新しい日本企業

日本訪問の手ごたえは確かに キョウトプラテック 今年10月からシラオのプエルトインテリオール工業団地内で操業 自動車部品製造 投資額:2000万ドル、120名の雇用見込み ミナミダ 来年レオンのピルバ工業団地内で操業開始 自動車部品の冷間鍛造、ボルト、ロットの製造 投資額:600万ドル、80名の雇用見込み オガワ 来年シラオの工業団地プエルトインテリオールで操業開始 自動車部品製造 投資額:300万ドル、50名の雇用見込み イトチュ、ハイリホールディング アパセオグランデとサルバティエラにて操業 投資額:180万ドル、574名雇用見込み

日本の歌を歌うメキシコ人歌手

クリストファー・デラ・ベガはケレタロに住むエンジニアで日本のテレビ番組ののど自慢にも出演したことがある人気者 Por Violeta Bermúdez 日本のアニメや日本の文化が好きだったことそれが始まりだった。興味はどんどん広がって気がついたら日本語の歌を歌っていたという。今ではメキシコ人歌手の中で一番多くのインタビューを受けている。 2008年にロックバンドKakkoiiを結成。 オリジナルソングやスペイン語や英語、日本語の歌も歌っていた。日本語の歌をYoutubeにアップしたら日本のテレビ局から連絡が入った。 彼らに日本への扉が開いたのはL’Arcのカバー曲をアップしたからだった。そして L’Arcの2010年発売のDVDの Quadrinity の中でファンも収録に参加することができた。 その中にメキシコのロックバンドKakkoiiも選ばれたのだった。 こうしてメキシコ人の彼らが日本で有名になり日本のテレビ局からの依頼が舞い込むようになった。 その顔は見てみたい、世界の果てまでいってQなどの人気番組にも出演。日本からケレタロまで彼らを取材するために やってきたのだ。 のど自慢では優勝トロフィーを手にした。 メキシコ人歌手の彼は答えてくれた。 “これからも出来る限り日本の歌を歌っていきます。ずっと好きで歌い続けると思う。日本の歌にはメッセージが溢れていてテーマもすごい”   ユーチューブで見れるよ youtu.be/nBL2ieKC5H8 ¿Cómo se dice? Canción 歌 (Uta) Música 音楽 (Ongaku) Video ビデオ (Video) Banda バンド (Bando) Cantante 歌手 (Kashu) Artista アーチスト (Achisito)

エミリーとファンディエゴ 2つの文化の国際結婚

Por Pablo César Carrillo 忘れられない結婚式。日本人のエミリー佐藤さんとメキシコ人のファンディエゴは結婚した。披露宴ではビボラ・デル・マルを踊りテキーラを飲んでバンダを聴いた。 純白のドレスの日本人女性とスーツ姿のメキシコ人男性が国際結婚した。 ティファナで知り合った彼らはレオンに住んでいる。彼女はメキシコ人の彼を生涯の伴侶に決めた。メキシコはレディーファーストで男性が女性をエスコートする。 道を歩くときや車に乗るときなどさりげない心遣いがうれしい。 新婦は結婚式で着物を着なかった。日本式の結婚式にはしなかったのだ。 彼らはティファナで家族や友人60名を招待して結婚式をした。 エミリーさんは言った。“日本で結婚式をするのはとってもお金がかかるんですよ。 着物だけでも何千ペソもかかってしまうし。”メキシコで白のドレスに小さなブーケで結婚した彼女はとても綺麗だった。エミリーさんは続けた。“日本人はシャイで思っていることをダイレクトに伝えないことが多く 結婚や家族についての考え方もメキシコと大きく違います。”エミリーさんはファンさんと新婚生活を謳歌し二人ですばらしい家庭を作っていこうと努力している。“日本人の恋愛はとてもまじめなものだと思います。お見合いの習慣もあって結婚相手を紹介する時は相手の家族や収入について 女性は料理や家庭のことができるのかなどについても尋ねられるようです。”エミリーさんのお父さんは日本人でお母さんはメキシコ人だ。お二人とも仲良くお互いの文化を受け入れてこられた。エミリーさんたちは12月に結婚した。メキシコの音楽にビールにテキーラ。楽しく忘れられない思い出の結婚式となった。

