日本人の目から見たメキシコ

日本人写真家・篠原誠二氏は43年前にメキシコに渡りました。メキシコ在住の日系人らをとらえた映像は、彼の写真への情熱と日墨両国への愛情を反映しています。 メキシコの文化や伝統に魅了された篠原氏は、写真を通して日墨の二国間関係を表現するよう努めてきました。これまで130年間続いてきた日墨友好関係に貢献していくことも一つの目標です。 ココ・メキシコへのインタビューで篠原氏は、出生は日本であるものの、心はもうメキシコ人だと語っておられました。メキシコ人女性と結婚し、ご子息は日本から離れた国で育ちましたが、メキシコという第二の故郷で生活することに誇りを感じています。 これまでに、「移民1世の肖像」、「日系二世の肖像」、そして「日系三世の肖像」の三冊の写真集を出版しています。 最近の作品は写真集「Arrotilla」で、Arroz(日本米)とTortilla(トルティージャ)を組み合わせた造語から、バヒオ地区に住む日本人コミュニティの日常が60枚に及ぶ白黒写真で表現されています。この写真展はレオンにあるラ・サジェ・バヒオ大学のMIM美術館で12月末まで鑑賞できます。 また、美術歴史博物館においてもグアナファト−広島展にて篠原氏の作品が展示されています。 アロティージャ展 ラ・サジェ大学MIM 美術館(ドン・ロベルト・ゴンサレス・バレラ室) 8月23日〜12月末 月曜日−金曜日:午前10時〜午後3時 土曜日:午前10時〜午後2時 入場無料   グアナファト−広島展 美術歴史博物館 8月25日〜10月21日 火曜日−金曜日:午前10時〜午後5時 土曜日・日曜日:午前11時〜午後6時 入場無料

在レオン日本総領事館 初の女性領事

バヒオ地区在住の日本人をサポートするという使命を抱いて、2年前にメキシコに来られました。当時開設されたばかりの在レオン日本総領事館では、勤務していたのは3名のみでした。 バヒオ地区在住の日本人をサポートするという使命を抱いて、2年前にメキシコに来られました。当時開設されたばかりの在レオン日本総領事館では、勤務していたのは3名のみでした。 小林明子さんは当時を振り返り、「日本人コミュニティがどのくらい増えるのか想像もつきませんでしたが、最初の一年で予想以上の増加がありました。」とレオンを去る数日前に話してくださいました。   明子さんは在レオン日本領事館首席領事としての任務を終え、エクアドルでの新しい職務に就くためすでにメキシコを後にされましたが、レオンに大きな足跡を残されました。 日本人コミュニティの支援、地方自治体と新参日系企業を結ぶパイプ役となるなど、両国間の架け橋としての役割を果たされました。 また、様々なフェスティバルや、発足式、展覧会、企業会議に参加するなど、常に同胞に寄り添って来られました。 明子さんは大学卒業後、23年前から外交官として働き始め、これまで東京の政府機関、スペイン、日本大使館、イタリア、ドミニカ共和国、メキシコで勤務し、現在はエクアドルに赴任されています。 レオン滞在中の2年間で明子さんはバヒオ地区の経済成長と、日本人コミュニティが及ぼす影響を目の当たりにしました。 この先第二段階が訪れる、と明子さんは語ります。 「ここ3、4年で多くの日系企業が設立されていますが、今後さらに増加するでしょう。メキシコ人は日本人をよく理解してくれますし、双方がお互いに向上していこうと努力しています。そういう点から見ても、バヒオ地区は確実に発展していくと思います。」 「最も重要なのは互いを知り、違いを理解することです。日本人は規律正しく、時間に正確です。メキシコ人は柔軟性があり、とても創造的です。その長所をお互いに学んでいけば、多大な利益をもたらすでしょう。」 明子さんは切ない思いでグアナファトを後にされました。「ここの人々は皆親切なので、日本人にとってこの町に居住することは良い選択肢だと思います。日本人もたくさん住んでいますし、路上のサインやレストランのメニューも日本語で書かれている所が多いですし、日系企業も集まっています。」 メキシコでの生活が懐かしくなる、と明子さんはこのように語ってくださいました。「メキシコでのたくさんの素晴らしい思い出を胸に、テキーラとメキシコのおもちゃを土産に持って行きます。ここでの生活はとても幸せでした。」 SaveSave

