チアパスでコーヒーを栽培するため35人の日本人がメキシコに到着
1897年榎本移民はコーヒーを栽培して日本に持ち帰るためメキシコに到着した。
榎本の夢は達成されることはなかった。チアパスにたどり着く事なく榎本移民はばらばらになってしまったからだ。
レオン領事館の資料によると 1903年に次の日本人移民がやってきた。コアウイラの鉱山で48人が働くためにやってきたのだ。
その後の到着した日本人はコリマで鉄道を作ったり、オアハカのサトウキビ畑で働いていた。
1907年には8千人の日本人がメキシコにいた
その中の一人にマツモトという人がいた。彼は現在のメキシコでとてもポピュラーな2つの植物をブラジルから運んできた。
ハカランダとブーゲンビリアだ。
日系人の増加に伴いメキシコシティーに日本人学校ができ日系の小中学校ができた。現在の日本メキシコ学院の前身になった。
榎本武揚はラテンアメリカ大陸初の 日系移民コロニアを作った