なく榎本移民はばらばらになってしまったからだ。 レオン領事館の資料によると 1903年に次の日本人移民がやってきた。コアウイラの鉱山で48人が働くためにやってきたのだ。 その後の到着した日本人はコリマで鉄道を作ったり、オアハカのサトウキビ畑で働いていた。 1907年には8千人の日本人がメキシコにいた その中の一人にマツモトという人がいた。彼は現在のメキシコでとてもポピュラーな2つの植物をブラジルから運んできた。 ハカランダとブーゲンビリアだ。 日系人の増加に伴いメキシコシティーに日本人学校ができ日系の小中学校ができた。現在の日本メキシコ学院の前身になった。 小林明子元レオン領事は現在メキシコに2万人近くの日本人の移住者がいてそのほか1万1千人は滞在者であるという。これからもっと日本人が来るでしょうと語ってくれた

スティバ・レオン工業団地 投資誘致に大きな役割

Stiva León, con una ubicación privilegiada dentro de la Ciudad, ofrece la posibilidad de crear sólidas sinergias industriales sostenidas por su amplia experiencia. Por Kokó México スティバ工業団地は最先端のサービスを備え 国内外の企業の要望にこたえることができる 新しく出来た1万2千m2の工場は内部のスペースを仕切ることができるマルチユーズタイプになっている。スティバはこれからもグアナファト州と レオンに投資を続けていく。スティバの工場設計は最高基準の“A”クラスだ。 レオン・スティバ工業団地は立地用件や交通アクセスもよく、団地内から国道45号はわずか10分 バヒオのどこにもアクセスしやすい。通勤に便利なレオン・スティバにオフィスを構えるのは最高の 選択となるだろう。 工業団地は物流会社、軽中工業、在庫倉庫など 様々な企業に提供するスペースがある レオン・スティバ工業団地の新しい建物は2950m2で4つのモジュールに分けることができる 企業の意向に沿って対応できるBTS (BuildtoSuit)サービスを提供している スティバ工業団地は80ヘクタールの敷地があり 現在 国内外の企業がここを拠点に活動をはじめている。敷地が広大であり新しいプロジェクトにも対応できる。 スティバ・コーポレーション…

グアナファトで生まれた サムライ

オーディオ   Por Pablo César Carrillo アントニオ・ラミーレスは日本語を話し日本刀も操る。空手は九段。  ミヤギ先生の名で親しまれる彼は グアナファト州サラマンカで生まれたことを除けば どこから見ても日本のサムライだ。 彼は38年前に空手をはじめて以来 メキシコ・日本人になると決めた。その経緯から、グアナファトで初めて 日系の自動車組み立て工場のマツダの誘致の立役者となった。 以後グアナファトは自動車産業のブームが巻き起こった。 当時サラマンカの市長だったアントニオ・ラミーレスは 契約が成立した イラプアトのホリデーインで過ごした夜のことを思い出す。 会議がはじまって12時間以上たった夜の10時を過ぎた頃、 マツダの幹部側からはサラマンカ・プリーナの土地を候補にあがっていたが 政府の意向とは違いなかなか交渉が成立しない。グアナファト政府側から 「プリーナの土地なら グアナファトに来られるんですね?」日本人たちは 契約にサインをし州知事の署名も要求した。 そんな時間に私たちは当時のグアナファト州知事であった フアン・マヌエル・オリバ氏にサインをもらいに車を走らせた。  その夜、グアナファト州の経済の歴史が変わったんだ。 マツダの候補地だったブラジルやアルゼンチンに勝ったんだ。 はじめにマツダが来てホンダ、トヨタなど自動車関連の企業が100以上がグアナファト州に集結したんだ。 はじめの一社を誘致するのが大変だった。でもオリバ元州知事の助けもあって達成できた。 そんな経緯もあってアントニオ・ラミーレスは更に日本人っぽくなった。現在は日本人のミサオさんという息子のお嫁さん、お孫さんのナオキ君もいる。 故郷のサラマンカはたくさんの日本人がいる。今は日本武道の学校も経営する。以前はグアナファトでちょっと変わったサムライだったミヤギ先生。現在は存在感たっぷりで流行の先端を行くのはトーニョだ。

