青山総領事:日本とバヒオ工業地域を結ぶ重要な架け橋

2024年より、在レオン日本国総領事を務める青山健郎氏は、グアナファト州、ケレタロ州、アグアスカリエンテス州、サン・ルイス・ポトシ州、サカテカス州の6州を管轄し、バヒオおよび中部メキシコ地域における日本の外交代表を率いています。 就任以降、青山総領事は州政府や市政府の関係者、さらに地域に進出する日系企業との連携を積極的に進め、非常に精力的な活動を展開してきました。 現地視察では、ヨコハマ・インダストリーズ・アメリカや、ダイキン・マニュファクチャリング・メキシコといった企業の工場の開所式や増設に立ち会い、バヒオ地域における日本の生産的な投資や、産業界との結びつきに対する取り組みを強化してきました。また、産業発展と統合に貢献した企業や業界リーダーの功績を称えました。 さらに、経済分野にとどまらず、文化、教育、イノベーション分野での交流促進にも力を注ぎ、現在、在レオン日本国総領事館の管轄地域には、約5,000人の日本人が居住しています。 青山総領事は両国が共に繁栄することを目指し、日墨間の経済協力の推進に尽力してきました。バヒオ地域への着任以来、学生、企業家、行政関係者、芸術家、そして日系コミュニティなど、幅広い層との対話を重ねています。 こうした活動を通じて、メキシコと日本の友好関係をさらに深め、相互理解の促進と国際協力の拡大を図っています。 出典:在レオン日本国総領事館 公式ウェブサイト

「私たちは単に安全用品を販売しているだけではありません。労働者の命を守っているのです」

LRソリューションズは、13年の経験を持ち、さまざまな業界向けに専門的な安全用品を提供している。 LRソリューションズは13年前にラウラ・ロドリゲス氏が夫とともに設立し、同社の継続的な改善に尽力してきました。彼女の行動力、カリスマ性、そして質の高い仕事へのコミットメントは、起業の道におけるさまざまな課題を乗り越える原動力となっています。 産業安全分野での経験を活かし、LRソリューションズは、極度の熱から身を守る手袋から日焼け防止ベストまで、さまざまな業種向けに専門的な製品を提供しています。 ラウラ・ロドリゲス社長が、自身の経歴や、自動車業界で信頼されるサプライヤーとなるために直面した課題などについて語ってくれました。 「どうして経営者としての道を歩み始めたのですか?」 「父が亡くなったのは、私が21歳のときでした。父は同じ業界でビジネスをしており、成熟した事業でしたが、父に大きく依存していました。父の死後、数年間は負債の整理、支店の閉鎖、従業員の清算などを行いました。長く厳しい、しかし非常に学びの多いプロセスでした。 母と兄弟を支えるため、個人用防護具を販売する会社に入りました。そこで多くのことを学びました。 1年後に結婚し、夫のアドリアンに励まされて再び起業することにしました。不安もありましたが、同時に熱意もあり、LRソリューションズを設立しました。最初はOXXOの店舗に販売していましたが、すぐに自動車業界に参入することができ、それが当社の成長のきっかけとなりました。」 「グアナフアトは日本企業の進出で良くなったと思いますか?」「間違いなく良くなりました。日本は私たちの主要な商業パートナーであり、自動車産業の進出は州の経済を完全に変革しました。多くの皮革工業が自動車産業へと進化し、それにより広範なバリューチェーンや専門的な雇用が生まれました。非常に深く、かつポジティブな変化でした。」 「仕事で最も楽しんでいることは何ですか?」「私は販売に情熱を持っています。私にとって販売とは人助けです。手袋やヘルメット一つで誰かの命を守ることができます。本質的に、私たちの仕事は高潔です。安全を販売することは、安全に家に帰れることを販売することなのです。」 「LRソリューションズが他社と異なる点は?」「個別対応です。私たちはオフィスの中だけで仕事をするチームではなく、現場で活動しています。週に20〜25の工場を訪問し、顧客のプロセスを理解したうえで、現実的な解決策を提供しています。」 「製品は非常に専門的ですが、季節ごとの対応はどうしていますか?」「暑い時期には水分補給や日焼け防止用品、冬は防寒着や認識しやすい装備を提供しています。」 「企業家としての最大の強みは何だと思いますか?」「私は、教え導くリーダーシップを信じています。共に歩み、失敗を許すことで成長できる環境を作ります。チームを大切にすることで、チームが顧客に対しても同じ姿勢で接してくれると信じています。」 「この13年間で最も大きな課題は何でしたか?」「主に2つあります。1つ目は家族と働くこと。当初は困難でしたが、今では明確な方針を定めています。2つ目は女性経営者であること。依然として偏見が存在します。男性と取引したがる顧客や、女性リーダーへの信頼が薄い顧客もいます。また、腐敗に直面したこともあり、LRソリューションズでは厳格な反腐敗方針を掲げています。すべての挑戦が楽なものではありませんが、それが私を大きく成長させてくれました。」 「趣味はありますか?」「はい、6年前から絵を描いており、販売したこともあります。私にとって心のバランスを保つ大切な時間です。」 「日本企業と仕事をした経験はいかがでしたか?」「素晴らしい経験でした。日本企業は規律正しく、礼儀正しく、計画性があります。何ヶ月も前から注文をして、安定した関係を維持してくれます。支払いも期日通りで、継続性を重視します。サンプルを見たり、技術的な詳細の確認を好みますが、機器の正しい使用方法についてのアドバイスも評価してくれます。要求は厳しいですが、公正です。」 「メキシコで取引先を探している外国企業にアドバイスがありますか?」「認証を受けた企業を選ぶことです。認証はコンプライアンスと継続的改善の保証です。グアナフアト州には、倫理観や責任感を持つ価値あるサプライヤーが多く存在します。また、個人用防護具の未来は技術革新にあります。センサー、モニタリング、エネルギー効率。2030年を見据えた当社は、すでにその方向に歩み始めています。」

