グアナファトの市役所では最近新しい名字の赤ちゃんの出生届けが出されている。例えば去年6月9日タナカ・ヒビキという日本人の両親から生まれたメキシコ人の赤ちゃんが戸籍に登録された。 お父さんはヒカルさんお母さんはサトコさんだ。 レオンには仕事で転勤されて来た。 初めての子供を外国で育てるなんて神経質になるかもしれない。市役所で出生届けを出すのも一苦労だ。 ヒビキ・レオン・タナカ君はメキシコで生まれたのでメキシコ人としても出生届けを出した。 ご両親はどのような手続きを行ったのでしょうか 日本人のお子さんの出生届けの提出方法について 市役所での手続きは戸籍課で行います。 手続きできる場所はたくさんあるので最寄の役所を探してください。 予約を取る事をお勧めします。月〜金 8時から3時半まで 新生児の出生届けに必要な書類 両親の戸籍の公印確認がされているもの(公文書上に押印されている公印確認があるもの) 戸籍は公認通訳士が公印確認をしたもの 必要書類をそろえて最寄の役所の戸籍課へ持参する グアナファト州の公認通訳士が翻訳したものを要求される場合がある 住所が記載されている電気、水道、固定電話の請求書3ヶ月以内のもの 身分証明書(パスポートや在留カード) 医師の出生証明書 保健省発行の新生児の予防接種手帳 市の健康センターで無料でもらえる 全ての書類の原本とコピーを持参すること 重要事項 出生から60日以内は無料で出生届が提出できるが 60日以降は131ペソかかる。
120年前にやってきたはじめの日本人たち
オーディオ チアパスでコーヒーを栽培するため35人の 日本人がメキシコに到着 Por Kokó México 1897年榎本移民はコーヒーを栽培して日本に持ち帰るためメキシコに到着した。 榎本の夢は達成されることはなかった。チアパスにたどり着く事なく榎本移民はばらばらになってしまったからだ。 レオン領事館の資料によると 1903年に次の日本人移民がやってきた。コアウイラの鉱山で48人が働くためにやってきたのだ。 その後の到着した日本人はコリマで鉄道を作ったり、オアハカのサトウキビ畑で働いていた。 1907年には8千人の日本人がメキシコにいた その中の一人にマツモトという人がいた。彼は現在のメキシコでとてもポピュラーな2つの植物をブラジルから運んできた。 ハカランダとブーゲンビリアだ。 日系人の増加に伴いメキシコシティーに日本人学校ができ日系の小中学校ができた。現在の日本メキシコ学院の前身になった。 小林明子元レオン領事は現在メキシコに2万人近くの日本人の移住者がいてそのほか1万1千人は滞在者であるという。これからもっと日本人が来るでしょうと語ってくれた
グアナファトで生まれた サムライ
オーディオ Por Pablo César Carrillo アントニオ・ラミーレスは日本語を話し日本刀も操る。空手は九段。 ミヤギ先生の名で親しまれる彼は グアナファト州サラマンカで生まれたことを除けば どこから見ても日本のサムライだ。 彼は38年前に空手をはじめて以来 メキシコ・日本人になると決めた。その経緯から、グアナファトで初めて 日系の自動車組み立て工場のマツダの誘致の立役者となった。 以後グアナファトは自動車産業のブームが巻き起こった。 当時サラマンカの市長だったアントニオ・ラミーレスは 契約が成立した イラプアトのホリデーインで過ごした夜のことを思い出す。 会議がはじまって12時間以上たった夜の10時を過ぎた頃、 マツダの幹部側からはサラマンカ・プリーナの土地を候補にあがっていたが 政府の意向とは違いなかなか交渉が成立しない。グアナファト政府側から 「プリーナの土地なら グアナファトに来られるんですね?」日本人たちは 契約にサインをし州知事の署名も要求した。 そんな時間に私たちは当時のグアナファト州知事であった フアン・マヌエル・オリバ氏にサインをもらいに車を走らせた。 