グアナファトに 自転車産業を興した 日本人の戸塚さん

オーディオ レオンにはじめに やって来た日本人 Por Pablo César Carrillo 1995年ある日本人家族がレオンに 自転車産業を興した。 日本人特有の器用さで自転車の修理や整備をはじめたのだ。 当時はじめた店舗はまだミゲルアレマン通りに健在だ。 10歳で来墨したミキオ・トツカさんは62歳を迎えた。 商売を始めたのは彼の父キンキチ・トツカさんだ。フランシスコというメキシコ名もある。彼は荷物運搬船に勤務していて 日本の商品を南アメリカへ運んでいた。一時期はペルーにも住んでいたそうだ。 フランシスコ・キンキチさんはアメリカに住もうと思いバハカリフォルニアのメヒカリから国境を越えようと思った。 しかし戦争が起こりメヒカリの日本人はグアダラハラへ送られそこで農業に従事した。 彼はレオンで自転車の商売をしている知り合いからレオンに来ないかと言われるまでハリスコ州にいた。 それからレオンに彼は留まった。 ミゲルアレマン通りの店舗に自転車の店を出してからは街で 自転車の王様といわれるほど有名になった。 今は同じ通りに2つ店舗を出し イラリオ・メディナにも一店舗ある。 彼はもう自分を日本人だと思っていない。トツカさんはメキシコ人なんだ。日本語も話さないし、日本のことも知らない。でも目は細長く肌も黄色い。メキシコ人っぽい日本人いや日本人っぽいメキシコ人だ。 その昔自転車を売る東洋人は日本人だけだった。でも今はグアナファトに何千人もの自動車産業に従事する日本人がいる。 自動車産業ブームによって生まれた日本人の移住者は世界でも類を見ない。 メキシコ人のオクタビオ・ミキオ・トツカさんはここで自転車屋さんを続ける。 トツカさんはメキシコのような遠く離れた違う国に来るということの意味を良く分かっている。 日本人のみなさんにお願いしたい事は メキシコ人はとてもオープンでグローバルな国だということ。 グアナファトで自動車産業に従事している今の日本人にとってもトツカさんが経験したことが将来起こりうるかもしれない。 トツカさんのお子さんもお孫さんもメキシコ人だ。彼の計画はアメリカへ行くことだったけれどレオンで自転車産業に従事することになったのだ。

日本はメキシコを信頼しています

鈴木総領事はグアナファトには 将来性があると断言 Por Pablo César Carrillo アメリカ人は知りませんが日本人はメキシコを信頼しています。 鈴木総領事は 新しいアメリカの大統領によって先行きが不透明となっている経済について日本人はメキシコを信頼していると言及した。 ロペスマテオスのハンプトン・インの6階の領事館のオフィスでインタビューした。 日本人はメキシコを信頼しています。今も日本企業の3社からグアナファトでの開所式の招待が来ているんですよ。メキシコには将来性がたくさんあります。 私の同僚はメキシコ人は働き者でここにはたくさんの労働力人口がある。メキシコは青年の国なんだ。と言っています。 中国、韓国、アメリカなどでも青年人口は減っていますよね。グアナファト、ケレタロ、サンルイスポトシ、アグアスカリエンテスやハリスコで571社も日本企業があります。5169人もの日本人が働いていてグアナファト州内だけで234社も日本の企業があるんですよ。 日本企業は来なくちゃいけないし、そのプロバイダーのみなさんも。 日本人はこれからも投資をしますよ。でもアメリカを挑発しているわけではないのであまり目立ちすぎないようにしたいですね。 メキシコにはこれからもっと石油化学工業やプラスチック産業、スチールよりも強く熱にも強い炭素樹脂繊維の生産や産業物流、運送システム、鉄道や港の整備など増強が求められています。 メキシコは一日で1万台を輸出できるインフラを整備しなくてはいけない。 ベラクルス港、マンサニージョ港、プエルトバジャルタ港を発展させて船でヨーロッパ、南アメリカやアメリカに車をもっと輸出できるようにするのです。 グアナファトはまだまだ自動車産業を強化する必要があります。 そのためにはまだたくさんやることがありますね。 目標はアメリカとの経済関係ではなく もっともっと大きな事なのです。 メキシコに投資する企業の声 日本企業はメキシコを信頼しています ココメキシコが自動車関連企業の代表の声を紹介します メキシコは投資するのにとても魅力ある国です。日本企業はメキシコを注視しています。 管野 敬司Ent Precision メキシコ 社長 2年前にレオンに事業所を開設 アジアやアメリカにも自動工業のボルト締結部品を販売 ここの市場は多くの可能性がありますし メキシコ人は働き者でとても礼儀正しいです。 山崎一郎 美濃工業メキシコ社長 今年からレオン工場で自動車部品、アルミダキャストの製造開始 メキシコで生産するのはとても良いです。 市場は広がっていますし生産も増えてきています。 山田充利 パイオニア社長…