ペドロ・タナマチ氏 グアナファト初の日系市長

予備集計によると、ペドロ・タナマチ氏がグアナファト州初の日系市長になる可能性がある。ペドロ棚町氏はロミタ市長に就任する。 日本人の血を引く新市長は日系2世の実業家。 ルイス・タナマチ・ヒラタ博士(日系二世)の息子であり、日本人移住者であるタナマチ・ウタロウ氏の孫である。 ペドロ・タナマチ氏はラ・サール・バヒオ大学で経営学を専攻。現在は父親が設立した清掃会社「クリン」を経営している。 彼はロミータではPAN党から市長候補として出馬。2020年にはすでに同じ自治体の市長候補予備選に同じくPAN党から出馬していたが、その時は落選していた。

日本ルーツとの再会

日本生まれで東京出身のワタナベ·シュウスケ氏は、メキシコでの新しい生活を求めて3カ月の船旅に出ました。ワタナベ氏は航海中にスペイン語を学び、下船後は仕立て屋として働き始めました。メキシコシティに到着したワタナベ氏は、そこでオトミ族出身のメキシコ人女性、ミカエラ·ガルシアさんに出会います。彼女との間に3人の娘が生まれ、長女はエルサと名付けられました。エルサさんがわずか6歳のとき、ワタナベ氏は若くしてこの世を去りました。 「これが私の生い立ちです。エルサは私の母で、シュウスケ·ワタナベは私の祖父です」と語るホルヘ·ラモス·ワタナベさんは、切れ長の目をした時間厳守をモットーとする一流エンジニアです。 メキシコ人であるホルヘさんは、グアナファトに住むようになって自分の日系人としての原点を再認識したと言います。 「自動車関連の工場ができたことで、日本をより身近に感じるようになりました。ここで、自分の祖先についてもっと知りたいと思うようになり、日本語を習い始めました」 エンジニアであるホルヘさんは、学問と職業の両方の観点から祖父の祖国を知り、日本文化を学びたいと考えています。 現在、ホルヘさんはグアナファトに住む日系人コミュニティの組織化に取り組むチームの一員として活動しています。 「私は日本人のたくましさにとても共感しています。日本人には逆境に立ち向かい、前進する力があります。困難な状況の中を生き抜いて、あきらめずに戦ってきました」

