日系のレオン議会議員

政治家として日本とメキシコ両国の交流促進に奮闘する女性議員がレオンの議会で活躍している 山本吾一郎の孫はメキシコと日本の血が流れている。 彼女の名前は山本ベアトゥリス。2つの国籍を持ち、2つの文化を知る彼女は両国の交流推進のため日々貢献している。 彼女には祖父から受け継いだ働き者の日本人の血と創造性豊かなメキシコ人の血が流れる。彼女はレオン議会の議員としてレオンの観光の推進に力を注いでいる。また二国間の文化交流や国際料理フェスティバルや企業のメキシコ進出などに貢献してきた。 議員としてグアナファトの同胞のためできることはなんでもしたい。ベティーの愛称で親しまれる彼女は新しい決意をしてる。 “メキシコと日本の関係がこれからもよいものであるように。 両国の文化交流や留学の推進に貢献していきたい。そして私は日本人の友達になりたい”と語った。 日系の議員としてグアナファトのため40年間貢献をしてきた彼女は 日本のためにもできることはないかと動きだした。 “ここにいる日本人にも私が感じているような楽観的に人生を生きる姿勢、仕事の機会、自信などをもってほしいです。そして私がグアナファトが大好きなように日本人の皆さんもここで我が家にいるような気持ちで生活してほしいですね。できればここに残って子供たちと一緒にグアナファトで生活できる幸せを満喫してほしいです。”自動車ブームによって彼女は再び日本との接点を持ち日系の誇りを改めて感じた。

“メキシコ人になった気分”

メキシコ料理を堪能した午後の時間。日本人の大澤英子さんはエキゾチックなメキシコ料理を味わった。モルカヘーテのサルサの作り方を見てマラカスとギターの演奏に耳を傾けているといつの間にかレストランLa Bikinaのゆったりした陽気な雰囲気に溶け込んでいた。 みんなが陽気で親切な場所。そこはメキシコの縮図のような場所でした。 マゲイの虫を食べる時はちょっと緊張しました。タコスの中に入っているカリカリの虫を食べた時はもっとびっくりしました。もちろんおいしくて全部食べましたよ。 マゲイの虫を食べたり、蟻の卵を食べることはメキシコ人の間でもあまりないと聞きましたが私は幸運にも食べることができて本当に美味しかった。 モルカヘーテで作るサルサは絶対に試したいと思っていました。モルカヘーテは 石でできた器でサルサを作る時のチレをすりつぶすための道具なんですよ。 カラフルなブラウスを着たシェフの方がチレをそこですりつぶしてくれました。 いろんな種類のチレがあってそれぞれに調理の方法があることを知って驚きました。 メキシコ人の陽気な雰囲気がメニューからも漂っていて その雰囲気の中にいるだけで幸せな気分になりましたね。運ばれてきたのは緑・白・赤のメキシコの国旗の色の大きなお皿に名物のチレ・エン・ノガーダでした。 辛くないチレに甘すぎないソースがかかったおいしいお料理でした。 このレストランのメニューは全てメキシコ料理で、食事中でも歌って笑ってみんな陽気でいい人たちばかり。パーティーのような雰囲気でサービスもとてもいい。 レストラン内にはビジネスマン向けのエリアもあって快適でプライベートな感じでしたね。 La Bikinaは伝統的なメキシコに出会えるレストラン。ソンブレロ、ノパーレス、ギターにテキーラ。そんなメキシコを体験できました。  