日本―メキシコ間の増席

2017年後半期から主要航空会社でメキシコーアジアへの便が増便される。 全日空は東京への便で増席。アエロメヒコはソウルと広東への直行便も導入する。 コンチネンタル自動車部品がサンルイスポトシに進出 ドイツの自動車部品会社コンチネンタルが1億6700万ドルを投じて新工場を建設する予定だ。900名の雇用が見込まれる。その工場では油圧ブレーキシステム、ターボ充電機などを製造予定。 バヒオ自動車産業の更なる成長へ向けて バヒオ自動車産業が更なる成長へ向けて日本とメキシコの両国が相互協力するための プロジェクトが2017年からの5年間に渡って行われる。 これにはグアナファト州、ケレタロ州、サンルイスポトシ州の自動車関連企業が対象になる。日本の改善を重ねる技術をメキシコに浸透させ 関連企業に啓発を促す。 エル・ロサル日本への輸出開始 シラオ・デ・ラ・ビクトリアにあるエル・ロサルは2年間の交渉を終えてグアナファト州産の野菜を日本を輸出する運びになった。同社は水耕栽培を取り入れトマト、ピーマン、きゅうりの生産をしている。グアナファト州に新しい風を送り込んでいる企業だ。 水耕栽培は土ではなく化学肥料を使わなくてよいミネラル溶液の中で生産される。 日本はメキシコのエネルギー分野にも投資意欲 山田 彰大使は日本はメキシコの発電・石油開発に連邦レベルでプロジェクトの競合をすると語った。さらに日本はメキシコの自動車産業分野にのみ投資するのではなく エネルギー分野や農産物、インフラにもこれから投資が始まるだろうと示唆した。

自動車産業ブーム

.今グアナファト州は新しいデトロイドのように変貌している。 グアナファト州は大きく経済成長を遂げている。昔の田園地帯は今 工業団地に変わった。ブームはますます大きくなっている。サンフェリペ、トーレス・モチャス、ビジャグラン・コモンフォート、アバソロなど昔は農業のみの従事していた小さな町もブームにのって工業団地が並び国外の企業が進出している。 グアナファト州の地図を見ると日本企業がいかに多く進出しているかがわかる。 今号ではサラマンカのマツダ自動車にインタビューした。水谷智春社長はメキシコ人と日本人のコンビネーションの良さを強調した。松田自動車の最重要の組み立て工場内も案内してくださった。そしてもう一人のインタビュアーは覆面レスラーのウルティモドラゴン。 メキシコでも大きな軌跡を残した日本人プロレスラーだ。プロレスは日本でもメキシコでも大変人気があるスポーツの一つだ。ココメキシコが取り上げたもう一つのテーマは 春を告げる花ハカランダ。このメキシコを彩る花は日本人移民の庭師が持ち込んだものだった。空港で役立つ日本語、ワイン街道の特集もお楽しみを。ココメキシコを今号もお手に取って下さりありがとうございます。         エウニセ・メンドーサ

日曜日の午後7時が一週間の仕事の始まり

グアナファトで日本企業に勤める日本人の週の始まりはメキシコ時間の日曜の夕方7時である。この時間にオフィスの電話が鳴り響く。ワーカホリックではなく時差のためだ。日本は月曜の朝9時。始業の時間だからだ。 メキシコと日本の時差は今は14時間。日本企業は当然のことながら日本時間で動いている。こちらの金曜は日本とのやりとりも少なくなる。日本の金曜はメキシコの木曜夜、こちらの金曜の朝10時は日本は夜中の12時だ。 会議や連絡が入ることは少ない。グアナファトの日本企業にとって日本時間でスケジュールを入れることは重要事項だ。ほとんどの企業には壁に2つの時計があり日本時間、メキシコ時間を刻んでいる。すぐにわかるように2つの時間が表示される腕時計を使う社員も多い。自動車の生産ラインにとって時間通りに作業を流すことは最も大切なことだ。 日曜午後7時、木曜の午前4時いずれにせよ時間に正確な日本人のように生産ラインも 正確に流れなくてはならない。

映画へ行こう

バヒオに日本の映画がやってきた。アルカデ・メディダがプロデュースしたこの企画はバヒオで大好評だ Por Eunice Mendoza y Laura Campa 3月10日からCinemexの300の上映会場で日本の映画が見られる。グアダファトでの試写会で 片淵須直監督、声優の能年玲奈さん、鈴木康久総領事 水谷 智春メキシコマツダ自動車社長、ミゲル・マルケスグアナファト州知事らとともに 会場には50名以上の日本人も第二次世界大戦を生き抜いた少女の人生を描いた映画を鑑賞した。 監督の片淵 須直氏は20部門以上で賞を受賞したこの作品がメキシコでも多くの方に鑑賞されることを期待した。 ココメキシコのインタビューでバヒオに住む多くの日本人に向けてメッセージをいただいた。 「マツダの自動車工場を見学させていただき、日本人とメキシコ人が一緒に作業し働いてる姿に大変感動しました」と語った。 グアナファトに住んでいるたくさんの日本人の中にも映画の舞台と同じ広島出身の人がいる。 グアナファト州知事は広島とグアナファトの姉妹都市協定やこの映画を通して広島の歴史を学べる意義について述べた。 鈴木総領事はこの映画を通してメキシコと日本にある文化の相違点を埋められるのではないかと語った。 家族全員で楽しめる映画をぜひ見に行こう。