ホセ・アルフレド・ヒメネスは今でも王様

グアナファト出身のこの作曲家兼歌手の音楽は、世界中でメキシコを際立たせている。 没後50年、ホセ・アルフレド・ヒメネスはいまだ「王様」であり、世界におけるメキシコ音楽の象徴でもあります。 先日、没後50周年記念式典が開催され、ディエゴ・シヌエ・ロドリゲス州知事は、グアナファト州出身のホセ・アルフレドの作品を同州の無形文化遺産に認定しました。 ドローレス・イダルゴで開催された、2023年ホセ・アルフレド・ヒメネス国際フェスティバルで、知事はこう宣言しました:「今日、私たちはこの町の偉大な音楽家への賞賛を記録に残し、彼の人生を讃え、彼の音楽に永続性を与えるためにここにやってきました。今日、私たちはメキシコが生まれ、偉大なるホセ・アルフレド・ヒメネスが生まれたこの恵まれた土地に集い、彼の素晴らしい音楽作品をグアナファト州の無形文化遺産とする政令第163号に署名します」 ホセ・アルフレド・ヒメネスの生涯 1926年1月19日、ドローレス・イダルゴ生まれ。ホセ・アルフレド・ヒメネス・サンドバルは、グアナファトのみならずメキシコを代表する音楽家として際立っていました。 サン・ニコラス大学卒の創薬化学者で、当時ドローレス・イダルゴで唯一の薬局を経営していた実業家アグスティン・ヒメネスとカルメン・サンドバルの息子として生まれました。 子供の頃からホセ・アルフレドは音楽と歌が大好きで、作曲の才能もあったと言われています。当時は農作業をする人々や動物に捧げる歌をつくり、フェスティバルで演奏していました。 しかし、彼がようやく10歳になった1936年に父親が亡くなり、ドローレス・イダルゴからメキシコシティに転居せざるを得なくなったことで人生が一転します。母親は薬局を売り払って食料品店を開いたもののうまくいかず、ホセ・アルフレドと兄のナチョは働くために学校を辞めなければなりませんでした。 その後、家族はグアナファト州に戻り、サラマンカに定住しましたが、ホセ・アルフレドはメキシコシティにとどまり、レストラン「ラ・シレーナ」でウェイターとして働きながら音楽活動を続けました。 彼のもう一つの情熱はスポーツで、レオン出身の有名なサッカー選手、アントニオ・ラ・トータ・カルバハルと同じチームに所属していました。 ラジオ局やレコード会社の門をたたいて数年が経ったころ、ホセ・アルフレドはアンドレス・ウエスカと出会い、RCAビクターのアーティスティック・ディレクターであったマリアノ・リベラ・コンデに紹介されました。 そしてロス・レベルデスというグループのボーカルとして歌い始め、今日でも良く知られている次のような曲を作曲しました:El rey(王様)、 Si nos dejan(二人をそっとしておいて)、Un mundo raro(不思議な世界)、 Tú y las nubes(あなたと雲)、 Amanecí en tus brazos,(朝の口づけ)、Cuatro caminos(4本の道)、Te solté la rienda(手綱を緩めた)、El jinete(悲しき騎手)、 La media vuelta(背を向けて)、 Ojalá que te vaya bonito(あなたに幸あれ)、…

えんぴつを植えるビジネス

このアイデアは、高校時代のある課題から始まり、現在では、サステナブルな古新聞で出来たエコえんぴつで環境に配慮する「Küil Escritura Sustentable」という名の会社に成長しました。当時高校生だったダニエルさんは、今ではサステナブルなエコえんぴつの販売を通じて環境意識を高めることに専心する、若き弁護士となりました。そして、ナワトル語で「書く」を意味する「Küil(キュイル)」社の生みの親でもあります。 ココ・メキシコとのインタビューで、ダニエルさんは環境に優しい会社として、成長と統合を目指すために解決してきた課題について話してくれました。 「最初のエコえんぴつはどのような鉛筆でしたか?」 最初は鉛筆には見えず、砂糖の入ったチュロスのようでした。見た目は実際の鉛筆からかけ離れたものでした。 「グリーン経済とは何ですか?」 *リデュース:古新聞を使用することで、新聞紙がゴミとなり下水や河川に流れ込んだり、燃やされたりするのを防ぎます。 *リユース:ユニークで新しいプロセスでの再利用。 *リサイクル:環境にポジティブな変化をもたらします。ゴミの量を減らし、木を大量に伐採しません。 「植えるえんぴつとは?」 鉛筆の上部にはカプセルがあり、野菜の種が入っています。鉛筆が短くて字が書けなくなったら、湿った土を入れた、深さ3センチの植木鉢に鉛筆を埋めます。カプセルはタピオカでできているので生分解され、約2〜3週間後には発芽し始めます。 もう一つの方法は、使用前の鉛筆のカプセルを少量の水で濡らして砕き、種を植えます。鉛筆は新品のままです。 「何か面白いエピソードはありますか?」 信号待ちの車に鉛筆を売っていた頃は、ひどい渋滞を引き起こしてしまいました。エコえんぴつ1本の購入でとプチトマトの苗をプレゼントをしたこともあります。女性たちはそれが気に入って何回も車で通ってくれたので、さらに交通量が増えてしまいました。 「Küilの鉛筆はどこで販売されていますか?」 現在、メキシコ全国のサンボーンズで販売されており、文具店ルメンでも販売される予定です。ほかにも多くの代理店で販売されており、フリーダ‧カーロのコレクションは、フリーダ‧カーロ博物館で購入できます。 www.kuil.com.mx

