プロレスは、メキシコや日本でとても人気のあるスポーツです。どちらの国でも、プロレス興行では情熱と栄光が体験できます。
グアナファトは日頃からメキシコ人と日本人が共に暮らしている場所であり、ここで日本人プロレスラーとメキシコ人プロレスラーの対戦が実現しました。
一方のコーナー:ライオン・ドッグとラティン・スター
もう一方のコーナー:ニシカワとクウカイ
メキシコの歓声がレスラーを迎えます。
リング上では、日本人挑戦者がラテン王者と対戦しました。ヒール(悪党派)とベビーフェイス(正統派)。エキサイティングで拮抗した戦い。叫び声、ブーイング、そして拍手。
日本人の悪役たちは敗れましたが、ニシカワ選手とクウカイ選手は敗戦のブーイングに満足して帰って行きました。彼らは熱狂的なプロレスラーでした。
ニシカワ選手はデビュー戦で「プロレスはとても面白いショーで、観客が興奮するので大好きです」と語っています。
「日本でもプロレスは人気のあるスポーツです。是非観戦に来て、日本チームを応援してください」とクウカイ選手も話してくれました。
第二次世界大戦後に日本でプロレスが生まれる
終戦時、多くの日本人がアメリカに対して悲しみや憤りを感じていた中、日本人プロレスラー力道山がアメリカ人レスラーに勝利した姿を見て、それを誇りに感じた人々はプロレスの虜になりました。
プロレスは柔道や野球と並んで最も人気のあるスポーツとして日本に浸透していきました。
英語のプロフェッショナルレスリングの省略形としてプロレスという言葉が生まれました。
日本のプロレスの違いはその技に武道のテクニックが織り交ぜられていることと、対戦相手への配慮が深いことがあげらます。
メキシコでは好きなスポーツ第5位にプロレスがランクインしています。
メキシコでは19世紀にルチャリブレが誕生
メキシコで最初にルチャリブレが行われたのは19世紀半ばで、メキシコがフランスに干渉されていた時代に、外国人による興行として始まりました。
その後、メキシコのルチャリブレは独自の技術、アクロバット、ルール、慣習などが取り入れられ、次第に大きな人気を得るようになりました。
最初のメキシコ人ルチャドール(プロレスラー)であるエンリケ・ウガルテチェアが、メキシコのルチャリブレの基礎を作り上げました。