ピミエント・モロン:甘いチリ

メキシコ人にとってチリなしで食べる食事は物足りなさを感じるそれほどメキシコ料理とチリは切っても切れない関係にある 今日は外国人に安心して食べてもらえる新鮮で歯ごたえがあって辛くないチレ・モロン(パプリカ)を紹介する。 メキシコは世界でチリの生産量が第2位。その耕作面積は14万9千ヘクタールになる。年間平均生産量は270万トンで225億ペソにもなる。 これはメキシコの農業生産物の中で第8位にランクインする。 チリは2種類に分別される。乾燥チリとチレベルデ(緑色のチリ)で 今日紹介するチレ・モロン(ピミエント・モロンとも呼ばれる)はチレベルデに分類されている。 チレ・モロンは甘みがあり肉厚で野菜の一種類と思っている人も多いだろう。 サラダにもよく使われているし、生でも加熱してもおいしい。 チレ・モロンは緑、黄、オレンジ、赤とカラフル。緑色のチレ・モロンは甘みが少ないが いろいろな色のチレ・モロンを使えば料理がカラフルに変身する。 チレ・モロンの生産量は10万4千トンでグアナファト州での生産が一番多く ハリスコ、ケレタロ、ドゥランゴ、コアウイラと続く。 おいしく食べられて、健康にもいいチレ・モロンは輸出品質基準を満たしておりカナダ、アメリカをはじめとする国々へ輸出されている。 2016年の8か月間でチレ・モロンの輸出額は7億8900万ドルで2015年より31.6%も上回った。 チレ・モロンは安心して食べられる辛くないチリ、お試しあれ。

日本の歌を歌うメキシコ人歌手

クリストファー・デラ・ベガはケレタロに住むエンジニアで日本のテレビ番組ののど自慢にも出演したことがある人気者 Por Violeta Bermúdez 日本のアニメや日本の文化が好きだったことそれが始まりだった。興味はどんどん広がって気がついたら日本語の歌を歌っていたという。今ではメキシコ人歌手の中で一番多くのインタビューを受けている。 2008年にロックバンドKakkoiiを結成。 オリジナルソングやスペイン語や英語、日本語の歌も歌っていた。日本語の歌をYoutubeにアップしたら日本のテレビ局から連絡が入った。 彼らに日本への扉が開いたのはL’Arcのカバー曲をアップしたからだった。そして L’Arcの2010年発売のDVDの Quadrinity の中でファンも収録に参加することができた。 その中にメキシコのロックバンドKakkoiiも選ばれたのだった。 こうしてメキシコ人の彼らが日本で有名になり日本のテレビ局からの依頼が舞い込むようになった。 その顔は見てみたい、世界の果てまでいってQなどの人気番組にも出演。日本からケレタロまで彼らを取材するために やってきたのだ。 のど自慢では優勝トロフィーを手にした。 メキシコ人歌手の彼は答えてくれた。 “これからも出来る限り日本の歌を歌っていきます。ずっと好きで歌い続けると思う。日本の歌にはメッセージが溢れていてテーマもすごい”   ユーチューブで見れるよ youtu.be/nBL2ieKC5H8 ¿Cómo se dice? Canción 歌 (Uta) Música 音楽 (Ongaku) Video ビデオ (Video) Banda バンド (Bando) Cantante 歌手 (Kashu) Artista アーチスト (Achisito)

蟻の卵グアナファトのエキゾチック料理

Por Pablo César Carrillo グアナファトのサンフェリペにエスカモーレ と呼ばれる蟻の卵を使ったエキゾチックな料理がある。 蟻の卵のタコスは一つで70ペソもする(4ドルくらいする時も)普通のトルティージャのタコスなのに一つ食べるとあまりの美味しさに すぐに追加でオーダーしてしまう。 蟻の卵を採るには土を崩さないように巣の中でとても慎重に行わなくてはならずとても難しい。蟻に攻撃される可能性も高い。だからエスカモーレは1キロ800ペソから1300ペソで取引される高級食材だ。季節によっても相場は変わる。 エスカモーレ料理を作るリサベット・クラウディオさんは言う。 “昔からこの辺りで蟻の卵が食べられていたとは知りませんでした。現在は卵の集積所や蟻の巣を守る活動も地域でやっています” “エスカモーレはインディヘナたちの時代からサンフェリペで食べられていましたが 私たちは砂漠のキャビアといわれるその味を 知らずにいました。” エスカモーレはメキシコ州、イダルゴ州やオアハカ州では有名だったが最近は卵を採りすぎたり巣が壊されたりして少なくなってしまった。 メキシコシティーなどの高級レストランで味わえるエスカモーレはグアナファトのサンフェリペのものだ。