その夜、グアナファト州の経済の歴史が変わったんだ。 マツダの候補地だったブラジルやアルゼンチンに勝ったんだ。 はじめにマツダが来てホンダ、トヨタなど自動車関連の企業が100以上がグアナファト州に集結したんだ。 はじめの一社を誘致するのが大変だった。でもオリバ元州知事の助けもあって達成できた。 そんな経緯もあってアントニオ・ラミーレスは更に日本人っぽくなった。現在は日本人のミサオさんという息子のお嫁さん、お孫さんのナオキ君もいる。 故郷のサラマンカはたくさんの日本人がいる。今は日本武道の学校も経営する。以前はグアナファトでちょっと変わったサムライだったミヤギ先生。現在は存在感たっぷりで流行の先端を行くのはトーニョだ。
グアナファトに 自転車産業を興した 日本人の戸塚さん
オーディオ レオンにはじめに やって来た日本人 Por Pablo César Carrillo 1995年ある日本人家族がレオンに 自転車産業を興した。 日本人特有の器用さで自転車の修理や整備をはじめたのだ。 当時はじめた店舗はまだミゲルアレマン通りに健在だ。 10歳で来墨したミキオ・トツカさんは62歳を迎えた。 商売を始めたのは彼の父キンキチ・トツカさんだ。フランシスコというメキシコ名もある。彼は荷物運搬船に勤務していて 日本の商品を南アメリカへ運んでいた。一時期はペルーにも住んでいたそうだ。 フランシスコ・キンキチさんはアメリカに住もうと思いバハカリフォルニアのメヒカリから国境を越えようと思った。 しかし戦争が起こりメヒカリの日本人はグアダラハラへ送られそこで農業に従事した。 彼はレオンで自転車の商売をしている知り合いからレオンに来ないかと言われるまでハリスコ州にいた。 それからレオンに彼は留まった。 ミゲルアレマン通りの店舗に自転車の店を出してからは街で 自転車の王様といわれるほど有名になった。 今は同じ通りに2つ店舗を出し イラリオ・メディナにも一店舗ある。 彼はもう自分を日本人だと思っていない。トツカさんはメキシコ人なんだ。日本語も話さないし、日本のことも知らない。でも目は細長く肌も黄色い。メキシコ人っぽい日本人いや日本人っぽいメキシコ人だ。 その昔自転車を売る東洋人は日本人だけだった。でも今はグアナファトに何千人もの自動車産業に従事する日本人がいる。 自動車産業ブームによって生まれた日本人の移住者は世界でも類を見ない。 メキシコ人のオクタビオ・ミキオ・トツカさんはここで自転車屋さんを続ける。 トツカさんはメキシコのような遠く離れた違う国に来るということの意味を良く分かっている。 日本人のみなさんにお願いしたい事は メキシコ人はとてもオープンでグローバルな国だということ。 グアナファトで自動車産業に従事している今の日本人にとってもトツカさんが経験したことが将来起こりうるかもしれない。 トツカさんのお子さんもお孫さんもメキシコ人だ。彼の計画はアメリカへ行くことだったけれどレオンで自転車産業に従事することになったのだ。
陸前高田:荒廃した風景
レオンの日本領事館開館一周年と日本人のメキシコ到着120年の記念行事の一環として 畠山直哉さんの写真展が開催される Por Laura Campa 日本の写真家の畠山直哉さんの 陸前高田2011−2016の写真展がグアナファト歴史芸術博物館で開幕した 2011年の津波によって破壊され放棄され荒廃した風景は畠山さんの作品に大きな影響を与えた。 展示会は津波以前の風景写真もあり 津波の破壊力を物語る。 東北地方を襲った津波。畠山さんは育った街の陸前高田にスポットをあてた。 この小さな村に高さ39メートルの津波が押し寄せた。 津波全体の被害は死者行方不明者が約2万人にもなった。4万戸の住宅が被害を受けた。 “津波で家族や家を流された人の写真というジャーナリズムを超えたものを伝えたかったんです。 私自身も津波で家族や仲間を失いました。 レンズから見つめる私の目は この人々の苦しみをそばで感じた自分とそうでない人では違っていて 単純に割り切れないことが多かった。”と彼は開幕式で語ってくれた。 グアナファト歴史芸術博物館にて5月7日まで開催。 10時から5時まで。入場料無料 畠山直哉さんってどんな人? 写真家で1958年の日本 生まれ。日本で最も有名な 写真家の一人としてその 芸術への貢献は日本政府から 高く評価されている。
