語学を教えて17年

語学教育のプロフェッショナルによる英語、スペイン語のクラスを受けてみませんか ボストンアカデミーはレオンで有名な語学学校である。 17年前に英語の語学学校としてスタートし現在は フランス語、ドイツ語、日本語のクラスもある。 語学教育の経験があるネイティブの教師の割合が高い。 ペドロ・メンドサ校長は言う“当校の教師陣は大変優秀で クラスの内外で情熱をもって授業をしています” 8年前から日本人向けにスペイン語のクラスを開設。 スペイン語のクラスでは教室を飛び出して生きたスペイン語の 授業をすることも。その第一人者はグリセラ・アリサガ先生だ。 スペイン語のクラスはボストンアカデミーの3つのキャンパスで 開設されている。校長は続けてこう言った“生徒の皆さんは優秀で  わが校のことを気に入ってくださっています” ボストンアカデミーで学んでいるのは子供から学生、会社の重役や家族でクラスを取る人も多い。 個人レッスン、クループレッスン、企業の語学研修など幅広いコースがある。 授業は豊富な教材を使って語学学習をより効果的に進められるよう 様々な工夫を凝らしている。 コース – 外国人のためのスペイン語 – 英語 – 専門ビジネス英語 – 各種検定受験·準備コース – サマーコース 支店: セントロ:714.14.50 サン・イシドロ:771.36.36 プラサ・サンタフェ:218.77.97 bostonacademy.mx

レオン・スビレ学院のお祭り

Por Violeta Bermúdez レオン・スビレビジネススクールの恒例のお祭りがやってきた。 生徒の家族みんなで楽しめるお祭りは今年も大好評だった。 もちろんここに学ぶ日本人の学生の家族も参加してくれた。 日本人の学生は年々増加傾向にあって、お祭りに欠かせない メキシコ料理や飲み物、ダンスにゲームを満喫した。 幼稚園部のダレル・サルム教務コーディネーターは 「わが校はバイリンガル教育多文化教育校なんです。 幼稚園部と小学部で年々日本人のお子さんの 入学が増加傾向にあるのを大変うれしく思っています。 いつも子供たちの学習能力の高さとその適応力には驚かされます」

どうやって発音するか覚えよう。

レストランでよく使う言葉  Desayuno (Alimentos consumidos por la mañana) 朝ごはん 朝に食べる食品 Asa Gojan Comida (Alimentos consumidos en la tarde) 昼ごはん 昼に食べる食品 Jiru gohan Cena (Alimentos consumidos en la noche) 晩ごはん 夜に食べる食品 Ban gohan Merienda (Alimentos ligeros consumidos en la tarde noche) 軽食…

映画へ行こう

バヒオに日本の映画がやってきた。アルカデ・メディダがプロデュースしたこの企画はバヒオで大好評だ Por Eunice Mendoza y Laura Campa 3月10日からCinemexの300の上映会場で日本の映画が見られる。グアダファトでの試写会で 片淵須直監督、声優の能年玲奈さん、鈴木康久総領事 水谷 智春メキシコマツダ自動車社長、ミゲル・マルケスグアナファト州知事らとともに 会場には50名以上の日本人も第二次世界大戦を生き抜いた少女の人生を描いた映画を鑑賞した。 監督の片淵 須直氏は20部門以上で賞を受賞したこの作品がメキシコでも多くの方に鑑賞されることを期待した。 ココメキシコのインタビューでバヒオに住む多くの日本人に向けてメッセージをいただいた。 「マツダの自動車工場を見学させていただき、日本人とメキシコ人が一緒に作業し働いてる姿に大変感動しました」と語った。 グアナファトに住んでいるたくさんの日本人の中にも映画の舞台と同じ広島出身の人がいる。 グアナファト州知事は広島とグアナファトの姉妹都市協定やこの映画を通して広島の歴史を学べる意義について述べた。 鈴木総領事はこの映画を通してメキシコと日本にある文化の相違点を埋められるのではないかと語った。 家族全員で楽しめる映画をぜひ見に行こう。