サルバティエラへ お越しください

サルバティエラのホセ・バスケス市長が自ら 市内の建築物や地域の伝統行事の紹介、 自然豊かな絶景が広がる 肥沃で広大な 土地を案内してくれた 彼の言葉を紹介する ●サルバティエラはスペインの政令によって建設されたコロニアです。 この街は建設されたときから魔法のように美しいのです。 ●5年前からプエブロ・マヒコの認定を受け観光にも力を入れています。 インフラをさらに整備し、通りや公園の美化してきました。 ●観光客のみなさんがレルマ川沿いを散策できるように川の美化に取り組んでいます。 ●ルス教会、ラス・カプチーナやサンフランシシコ教会など訪れる価値がある宗教建築物も多く観光スポットになっています。 ●メキシコ国立自治大学の協力でエル・マジョラスゴ文化センターで英語、フランス語、日本語のクラスを市民に開講しています。 ●ここは肥沃な大地が広がっておりピーナッツやグアジャバ、サツマイモ、ベタベルやにんじんなど35種類以上の農産物を生産しています ●サルバティエラは料理もとてもおいしいので有名です。ウリレオ(サルバティエラから5分)のモーレやトルティージャは品質もよく有名です。 ●6月には日本へ行ってサルバティエラのプロモーションをしてきます。 ここにも日本の企業が進出してくれることを願っています。

グアナファトで生まれた サムライ

オーディオ   Por Pablo César Carrillo アントニオ・ラミーレスは日本語を話し日本刀も操る。空手は九段。  ミヤギ先生の名で親しまれる彼は グアナファト州サラマンカで生まれたことを除けば どこから見ても日本のサムライだ。 彼は38年前に空手をはじめて以来 メキシコ・日本人になると決めた。その経緯から、グアナファトで初めて 日系の自動車組み立て工場のマツダの誘致の立役者となった。 以後グアナファトは自動車産業のブームが巻き起こった。 当時サラマンカの市長だったアントニオ・ラミーレスは 契約が成立した イラプアトのホリデーインで過ごした夜のことを思い出す。 会議がはじまって12時間以上たった夜の10時を過ぎた頃、 マツダの幹部側からはサラマンカ・プリーナの土地を候補にあがっていたが 政府の意向とは違いなかなか交渉が成立しない。グアナファト政府側から 「プリーナの土地なら グアナファトに来られるんですね?」日本人たちは 契約にサインをし州知事の署名も要求した。 そんな時間に私たちは当時のグアナファト州知事であった フアン・マヌエル・オリバ氏にサインをもらいに車を走らせた。  その夜、グアナファト州の経済の歴史が変わったんだ。 マツダの候補地だったブラジルやアルゼンチンに勝ったんだ。 はじめにマツダが来てホンダ、トヨタなど自動車関連の企業が100以上がグアナファト州に集結したんだ。 はじめの一社を誘致するのが大変だった。でもオリバ元州知事の助けもあって達成できた。 そんな経緯もあってアントニオ・ラミーレスは更に日本人っぽくなった。現在は日本人のミサオさんという息子のお嫁さん、お孫さんのナオキ君もいる。 故郷のサラマンカはたくさんの日本人がいる。今は日本武道の学校も経営する。以前はグアナファトでちょっと変わったサムライだったミヤギ先生。現在は存在感たっぷりで流行の先端を行くのはトーニョだ。