日本政府は、長年にわたり日本·メキシコの二国間関係強化に貢献した功績をたたえ、ロドルフォ·ゴンサレス·オノ氏に表彰状を授与。

在レオン日本国総領事館の板垣克己総領事は、日本・メキシコの二国間、特に広島県・グアナファト州関係強化に貢献した功績をたたえ、ロドルフォ・ゴンサレス・オノ氏に表彰状を授与しました。日本人の母とメキシコ人の父の間に生まれたグアナファト出身のロドルフォ・ゴンサレス・オノ氏は、グアナファト州政府の専門家チームや職員とともに、10年以上にわたって日本企業のグアナファト州への進出を促進してきました。ディエゴ・シヌエ・ロドリゲス グアナファト州知事一行が先日日本を訪問した際に湯崎英彦広島県知事から歓迎レセプションが開かれ、その場でロドルフォ・ゴンサレス氏が表彰されました。 ロドルフォ・ゴンサレス・オノ氏、二国の架け橋●ゴンサレス・オノ氏は20年以上前から東京在住。●メキシコと日本の文化・経済交流関係の柱となるさまざまな役職を歴任。●1998年~2002年:メキシコ外務省を通じて駐日メキシコ大使館文化担当参事官に就任。 ●2003年~2005年:メキシコ農畜水産農村開発食糧省(SAGARPA)より、在日コミッショナーを担当。●メキシコ農畜水産農村開発食糧省(SAGARPA)駐日事務所の設立および運営の基盤を築く。 ●2006年~:対メキシコを中心とした国際的なサービスを提供するコンサルティング会社、グローバル・パシフィコ・コンサルタンツを東京に設立し、現在も代表取締役を務める。●*ミゲル・マルケス、ディエゴ・ロドリゲス両州知事のもとで、ゴンサレス・オノ氏がグアナファト州駐日代表に任命されたこと(2014年~2020年)は、日本・メキシコ二国間の経済・学術・文化交流の拡大、強化に良い結果をもたらした。●グアナファト州政府が日本に常設オフィスを設けたことで、より多くの日本企業がグアナファトに進出するための鍵となった。