クラスを超えて伝えたいもの

グリセラ・アリサガ先生は授業中に生徒を連れて街を歩く。メルカードや公園やスーパーで 生きたスペイン語を日本人の生徒に学んでほしいからだ。 グリセラさんはボストンアカデミーのスペイン語の先生だ。 レオンで17年の実績があるこの語学学校はもちろん教室でテキストを使って授業しているがスペイン語のクラスは教科書で学ぶだけではないもっと実践的なものだ。 彼女のクラスは楽しくて実践的なスペイン語だ。 日本人と日本語を使わずコミュニケーションを取ることが目標だ。 クラスではゼスチャーで意思疎通をはかる。 クラスでは映画や劇場、クラブへ行ったりタコスを食べたりすることもある。 日本人のママたちにメキシコ料理の作り方を教えたり、子供たちの学校の宿題について教えてくれたりもする。 ボストンアカデミーでは日本人にスペイン語を教えて7年になる。 この仕事に大変誇りを持っている。 ボストンアカデミー校長のペドロ・メンドサは 我が校は市内に3つの学校があり1400名の 生徒が英語、フランス語、中国語、スペイン語を学んでいます。 グリセラ先生はスペイン語の先生で1時間文法、1時間会話を教えています。文法から料理、 歌って踊って飛び跳ねてエネルギッシュに授業してくれています。 「私は自分の仕事が大好きです。スペイン語を教えることで人の役に立っていると感じています」と元気いっぱいに話してくれた。 インフォメーション セントロ:7141450 サン・イシドロ:7713636 プラサ・サンタフェ:2187797   よく使うフレーズ Escuela 学校 (Gakkoo) Clases クラス (kurasu) Maestro 先生 (sensei) Alumno 生徒 (seito) Tarea 宿題 (shukudai) Libro 本 (jon)

サルバティエラへ お越しください

サルバティエラのホセ・バスケス市長が自ら 市内の建築物や地域の伝統行事の紹介、 自然豊かな絶景が広がる 肥沃で広大な 土地を案内してくれた 彼の言葉を紹介する ●サルバティエラはスペインの政令によって建設されたコロニアです。 この街は建設されたときから魔法のように美しいのです。 ●5年前からプエブロ・マヒコの認定を受け観光にも力を入れています。 インフラをさらに整備し、通りや公園の美化してきました。 ●観光客のみなさんがレルマ川沿いを散策できるように川の美化に取り組んでいます。 ●ルス教会、ラス・カプチーナやサンフランシシコ教会など訪れる価値がある宗教建築物も多く観光スポットになっています。 ●メキシコ国立自治大学の協力でエル・マジョラスゴ文化センターで英語、フランス語、日本語のクラスを市民に開講しています。 ●ここは肥沃な大地が広がっておりピーナッツやグアジャバ、サツマイモ、ベタベルやにんじんなど35種類以上の農産物を生産しています ●サルバティエラは料理もとてもおいしいので有名です。ウリレオ(サルバティエラから5分)のモーレやトルティージャは品質もよく有名です。 ●6月には日本へ行ってサルバティエラのプロモーションをしてきます。 ここにも日本の企業が進出してくれることを願っています。

メキシコと日本の国籍の赤ちゃん

グアナファトの市役所では最近新しい名字の赤ちゃんの出生届けが出されている。例えば去年6月9日タナカ・ヒビキという日本人の両親から生まれたメキシコ人の赤ちゃんが戸籍に登録された。 お父さんはヒカルさんお母さんはサトコさんだ。 レオンには仕事で転勤されて来た。 初めての子供を外国で育てるなんて神経質になるかもしれない。市役所で出生届けを出すのも一苦労だ。 ヒビキ・レオン・タナカ君はメキシコで生まれたのでメキシコ人としても出生届けを出した。 ご両親はどのような手続きを行ったのでしょうか 日本人のお子さんの出生届けの提出方法について 市役所での手続きは戸籍課で行います。 手続きできる場所はたくさんあるので最寄の役所を探してください。 予約を取る事をお勧めします。月〜金 8時から3時半まで 新生児の出生届けに必要な書類 両親の戸籍の公印確認がされているもの(公文書上に押印されている公印確認があるもの) 戸籍は公認通訳士が公印確認をしたもの 必要書類をそろえて最寄の役所の戸籍課へ持参する グアナファト州の公認通訳士が翻訳したものを要求される場合がある 住所が記載されている電気、水道、固定電話の請求書3ヶ月以内のもの 身分証明書(パスポートや在留カード) 医師の出生証明書 保健省発行の新生児の予防接種手帳 市の健康センターで無料でもらえる 全ての書類の原本とコピーを持参すること 重要事項 出生から60日以内は無料で出生届が提出できるが 60日以降は131ペソかかる。