グアナファトに 自転車産業を興した 日本人の戸塚さん

オーディオ レオンにはじめに やって来た日本人 Por Pablo César Carrillo 1995年ある日本人家族がレオンに 自転車産業を興した。 日本人特有の器用さで自転車の修理や整備をはじめたのだ。 当時はじめた店舗はまだミゲルアレマン通りに健在だ。 10歳で来墨したミキオ・トツカさんは62歳を迎えた。 商売を始めたのは彼の父キンキチ・トツカさんだ。フランシスコというメキシコ名もある。彼は荷物運搬船に勤務していて 日本の商品を南アメリカへ運んでいた。一時期はペルーにも住んでいたそうだ。 フランシスコ・キンキチさんはアメリカに住もうと思いバハカリフォルニアのメヒカリから国境を越えようと思った。 しかし戦争が起こりメヒカリの日本人はグアダラハラへ送られそこで農業に従事した。 彼はレオンで自転車の商売をしている知り合いからレオンに来ないかと言われるまでハリスコ州にいた。 それからレオンに彼は留まった。 ミゲルアレマン通りの店舗に自転車の店を出してからは街で 自転車の王様といわれるほど有名になった。 今は同じ通りに2つ店舗を出し イラリオ・メディナにも一店舗ある。 彼はもう自分を日本人だと思っていない。トツカさんはメキシコ人なんだ。日本語も話さないし、日本のことも知らない。でも目は細長く肌も黄色い。メキシコ人っぽい日本人いや日本人っぽいメキシコ人だ。 その昔自転車を売る東洋人は日本人だけだった。でも今はグアナファトに何千人もの自動車産業に従事する日本人がいる。 自動車産業ブームによって生まれた日本人の移住者は世界でも類を見ない。 メキシコ人のオクタビオ・ミキオ・トツカさんはここで自転車屋さんを続ける。 トツカさんはメキシコのような遠く離れた違う国に来るということの意味を良く分かっている。 日本人のみなさんにお願いしたい事は メキシコ人はとてもオープンでグローバルな国だということ。 グアナファトで自動車産業に従事している今の日本人にとってもトツカさんが経験したことが将来起こりうるかもしれない。 トツカさんのお子さんもお孫さんもメキシコ人だ。彼の計画はアメリカへ行くことだったけれどレオンで自転車産業に従事することになったのだ。

メキシコ人みたいな日本人

現在は10社の自動車関連産業のコンサルタントである。メキシカンハットにブーツを着こなし メキシカンダンスが得意で ポソレを食べる。 アツシは メキシコ人みたいな日本人だ。18年前にメキシコの大地に降り立ち 以来 メキシコに魅せられた。 どうして そんなにメキシコ人っぽいのか。 “昔 病気で 輸血しなくちゃいけなくなって 俺の体にメキシコ人の血が入ったってわけ”そう彼は答えた。彼はここで バヒオ地域の日本人とメキシコ人の橋渡しの重要な役割を担っている。 お気に入りの場所はありますか。 スタジアム。そこは自分の2番目の家と言えるくらいレオンの大ファン。スタジアムはすごい心地いい場所。 友達がはじめて グアナファトに来たら どこに連れていきますか。 レオンの中心地に連れて行きたいね。買い物じゃなくて 町を散歩したい。 日本人にお勧めのメキシコ料理は何ですか。 ポソレ。すごく美味しくて そんなに辛くないし。お肉に野菜も入っていて  たぶん みんな好きだと思うよ。 メキシコに到着したばっかりの日本人にすすめる事は何ですか。 メキシコは危険な国というイメージを取ってほしい。今はどこでも用心して生活しないといけないけど ここでも安全に暮らせることを知ってほしい。 ポソレとは 鶏や豚肉と大粒コーンを煮たスープ。千切りレタス、みじん切りの玉ねぎをのせて、お好みでレモンを絞って。トスターダ(あげたトルティージャ)と一緒に。

良き市民 になりたい

日本人はメキシコにびっくりさせられます。 ここには 耕作できる広大な土地があります。日本は山がたくさんあります。 ここにはたくさんの子供たちと青年がいます。 日本はたくさんの高齢者と成人がいます。 レオンの日本領事館の鈴木康久総領事は日本人がどのように新しい土地に適応していく過程を語った。 “私たちは 良き市民になりたいのです”。 日本から見てメキシコはどうですか。 「いいですよ。とても良い仲間ですし メキシコ、メキシコ人に好感を持っていますよ。」 にほんから見て グアナファトはどうですか。 「たくさんの日本人がバヒオ地域に住んでいます。静かな町で人々も素朴です。 これは多くのことを意味します。」 グアナフアトから見た日本はどうですか。 古い感じですね。 多くの高齢者がいます。メキシコは多くの青年が道を闊歩しています。 この地域は 日本にとってどのように見えますか。 とても良いパートナーですね。土地も美しいです。 日本は国土の85%が山地で居住、畜産、農業に適していないんです。 日本人は ここに馴染んでいますか。 多くの人がメキシコは変わったなと感じています。 国際化されてきていますね。メキシコ料理もそんなに辛い味付けにしてないですし、モダンになってますね。 多くの外国人にとってメキシコは コスモポリタンです。 個人的にお伺いします。 ここで一番 印象的なことはなんですか。 夜明けや夕暮れの太陽が本当に美しいです。高層ビルが少ないこともあり 地平線が見えるので 本当に美しい景色です。まだたくさんの自然があることも 印象的ですね。 ここで 日本人が直面している問題は どんなことですか。 多くの日本人はスペイン語を話さないので コミュニケーションするのが難しいことです。それは とても心配なことです。私たちは良い市民になりたいのです。もっと地域社会の輪の中に入っていかなくてはいけないんですが 言葉の壁が大きく 難しいと感じています。 治安についてはどうですか。 ここは日本よりも事件が多いのはわかっています。日本人への被害は 一ヶ月に4,5件 車のガラスを割って盗難されるケースが報告されています。 グアナファト州の州民の皆さんの働きぶりを 見られたことはありますか。 日本人が求めている 意欲がありみんなの雰囲気がいいところ それが メキシコ人労働者の中にあります。機転がきいて素直で早く仕事を覚える。とても適応していると思います。 ここでの生活の質はどうですか。 私はメキシコの人たちはよい生活をしていると思います。 カラオケが好きで レストランで食事をする。娯楽も多いですね。 日本の生活はもっと退屈ですよ。映画は高くて行けないし、レストランにも行きません。 ここで 日本に似ているような場所はありますか。 メトロポリタン公園ですね。とても緑が多くて 自転車に乗ってる人やウォーキングしてる人がいて そこから見える山もすこし日本の山に似ています。とても居心地がいいですね。 日本人にアドバイスはありますか。 もっとみんなの輪に入るように努力してほしい。 メキシコ人に挨拶してほしいですね。

