Hirotecのシラオ工場長・ディレクターはシラオ人のエンジニアです。経理・購買・物流・ITディレクターはレオン人で20年以上勤続している人です。
他にもHirotecには勤続15-20年以上の社員もおり会社を支えております。 Hirotecは常にメキシコ人を信頼してきました。
製造や会社の重要ポストなど労働力の大部分を占めるのはメキシコ人です。全社で1280名の従業員が居る中、日本人の駐在員はわずか7名しかいません。
メキシコ人は活躍し存在感を示しており、この日本を代表するドア・排気系部品の製造企業の舵取りをしているのは正に彼らです。
Guanajuato州にHirotecが来たのは24年前の事です。当時ヒロテック日本から述べ約100名の日本人がやってきました。彼らは日本の「仕事の哲学」を導入し、「改善」手法を教え、高い技術・知識を共有し、世界に通じる日本品質に到達するまでとなりました。
今日Hirotecには多くのメキシコ人がおり、シラオにある有名企業向けの良質な自動車ドアの製造を担っているのです。その顧客からは何度も「年間最優秀サプライヤー」に認定されているとの事です。また、Hirotecの製造する部品はその他にも様々な顧客向けに納入されております。
Hirotecでは、日本の技術とメキシコ人人材によって、なんと1日に1万枚以上のドアが生産されております。毎日の作業において、Hirotecのメキシコ人は規則正しく、継続的改善をもって働いています。機械は近代的・高技術のロボットを使用し、ベストな結果を得るため目標設定・管理が徹底されております。自動車産業において彼らはエキスパートです。
改めて、Hirotecには20年以上勤続している従業員がたくさんいますが、それこそが、企業が成長してきた「証し」なのです。
“ここでは私たちは一つの家族です”‘
Gisela Padilla
経理・購買・物流・ITディレクター
勤続23年
“私は経理士でレオン出身です。以前はある国際的なコンサル会社に勤務し、Fipasi内の企業の税務監査を行っていました。ある時Hirotecの副社長(日本人)から一緒に働こうと誘ってもらいました。
私は日本人役員のプロフェッショナリズムの非常に高いレベルに惹きつけられました。人はみな規則正しく、インテリジェンスがありました。日本から来た人でもメキシコの法律をよく知っていました。私は英語を学ぶための1年の猶予を与えられ、その後3カ月間アメリカのデトロイトへ派遣され財務の全システムの理解と導入のため準備を手掛けました。また教育のため日本へも研修で行く機会も与えられました。最近ではドイツへも行っています。
この経理の世界は従来「男性のフィールド」でしたので最初は苦労しました。エリアはどこであれ20年前は自動車産業で女性が働くことがまだ珍しかったのです。しかし日本人は私たちに信頼と自由を与えてくれました。ヒロテックの他(企業)と異なる重要な点は、メキシコ人にも重要な役職を与えられる機会が開かれていることでしょう。
Hirotecは私たちを信頼してくれました。これは新世代のマネジャーたちの成長にとって非常に重要なことだと思います。
Hirotecは一つの家族です。子供たちを成長に導き子供ら自身に決断を取らせる。 私たちはお互いに信頼し合い、決して一人にはさせません。
家族の中では日々、より良い人であろうと努力します。今までにいくつも挑戦がありましたがみなお互いを助け合ってきました。多くの人がここでその歩みを20年間以上続けており、私たちは良い時も悪い時も一緒にいるチームです。Hirotecの従業員は貴重な人材です。”
“プロフェッショナルとして非常に充実していると感じます”
Alberto Nuñez
Hirotec工場長・ディレクター
勤続23年
“私は電気メカニックエンジニアです。元々シラオ出身でTecnológico de Leónで
学びました。以前はGeneral Motorsで働いておりその後Hirotec がGuanajuatoに来たことを知り自動車産業で自分がより成長するよい機会なのでは、と思いました。この企業で働き始めて以来、他企業には移ったことはなく、23年経ちました。ここでの仕事は私が思っていた以上のことを与えてくれました。プロフェッショナルとして非常に充実していると感じます。
私は成長してきました。最初はあるエリアの担当者として仕事を開始し、日本人と接する機会も多く彼らの文化を知ることができました。
メキシコで導入する作業システムを学ぶため、日本へも研修に行きました。特にHirotecはメキシコ人、メキシコの文化、私たちの伝統的なことをよく重んじてくれる会社だと感じ、当時私は日本の方法論にとても賛同し始めました。
仕事はもちろん大変ですが日本の思いに賛同しています。ヒロテックはグループとしての連帯感が非常に強く、心地よくいられるための自由も与えてくれます。
日本人はこの自動車業界での仕事の仕方を教えてくれました。多くの人が現場に来ましたが、その当時私たちは機械の操作の仕方も知りませんでした。そこで最初は合計約100名の日本人が各エリアに入りそのプロセスを見せてもらい、そして私たちはお互いにサポートし合ったものでした。
社長は歴代日本人ですが、初代社長のビジョンは「私はいつか、この工場はメキシコ人に運営させたい」と仰ってました。当初、経営陣や要職はすべて日本人が占めていましたが、少しずつメキシコ人が優先される様になってきました。