グアナファト州で日本の存在感が高いのは決して偶然ではない。グアナファトを世界の自動車産業発展のための重要拠点とするために、先見性のある人々が何年もかけて州の経済を立て直し、日本からの企業誘致に尽力してきた結果なのである。
日本企業のグアナファト進出から10年が経ち、その立て役者たちが自動車ブーム、そして日本の産業から学んだことを語ってくれました。
「お金や投資が目的だったのではありません。規律とメンタリティを追及したのです。同盟関係を模索していました」と、現プエルトインテリオール ディレクターで、日本からの投資促進の中心人物の一人であるエクトル・ロペス・サンティジャナ氏は述べました。ロペス氏は、前経済開発長官兼州知事であり、州政府の関係者と共に、日本からの投資に賭けていました。「日本人は誰もグアナファト州のことを知らず、州の名前を発音するのも困難な状態でした。」
自動車産業の発展を記念して、州政府は2022年9月2日から4日まで「マス・ハポン・エン・グアナファト」というイベントを開催します。セミナーでは、日本とグアナファトの関係について議論されます。
フアン・マヌエル・フェルナンデスシカゴ事務所長は、バスク地方のビルバオや、ドイツのシュトゥットガルトなど他の国にも行ったが、自動車分野において戦略的な味方を見つけることができたのは日本だったと語っています。
ラモン・アルファロ グアナファト州経済開発局長によると、グアナファト州への企業進出を説得するために、50回以上日本を訪れたそうです。
「決断する理由は経済的なことだけではなく、企業にとって立地を選定する条件は50以上にのぼります」とアルファロ局長は述べました。
グアナファト州に最初に進出した日系自動車企業は、カサイとヒロテックの2社です。カサイは日産アグアスカリエンテスのサプライヤーでしたが、労働力の奪い合いにならないように1998年にレオンに設立されました。そしてヒロテックはゼネラルモーターズのサプライヤーとして、アメリカンアクスルをサポートするための進出でした。
トランスカルチャーのプロセスは容易ではありませんでした。「ヒロテックでは従業員が聖母グアダルーペの絵を機械に貼り付けていたため、ストライキを起こす寸前でした」とロペス氏。
現在ヒロテックには聖母グアダルーペの祭壇が飾られ、この問題は解決しました。
グアナファト州の投資誘致推進チームは、マツダ、ホンダ、トヨタの誘致に何年もかけて取り組みました。
「このようなプロジェクトは、どれも知事の直接的な関与なしには実現しません」と、フェルナンデス氏は言いました。「私たちは、これらの企業が成功することを補完的に想定していたのです。橋が必要ならば、橋を調達するために全力を尽くしました。」
そして、なぜ日本なのか?
「偶然ではない」とエクトル・ロペス・サンティジャナ氏はいいました。州政府、経済開発庁、シカゴ・デトロイト事務所(フアン・マヌエル・フェルナンデス所長)、日本事務所(ロドルフォ・ゴンサレス・オノ所長)によって多くの宣伝活動が行われました。
「当時は工業団地も建設されていなかったので、非常に完成度の高いパンフレットを作り、投資誘致の説得を図りました。形になるものは何も無かったので、空気を売っているようなものでした」とフェルナンデス氏は語りました。
8人の知事は皆、決断を下してリスクをとる必要があることを、明確に理解していたそうです。
ロペス氏は、日本とグアナファトの関係にはまだ課題が残っていると断言しています。
「これまでのところ、自動車分野しか開拓されていません。しかし、エネルギー、バイオテクノロジー、健康、技術、貿易、教育などの分野にも関係を広げていかなければなりません」とロペス氏は続けています。「日本とメキシコのつながりには、まだまだ大きなチャレンジがあります。私たちは孤立するのではなく、統合するために努力しなければなりません。」
現在、グアナファトには276社の日系企業が進出しており、ここに住む2300人の日本人が自動車産業に従事しています。
20年前には3つだった工業団地が、現在では50にまで到達しています。
重要な決定事項
30年前から、グアナファト州は自動車産業を発展させるために重要な決断を下してきた:
- 計画:21世紀グアナファト州研究
- 宣伝:シカゴと日本に事務所を設置(COFOCE)
- 税関:プエルトインテリオール内に設置
- トレーニング:IECAにて専門技術者を養成
- 教育:UNAMとIPNを誘致
- インフラ:道路や橋を建設
- 経済回廊:イラプアト−アバソロ、セラヤ—アカンバロ
- 工業団地:50か所新設