120年前にやってきたはじめの日本人たち

オーディオ チアパスでコーヒーを栽培するため35人の 日本人がメキシコに到着 Por Kokó México 1897年榎本移民はコーヒーを栽培して日本に持ち帰るためメキシコに到着した。 榎本の夢は達成されることはなかった。チアパスにたどり着く事なく榎本移民はばらばらになってしまったからだ。 レオン領事館の資料によると 1903年に次の日本人移民がやってきた。コアウイラの鉱山で48人が働くためにやってきたのだ。 その後の到着した日本人はコリマで鉄道を作ったり、オアハカのサトウキビ畑で働いていた。 1907年には8千人の日本人がメキシコにいた その中の一人にマツモトという人がいた。彼は現在のメキシコでとてもポピュラーな2つの植物をブラジルから運んできた。 ハカランダとブーゲンビリアだ。 日系人の増加に伴いメキシコシティーに日本人学校ができ日系の小中学校ができた。現在の日本メキシコ学院の前身になった。 小林明子元レオン領事は現在メキシコに2万人近くの日本人の移住者がいてそのほか1万1千人は滞在者であるという。これからもっと日本人が来るでしょうと語ってくれた

グアナファトに 自転車産業を興した 日本人の戸塚さん

オーディオ レオンにはじめに やって来た日本人 Por Pablo César Carrillo 1995年ある日本人家族がレオンに 自転車産業を興した。 日本人特有の器用さで自転車の修理や整備をはじめたのだ。 当時はじめた店舗はまだミゲルアレマン通りに健在だ。 10歳で来墨したミキオ・トツカさんは62歳を迎えた。 商売を始めたのは彼の父キンキチ・トツカさんだ。フランシスコというメキシコ名もある。彼は荷物運搬船に勤務していて 日本の商品を南アメリカへ運んでいた。一時期はペルーにも住んでいたそうだ。 フランシスコ・キンキチさんはアメリカに住もうと思いバハカリフォルニアのメヒカリから国境を越えようと思った。 しかし戦争が起こりメヒカリの日本人はグアダラハラへ送られそこで農業に従事した。 彼はレオンで自転車の商売をしている知り合いからレオンに来ないかと言われるまでハリスコ州にいた。 それからレオンに彼は留まった。 ミゲルアレマン通りの店舗に自転車の店を出してからは街で 自転車の王様といわれるほど有名になった。 今は同じ通りに2つ店舗を出し イラリオ・メディナにも一店舗ある。 彼はもう自分を日本人だと思っていない。トツカさんはメキシコ人なんだ。日本語も話さないし、日本のことも知らない。でも目は細長く肌も黄色い。メキシコ人っぽい日本人いや日本人っぽいメキシコ人だ。 その昔自転車を売る東洋人は日本人だけだった。でも今はグアナファトに何千人もの自動車産業に従事する日本人がいる。 自動車産業ブームによって生まれた日本人の移住者は世界でも類を見ない。 メキシコ人のオクタビオ・ミキオ・トツカさんはここで自転車屋さんを続ける。 トツカさんはメキシコのような遠く離れた違う国に来るということの意味を良く分かっている。 日本人のみなさんにお願いしたい事は メキシコ人はとてもオープンでグローバルな国だということ。 グアナファトで自動車産業に従事している今の日本人にとってもトツカさんが経験したことが将来起こりうるかもしれない。 トツカさんのお子さんもお孫さんもメキシコ人だ。彼の計画はアメリカへ行くことだったけれどレオンで自転車産業に従事することになったのだ。

陸前高田:荒廃した風景

レオンの日本領事館開館一周年と日本人のメキシコ到着120年の記念行事の一環として 畠山直哉さんの写真展が開催される Por Laura Campa 日本の写真家の畠山直哉さんの 陸前高田2011−2016の写真展がグアナファト歴史芸術博物館で開幕した 2011年の津波によって破壊され放棄され荒廃した風景は畠山さんの作品に大きな影響を与えた。 展示会は津波以前の風景写真もあり 津波の破壊力を物語る。 東北地方を襲った津波。畠山さんは育った街の陸前高田にスポットをあてた。 この小さな村に高さ39メートルの津波が押し寄せた。 津波全体の被害は死者行方不明者が約2万人にもなった。4万戸の住宅が被害を受けた。 “津波で家族や家を流された人の写真というジャーナリズムを超えたものを伝えたかったんです。 私自身も津波で家族や仲間を失いました。 レンズから見つめる私の目は この人々の苦しみをそばで感じた自分とそうでない人では違っていて 単純に割り切れないことが多かった。”と彼は開幕式で語ってくれた。 グアナファト歴史芸術博物館にて5月7日まで開催。 10時から5時まで。入場料無料 畠山直哉さんってどんな人? 写真家で1958年の日本 生まれ。日本で最も有名な 写真家の一人としてその 芸術への貢献は日本政府から 高く評価されている。