レオン市はスペイン人エンリケス・デ・アルマンサ総督の指示により、スペイン人をメキシコ先住民の攻撃から保護する目的で設立された。 Por Kokó México レオンでは当初農業が主な産業で、後に民芸品や靴産業が導入されました。今日レオン市は世界的に靴の産地、そして皮製品製造の町として知られています。メキシコで生産されるの靴の約60%はレオン産のため、大半のメキシコ人が使用している履物はレオン市民によって製造されたと言っても過言ではありません。 レオン市ではこれまでに歴史的な出来事が起こっており、中でも1926年のクリステロ戦争時には政府のカトリック教会迫害に対して、カトリック教徒のレオン市民は抵抗を続けました。現在でも当時信徒が隠れていたトンネルが残されています。 レオンはグアナファト州で最も人口の多い町で、人口は100万人を超えており、メキシコ国内でも5番目に大きな都市です。 1月20日はレオン市の誕生日で、オーケストラの演奏や、踊り、ピエロや道化師のショーが楽しめるパレードが開催されます。パレードはイダルゴ公園からラ・フェリアまでの4.4kmコース。 また、1月11日〜2月5日の期間にはレオンフェリアが開催され、様々なイベントが楽しめます。グアナファト州遠方からもたくさんの人が訪れるこのフェリアは、国内でも大規模で人気があります。
メキシコ革命に参加した日本人−野中金吾氏
メキシコ史上でも名高い戦いの舞台で、日本人青年が 看護師として負傷した兵士たちの治療に奮闘した 九州で生まれた野中金吾氏は、1906年に国家再生中のメキシコに渡りました。 独立革命後(1810年−1821年)のメキシコではスペイン征服の後に主権国家が宣言され、メキシコ・日本政府の間でメキシコの人手不足を補うために農業に従事する日本人のメキシコ移住を奨励する条約が締結されました。 この最初の移民団として野中氏は叔父や親類と共に海を渡り、オアハカ州のサリナ・クルス・コーヒー農園で働き始めましたが、予定通りにことは進みませんでした。当時日本からの移住者は8000人を超えていたにも関わらず適切に取り仕切られていなかったため、農園での仕事だけでは十分ではありませんでした。 そこで野中氏が属していた移民団は鉄道線路を辿ってアメリカへ北上することに決めました。 まず国境近くにあるチワワ州シウダ・フアレスに到着し、そこで数か月働いてアメリカ行きの必要資金を蓄える予定でしたが、全くスペイン語が話せなかったため職を探すのも困難でした。 「何か食料が必要でしたが、スペイン語が話せないのでどうすればいいのでしょうか?公園のベンチで寝泊まりしていましたが、その正面には教会があり、ある女性が毎日そこを通って父を見ていたそうです。」野中氏の息子、野中ヘナロ氏は地元バハ・カリフォルニアのテレビ局のインタービューでこのように述べていました。 その女性はシウダ・フアレス市民・軍人病院の看護婦長であり、野中氏に初めは清掃員としての職をあてがいましたが、後にメキシコ革命で負傷した兵士を看護する職員の人手不足から野中氏は看護師として採用され、その理解力の高さからのちに看護助手まで昇進し、手術補助などを行いました。 「父は常に自己の向上を目指していましたが、指導は受けずに人の動作を見よう見真似で学んでいました。」こう話すヘナロ氏は父である金吾氏が綴っていた日記を見つけ、それを基に“Kingo Nonaka: andanzas revolucionarias” (2014)という本を出版しました。 メキシコ革命が始まり各地で激戦が繰り広げられていた頃には野中氏はすでに看護師としての手腕を発揮していました。同胞に会いにシウダ・フアレスからほど近いカサス・グランデスという地を訪れていた時、この地でメキシコの歴史的な闘争に遭遇することになります。 そこでメキシコの有名なフランシスコ・マデロ将軍が敵の手榴弾で右手を負傷した際に野中氏がその処置に当たります。 日記の中で野中氏は、50人もの兵士が命を落としたラス・カサスでの闘争中にフランシスコ・マデロ将軍と交わした短い会話をこのように書き残しています。 「何故メキシコ人同士で戦っているのですか?」と金吾氏が尋ねました。 「独裁者ポルフィリオ・ディアスの責任だ。彼のせいでメキシコ人は保証も正義も平等もなく、富裕な外国人の奴隷として働かされている。メキシコ人のためになら我々はどんなことでも犠牲にするが、もうディアス大統領の言いなりにはならない。その為に我々はポルフィリオ・ディアスの軍隊と戦う必要があるのだ。分かりますか、野中先生?」 「はい、将軍」 この時から野中氏はマデロ軍に加わり、14の戦闘で看護師部長として負傷した多くの兵士の治療にあたりました:マデロ軍で2戦、護憲軍北部師団の司令官となったパンチョ・ビジャ将軍のもとで12戦。 このように一人の日本人がメキシコ革命の歴史の一ページを刻んだのでした。 1969年には野中氏の功績が讃えられ、メキシコ政府からメキシコ革命における功労賞が授与されました。 メキシコ革命 (1910年11月10日) 無期限の大統領再選を可能とするなどの独裁政治を行っていたポルフィリオ・ディアス大統領に対して、実業家フランシスコ・マデロ氏が筆頭となり武装蜂起を行った。
天皇誕生日を祝賀
オーディオ 明仁天皇陛下83歳の誕生記念式典が開催され、バヒオ在住の日本人、現地政府要人らが祝福の意を表明した。 Por Violeta Bermúdez 天皇陛下の誕生日の祝賀会はレオン市にあるHOTSSON ホテルで開催された。 今回初めて グアナファト州で 天皇陛下の誕生祝賀会が行われた。 レオン領事館の鈴木総領事は 日本とメキシコの友好的な関係に感謝し 「私たち日本人、日本企業をメキシコの皆さんが友好的に迎えてくださったことに心から敬意と感謝の気持ちを申し上げたい」と挨拶に立った。 祝賀会は レオン市のロペス市長、レオン市議会のヤマモト議員、ビセンテ元メキシコ大統領など 多数の来賓が出席した。
レオン市の水は きれいで安全
世界水会議にてレオン市は “メキシコの誓約2101”賞を受賞 レオン市在住の読者で、家の水道メーターの横にある蛇口から出る水が安全でそのまま飲めることをご存知な方はどれくらいいるだろうか。 レオン市の浄水施設は厳しい世界最高レベルの水準だからだ。 メキシコは各都市ごとに浄水施設があり住民に水道を供給している。 レオンの浄水施設SAPALは国際機関のIELABによって安全管理されている。 重要なお知らせ レオン市内に住んでいる方だけが 水道水をそのまま飲むことができる。 但し、水道メーターの近くにある家の外にある蛇口の水だけである。 台所や洗面所の水はそのまま飲めません。浄水場から送られる水は清潔だが、各家庭の屋根に設定された貯水タンクを経由すると水は汚染される可能性が高い。