2月6日、前サラマンカ市長のアントニオ・ラミレス・バジェホ氏が死去しました。アントニオさんは、グアナファトに自動車ブームを巻き起こした最初の自動車工場、マツダの誘致に貢献しました。
市長としての任期が後1年となった時に、マツダ工場の建設が始まりました。「ミヤギ先生」と呼ばれていたアントニオさんはグアナファトのサムライでした。
日本語を学び、刀を使いこなし、空手七段の腕前でした。
マツダと契約した夜
アントニオさんは、6年前のココ・メキシコのインタビューで、マツダがサラマンカ進出を決めた夜のことを語ってくれました。
「グアナファト州政府の協力者と私は、イラプアトのホリデーインホテルでマツダと契約を結んだのです。ホテルの会議室で夜10時ごろ、マツダの幹部がサラマンカにあるプリナ社の裏手の土地を要求してきました。それまでに12時間近くも打ち合わせを続けていました。政府は失敗した製油所の土地を譲りたいと話していましたが、マツダはその提案を受けませんでした。そこで州政府は「ピュリナ社の土地を渡せば、サラマンカに来てくれますか」と新たに提案しました。
「マツダはそれを受け入れ、すでに趣意書にサインをしていましたが、即座に知事のサインを求めました。そこでグアナファト市へと向かい、当時のオリバ知事に契約書への署名をお願いしに行きました。」
その夜グアナファトの歴史が変わったのです。そしてアントニオさんもそれに参加した一員でした。
勲章
サラマンカ出身のこの輝かしい政治家が受けた表彰の一つに、2022年11月3日、日本政府から、日本とメキシコの交流促進への貢献、特に2009年から2012年のサラマンカ市長時代の経済・ビジネス分野での指導力が認められ、旭日小綬章を授与されました。
また、2021年には板垣総領事により、両国の友好関係を深めたとして叙勲されました。