ケンジさん:日系グアナファト人ユーチューバー

ケンジさんの父親は1990年代にニューヨークからグアナファトへ自転車でやって来た。 ケンジさんの父親、トヨカシさんはニューヨークからアルゼンチンまで自転車で行くことを決意しました。しかし、道中のグアナファトで人生のパートナーとなる女性と出会い、その旅は中断することになりました。その決断には多くの人が驚いたそうです。当時の新聞はこの珍しい出来事を取り上げ、「世界を旅する途中で愛を見つけた」という見出しのニュースが掲載されました。このロマンティックな国境を超えるラブストーリーは、サンタ·ロサ·デ·リマののどかな風景を舞台に綴られました。東京生まれのトカヨシさんは、当時自国の生活に適応することができず、まさにサンタ·ロサ·デ·リマのような静けさを求めていました。YouTubeチャンネル『Japón Desconocido』のインタビューで、「母方の祖父がグアナファトで農業を営んでいたので、父はしばらく農作業の手伝いをしていました」と語っています。ケンジさんは母親と同じくグアナファトで生まれましたが、幼少期に一家はコアウイラ州に移り住みました。チューニング(車のカスタマイズ)のコンテンツに特化したクリエイターであるケンジさんは、その頃から“周りとは違う”メキシコ人であることを意識するようになりました。「12歳のとき、自分が100%メキシコ人ではないことに気づき、そこから日本の文化に興味を持ち始めました」とケンジさんは語ります。今日、ケンジさんのYouTubeチャンネルはメキシコと日本を結ぶ架け橋となり、二国の共通点や相違点などを自然体で伝えています。現在22歳のケンジさんは、本当の自分を見つけようとしています。子どもの頃に一度日本を訪れたことがあるものの、18歳で初めて長期滞在を経験しました。日本国籍を所有しているにもかかわらず、カルチャーショックは複雑だったようです。彼は日本での日常生活を紹介した動画の中で、「車と、タイヤの焦げた匂いと、エンチラーダス·スイサ(メキシコ料理)の大ファン」と語っています。ケンジさんの北部訛りのスペイン語と、コアウイラの習慣(コリード音楽を聴いたり、バーベキューをしたり、アコーディオンを弾くなど)により、彼のチャンネルはメキシコ人からも、メキシコに興味がある日本人からも、「同胞の声」として支持されています。数十年前、彼の父親がそうであったように、ケンジさんは自分の心がどちらの国を求めているのかを模索しています。地球の裏側で育ったものの、日本からの影響も受けて成長してきました。ケンジさんはSNSを通じて、自身でそれを発見しながら、フォロワーにも発信し続けています。 YouTube: @kenyinakamura Instagram: @kenjikuun

日本とグアナファトの関係に一時代を築いた安倍晋三氏

安倍元総理が日本の首相を務めた最初の2年間である2012年から2014年にかけて、グアナファト州では800人以上の日本人を受け入れました。 安倍氏が任期を終えた2020年には、2500人以上の日本人がこの州に居住しており、これは彼の経済政策が直接私たちに影響を与えたことを証明しています。日本を再び世界の舞台に押し上げ、長期低迷に陥っていた日本経済を回復させたと評価されています。安倍氏は、戦後生まれで初の最年少の首相となりました。 彼の在職期間であった8年間は、グアナファト州に日本人コミュニティが誕生した時期と重なっています。 政権初期には、ホンダやマツダのグアナファト州進出により、これまでの日本人移住者の90パーセントがやって来ました。2011年から2014年にかけて、日系企業は当初の14社から150社に増加しました。この間、安倍元首相は訪日したエンリケ・ペニャ・ニエト大統領(当時)と、14の貿易協定に調印しています。 また、2016年には、アグアスカリエンテス州、ハリスコ州、ケレタロ州、サン・ルイス・ポトシ州、サカテカス州に住む5000人以上の日本人、そして安倍政権の経済政策「アベノミクス」によって、日本とメキシコの経済連携が再認識され、州内で増加傾向にある日本人移住者に対応する目的で、グアナファト州に領事館が開設されました。

世界トップの自動車セールスウーマンはメキシコ人

2022年フォーブス誌の「メキシコで最もパワフルな女性100人」に選ばれ、現在も日産自動車株式会社のグローバル・セールス・ディレクターとして活躍中。 メキシコの自動車業界でも最も影響力のある一人と言われるマイラ・ゴンザレスさんは、大学在学中に自動車の販売を始めました。最初の1台目はオパールブルーのキャバリアだったと、彼女はインタビューで振り返っています。車を買いたいと思っていたマイラさんは、セールスウーマンとして販売店でアルバイトをしたことが出発点となりました。現在、彼女は日産自動車のグローバル・セールス・ディレクターを務めており、日本の自動車メーカーにおいては画期的な出来事です。2019年から東京でこの役職に就く前には、80年以上にわたる世界的な日産の歴史の中でも類がない、日産メキシコを率いる初の女性社長となったのです。 6月、フォーブス誌が「2022年メキシコで最もパワフルな女性100人」を発表しましたが、そこにマイラさんも掲載されています。しかし彼女はその快挙を謙虚に受け入れ、急成長するキャリアよりもプライベートな生活の中での役割を優先させています。Twitterアカウントでは、自身のことを「母、妻、娘、それに日産自動車のグローバル・セールス・ディレクターとしても知られています」と紹介しているように、役職は彼女の人生における「プラスアルファ」にすぎないのです。