エミリーとファンディエゴ 2つの文化の国際結婚

Por Pablo César Carrillo 忘れられない結婚式。日本人のエミリー佐藤さんとメキシコ人のファンディエゴは結婚した。披露宴ではビボラ・デル・マルを踊りテキーラを飲んでバンダを聴いた。 純白のドレスの日本人女性とスーツ姿のメキシコ人男性が国際結婚した。 ティファナで知り合った彼らはレオンに住んでいる。彼女はメキシコ人の彼を生涯の伴侶に決めた。メキシコはレディーファーストで男性が女性をエスコートする。 道を歩くときや車に乗るときなどさりげない心遣いがうれしい。 新婦は結婚式で着物を着なかった。日本式の結婚式にはしなかったのだ。 彼らはティファナで家族や友人60名を招待して結婚式をした。 エミリーさんは言った。“日本で結婚式をするのはとってもお金がかかるんですよ。 着物だけでも何千ペソもかかってしまうし。”メキシコで白のドレスに小さなブーケで結婚した彼女はとても綺麗だった。エミリーさんは続けた。“日本人はシャイで思っていることをダイレクトに伝えないことが多く 結婚や家族についての考え方もメキシコと大きく違います。”エミリーさんはファンさんと新婚生活を謳歌し二人ですばらしい家庭を作っていこうと努力している。“日本人の恋愛はとてもまじめなものだと思います。お見合いの習慣もあって結婚相手を紹介する時は相手の家族や収入について 女性は料理や家庭のことができるのかなどについても尋ねられるようです。”エミリーさんのお父さんは日本人でお母さんはメキシコ人だ。お二人とも仲良くお互いの文化を受け入れてこられた。エミリーさんたちは12月に結婚した。メキシコの音楽にビールにテキーラ。楽しく忘れられない思い出の結婚式となった。

メキシコと日本 プロレスの絆

Por Laura Campa プロレスは日本、アメリカ、メキシコでとても人気のあるスポーツだ。各国ともにリーグがある。日本では1950年代に日本プロレス協会が発足し力道山の全盛期を迎える。 柔道、野球そしてプロレスは最も人気のあるスポーツとして日本に浸透していった。 英語のプロフェッショナルレスシングの省略形としてプロレスという言葉が生まれた。 日本のプロレスの違いはその技に武道のテクニックが織り交ぜられていることと 勝負相手への配慮が深いことがあげられる。 メキシコでは好きなスポーツ第5位にランクインしているのがプロレス。 AAAや CMLLなどのメキシコプロレス協会はメキシコの2大プロレス協会として有名で海外遠征も行っている。 日本にも遠征する。メキシコとの試合はめずらしくない。日本で最も人気があるメキシコ人レスラーはミルマスカラでウルティモドラゴンはメキシコで日本人レスラーとして最もタイトルを獲得した。