陶芸

グアナファト州ヘレクワロ出身の陶芸家ハビエル・セルダンは今、日本人の間でも人気が出ています。 エウニーセ・メンドーサ ハビエル・セルビンの陶器には人格のようなものが宿っています。ハビエルは言います。「わたしの陶器は言葉を話すんだ。そうやってエネルギーを伝えて来るんだ。まるで生き物ようにね。」ひとつの陶器の完成に何か月も費やします。うわぐすりの準備から、型作り、装飾まで丹念に作業をします。「これらの作業ひとつひとつに魂を込めてるんだよ。」彼の陶器は芸術としての価値があります。これまで国内の賞を16個取り、陶芸家としては最高の名誉である大統領賞も二度授与しました。また国際的なレベルではカナリヤ諸島から2つの表彰を受けました。ハビエル・セルダンは現代国内最高の 陶芸家です。その才能の高さはもちろん、文化への貢献度も計り知れません。彼のスタイルは異端です。ほうろうを引かれたレリーフはセルビン固有のものとして登録されています。メキシコには様々な種類の陶器があります。粘土土器をはじめプエブラのタラベラ焼き、ミチョアカン陶器、そしてセルビンの陶器などです。セルビンの陶器を手にすることは名誉のひとつともいえます。事実入手には時間がかかり、現在、特別注文のリストは向こう3年間埋まっています。価格も高額なものでは15万ペソもします。しかし、セルビンの陶器の価値は非常に高く、メキシコのほか、スペイン、日本、ドイツ、アメリカ、コロンビアなどでも販売されています。彼の工房はグアナファト州のタランダクアオという人口一万二千人ほどの小さな町にあります。そこには50人の陶芸家がおり、月に6千個の陶器が製造されています。陶器の種類は500にも上り、食器や花瓶のほかに銀や流行ものの宝石などもつくられています。 若き日に援助をくれた日本人 最初のかまどを手に入れることができたのはナガスエ・シュウサクという日本人のおかげさ。その人はわたしにこうも言ってくれた。「もしかしたら、いつの日か君は偉大な陶芸家になるかもしれない」 山に生まれる •フランシスコ・ハビエル・セルビンはグアナファト州はヘレクワロのラ・ラグニージャと呼ばれる山村で生を受けました。子供の時から遊びがわりに石の破片で木を削っていました。その後メキシコシティで建築を勉強する傍ら、プエブラ出身の陶芸家のアシスタントになり、陶芸を学びました。陶芸家としての彼の才能は誰の目にも明らかであり、やがて彼は大学を中退し、陶芸に身を捧げる決心をつけました。 Servinどこで購入できるの? El bazaar Sábado 土曜日バザー 所在地 Local 31, Calle San Jacinto 11 Col. Alvaro Obregón, Delegación San Angel, Ciudad de México 毎週土曜日10時から19時 Azul Cobalto Galería 所在地 Calle Umarán 22, Zona centro グナファト州…