車上荒らしに注意
車の中の貴重品をガラスを割って盗まれる車上荒らしのことをメキシコでは“クリスタラッソ”といいます 日本人が被害にあった車上荒らしは 一ヶ月で平均4〜5件報告されている。 ちょっとした工夫で車上荒らしの被害にあう確立を減らす事ができる 路上駐車やスーパーの駐車場などでは 明るい照明がある所で人気のないような場所には駐車しないこと 車のドアやトランクに鍵がかかっているか確認すること 重要な書類や現金や貴重品を見える場所に置かないこと 防犯ブザーが正常に作動するか確認すること コンビニや薬局、近所の小さなお店に行く時など どんなに短い時間であっても車から離れる時は車の窓を閉め忘れないようにすること 路上やモール内の駐車場、高速道路の休憩所でも長時間の駐車はさけること 有料の駐車場で盗難の被害にあっても被害の責任は負ってくない も被害にあった時 するべきこと 車上荒らしにあった車を動かさない 車が駐車している住所を確認する 911に電話をかける 自分の車が車上荒らしにあったこと 自分のいる場所を言う(住所を伝える) 911に通報し警察に被害状況を伝えることができます 警察に被害にあった周辺地域のパトロールや容疑者の捜索など 被害地域を重点的にパトロールしてもらいます 正式に警察署で被害届を出す事もできます。2時間程度の時間がかかりますが届けた場合、警察には捜査や経過を報告する義務があります犯人逮捕や盗難品の発見には至らない場合もあります 匿名通報 089 緊急通報 911 連邦警察 01 800 4403690 よく使うフレーズ Robo 盗難 (tounan) Cristal ガラス (garasu) Ayuda 援助 (enyo) Portafolio 書類かばん (shoruikaban) Computadora コンピューター (konpyuta) Cartera…
2つの祝賀行事
今回は2つの祝賀行事があった。 日本人が初めてメキシコに移民として来て120年前にメキシコにやってきた はじめの日本人 グアナファトにとって日本は重要な生活の一部になりつつある。 日本の産業はグアナファトの発展に大きく貢献している。鈴木総領事はインタビューの中で日本企業は日本人とメキシコ人で力を合わせて世界的に有名な自動車を生産していること。日本人がメキシコ人を信頼していることを語ってくれた。 この最強のコンビで世界を駆ける車を生産しているのだ。 今号ではグアナファトにやってきたはじめの日本人を紹介した。戸塚さんは自動車ではなく自転車産業を興した。1954年にレオンにやってきた彼は日本人っぽいメキシコ人となった。 これからメキシコと日本の歴史はもっと身近なものになっていくだろう。 アントニオ・ラミレス・バジェッホさんの人生も興味深い。マツダのサラマンカ誘致に貢献した彼はメキシコのサムライだ。グリセラ先生もすばらしい。 時には教室を飛び出して日本人に生きたスペイン語を教えている。 彼らは日本とメキシコの架け橋的な存在だ。 そんな人たちがいることを知るって素晴らしい。 出生届けの出し方や、日本人がメキシコで車上荒らしの被害にあわないための心得などお役に立てればうれしい。 グアナファトの美しい街サルバティエラはぜひ一度訪れてほしい。 日本はメキシコを信頼してくれている。 メキシコも日本を信頼している。 みなさんココメキシコをこれからも よろしくお願いします。
グアナファト州内の109の 学校に日本人が在籍