ウルティモドラゴン

日本のプロレスラーでメキシコで最も人気があるのがウルティモドラゴンだ。メキシコにはタイトル獲得のためやってきた。メキシコをはじめアメリカでも活躍。2本の映画にも出演し現在は後輩の育成にあたる。彼がこれまでの経験を語ってくれた。 Por Laura Bermúdez 浅井嘉浩は日本人プロレスラーで40年に渡ってメキシコのプロレス界で活躍してきた 彼の名はウルティモドラゴン。彼は幼少の頃からメキシコのプロレスに魅了されてきた。 ミルマスカラス、カネック、エルサントがリングで戦うのを見てきた。 日本ではプロレスの身体検査で身長が低いことを理由にチャンスが回ってこなかった。それでも彼はあきらめなかった。トレーナーからメキシコ行きを勧められたのだ。“30年前の日本のプロレスラーは強くて背が高いのが当たり前でした。日本でプロレスが出来ないならとメキシコ行きを決断しました”1977年20歳で渡墨し練習に打ち込んだ。10年後ウルティモドラゴンとしてデビュー。アメリカ、日本にも活躍の舞台が広がる。“メキシコが私の人生の全てを開いてくれました。もしメキシコに来ていなかったら現在の私はありません”メキシコの子供も日本の子供もテレビでプロレスを見るのが大好きだ。なにか共通するものがあるのだろう。彼はアメリカ、日本、メキシコで活躍してきた。“私にとってプロレスは国が違っても同じです。違うのは戦うレスラーのスタイルだけです。”1996年からは後輩の育成のためプロレスの養成所を開いた。ここで日本、アメリカ、メキシコのプロレスラーを目指す若者が育っている。現在は闘龍門で日本企業を中心にプロレスのイベントをプロデュースしている。 次のウルティモドラゴンのイベント ドラゴンマニア 日本プロレスの年次イベント、アメリカとメキシコでのウルティモドラゴンの軌跡を紹介 開催場所  アレーナメヒコ メキシコシティー 開催日 5月27日 開催時間 午後6時 入場チケットやイベント情報はSNSで

日曜日の午後7時が一週間の仕事の始まり

グアナファトで日本企業に勤める日本人の週の始まりはメキシコ時間の日曜の夕方7時である。この時間にオフィスの電話が鳴り響く。ワーカホリックではなく時差のためだ。日本は月曜の朝9時。始業の時間だからだ。 メキシコと日本の時差は今は14時間。日本企業は当然のことながら日本時間で動いている。こちらの金曜は日本とのやりとりも少なくなる。日本の金曜はメキシコの木曜夜、こちらの金曜の朝10時は日本は夜中の12時だ。 会議や連絡が入ることは少ない。グアナファトの日本企業にとって日本時間でスケジュールを入れることは重要事項だ。ほとんどの企業には壁に2つの時計があり日本時間、メキシコ時間を刻んでいる。すぐにわかるように2つの時間が表示される腕時計を使う社員も多い。自動車の生産ラインにとって時間通りに作業を流すことは最も大切なことだ。 日曜午後7時、木曜の午前4時いずれにせよ時間に正確な日本人のように生産ラインも 正確に流れなくてはならない。

メキシコと日本の国籍の赤ちゃん

グアナファトの市役所では最近新しい名字の赤ちゃんの出生届けが出されている。例えば去年6月9日タナカ・ヒビキという日本人の両親から生まれたメキシコ人の赤ちゃんが戸籍に登録された。 お父さんはヒカルさんお母さんはサトコさんだ。 レオンには仕事で転勤されて来た。 初めての子供を外国で育てるなんて神経質になるかもしれない。市役所で出生届けを出すのも一苦労だ。 ヒビキ・レオン・タナカ君はメキシコで生まれたのでメキシコ人としても出生届けを出した。 ご両親はどのような手続きを行ったのでしょうか 日本人のお子さんの出生届けの提出方法について 市役所での手続きは戸籍課で行います。 手続きできる場所はたくさんあるので最寄の役所を探してください。 予約を取る事をお勧めします。月〜金 8時から3時半まで 新生児の出生届けに必要な書類 両親の戸籍の公印確認がされているもの(公文書上に押印されている公印確認があるもの) 戸籍は公認通訳士が公印確認をしたもの 必要書類をそろえて最寄の役所の戸籍課へ持参する グアナファト州の公認通訳士が翻訳したものを要求される場合がある 住所が記載されている電気、水道、固定電話の請求書3ヶ月以内のもの 身分証明書(パスポートや在留カード) 医師の出生証明書 保健省発行の新生児の予防接種手帳 市の健康センターで無料でもらえる 全ての書類の原本とコピーを持参すること 重要事項 出生から60日以内は無料で出生届が提出できるが 60日以降は131ペソかかる。