グアナファト州内の109の幼稚園、小学校、中学校に日本人が在籍している。 家族でメキシコへ赴任してきた日本人の子供たちはレオン、イラプアト、セラヤなどの主に宗教教育を行っていない私立の学校へ通っている レオンにあるHumaneには40人の日本人が通っている。メキシコの学校に入学する時に 必要書類はどんなものがあるか見てみよう。 出生証明書 これは日本の戸籍抄本でスペイン語に翻訳され領事館の公印があるもの 入学する子供のCURP 受けた予防接種のコピー パスポートのコピー 以前通っていた学校と成績の証明書 転校する学校により必要書類が異なる場合があるので 確認すること どんな意味 クルプ(住民固有コード)とは メキシコ政府が発行している住民コードで様々な行政上の手続きに必要である。取得は無料でホームページにパソコンでアクセスし データーを入力するだけ。 https://consultas.curp.gob.mx/
お酒のアイスは国際的な味
オーディオ グアナファト州のドローレス・イダルゴでエキゾチックなアイス(ニエベとも言う)が楽しめる。プラサ・プブリカで50種類以上のアイス Por Violeta Bermúdez ドローレス・イダルゴで手作りのアイスが評判だ。フルーツで作られた各種アイスはどこにでも売られているが “ラ・フローレス・デ・ドローレス”のは違う。 なんと日本酒を使ったアイスがあるのだ。フルーツとお酒を組み合わせた斬新な味わい。新鮮なフルーツと口当たりのいい甘さ。 このアイスの考案者は アントニオ・ガルシアさんと奥さんのテレサ・モンカダさん。 37年前のお店の開店からアイスを作り続けている。 お酒のアイスを考案したのは一昨年。グアナファトと広島の友好協定一周年を記念した 料理の品評会に出品した力作。 “美味しいものを追求することで有名な日本人のお客さんが よく買いに来てくれることは 私たちにとって大きな喜びです。”と アントニオさんは語る。 承認された高品質 1997,1998,1999年のメキシコ西部商工会議所から優れた品質の商品に贈られる小像を受賞 2011,2012年 ドローレス・イダルゴのアイスフェアで 第一位 2014年 スペイン・マドリードでイベロアメリカ食文化に命名 2015年 観光商品部門にて グアナファテンセス賞受賞 2016年 観光商品認定 よく使うフレーズ Nieve ニエベ (Niebe) Helado アイスクリーム (Aisukuriimu) Sabor 味 (Aji) Fruta フルーツ (Furuutsu) Fresco 新鮮 (Sinsen) Dulce 甘い (Amai)
ビジネスブリーフ
ミシュラン新工場を建設中 ミシュランはレオン市サンタ・アナ・デル・コンデに新工場を建設中。 100ヘクタールの土地に6,6億ドルを投資し1200名を雇用。年間1000万のタイヤを生産する。 日本から医療機器の贈呈 山田駐メキシコ特命全権大使はレオン市小児病院へ医療機器を寄贈した。脳波や筋電図を計測する最新の医療機器で病気の早期診断に役立つことが期待される。 マツダ3の売り上げ上昇 2017年マツダ自動車は38659万台を売り上げ 販売台数第9位になった。その売り上げの45%はマツダ3が占める。市場の人気ランキングでは13位になった。 トヨタ自動車プリウス メキシコで昨年前半期の高級車の販売は持続可能な環境に配慮したトヨタのプリウスがトップになった。 スズキとトヨタが連携の可能性示唆 日本の自動車メーカーであるトヨタ自動車とスズキ自動車は 世界水準の自動車産業の技術課題のため提携していくことを検討していると発表した。 メキシコー日本直行便就航 日本の航空会社ANAは2017年2月15日から 成田国際空港からメキシコ市のベニートフアレス国際空港に直行便を就航させる。 就航するのはボーイングドリームライナー787−8型機