120年前にやってきたはじめの日本人たち

オーディオ チアパスでコーヒーを栽培するため35人の 日本人がメキシコに到着 Por Kokó México 1897年榎本移民はコーヒーを栽培して日本に持ち帰るためメキシコに到着した。 榎本の夢は達成されることはなかった。チアパスにたどり着く事なく榎本移民はばらばらになってしまったからだ。 レオン領事館の資料によると 1903年に次の日本人移民がやってきた。コアウイラの鉱山で48人が働くためにやってきたのだ。 その後の到着した日本人はコリマで鉄道を作ったり、オアハカのサトウキビ畑で働いていた。 1907年には8千人の日本人がメキシコにいた その中の一人にマツモトという人がいた。彼は現在のメキシコでとてもポピュラーな2つの植物をブラジルから運んできた。 ハカランダとブーゲンビリアだ。 日系人の増加に伴いメキシコシティーに日本人学校ができ日系の小中学校ができた。現在の日本メキシコ学院の前身になった。 小林明子元レオン領事は現在メキシコに2万人近くの日本人の移住者がいてそのほか1万1千人は滞在者であるという。これからもっと日本人が来るでしょうと語ってくれた

グアナファトで生まれた サムライ

オーディオ   Por Pablo César Carrillo アントニオ・ラミーレスは日本語を話し日本刀も操る。空手は九段。  ミヤギ先生の名で親しまれる彼は グアナファト州サラマンカで生まれたことを除けば どこから見ても日本のサムライだ。 彼は38年前に空手をはじめて以来 メキシコ・日本人になると決めた。その経緯から、グアナファトで初めて 日系の自動車組み立て工場のマツダの誘致の立役者となった。 以後グアナファトは自動車産業のブームが巻き起こった。 当時サラマンカの市長だったアントニオ・ラミーレスは 契約が成立した イラプアトのホリデーインで過ごした夜のことを思い出す。 会議がはじまって12時間以上たった夜の10時を過ぎた頃、 マツダの幹部側からはサラマンカ・プリーナの土地を候補にあがっていたが 政府の意向とは違いなかなか交渉が成立しない。グアナファト政府側から 「プリーナの土地なら グアナファトに来られるんですね?」日本人たちは 契約にサインをし州知事の署名も要求した。 そんな時間に私たちは当時のグアナファト州知事であった フアン・マヌエル・オリバ氏にサインをもらいに車を走らせた。  その夜、グアナファト州の経済の歴史が変わったんだ。 マツダの候補地だったブラジルやアルゼンチンに勝ったんだ。 はじめにマツダが来てホンダ、トヨタなど自動車関連の企業が100以上がグアナファト州に集結したんだ。 はじめの一社を誘致するのが大変だった。でもオリバ元州知事の助けもあって達成できた。 そんな経緯もあってアントニオ・ラミーレスは更に日本人っぽくなった。現在は日本人のミサオさんという息子のお嫁さん、お孫さんのナオキ君もいる。 故郷のサラマンカはたくさんの日本人がいる。今は日本武道の学校も経営する。以前はグアナファトでちょっと変わったサムライだったミヤギ先生。現在は存在感たっぷりで流行の先端を行くのはトーニョだ。

グアナファトに 自転車産業を興した 日本人の戸塚さん

オーディオ レオンにはじめに やって来た日本人 Por Pablo César Carrillo 1995年ある日本人家族がレオンに 自転車産業を興した。 日本人特有の器用さで自転車の修理や整備をはじめたのだ。 当時はじめた店舗はまだミゲルアレマン通りに健在だ。 10歳で来墨したミキオ・トツカさんは62歳を迎えた。 商売を始めたのは彼の父キンキチ・トツカさんだ。フランシスコというメキシコ名もある。彼は荷物運搬船に勤務していて 日本の商品を南アメリカへ運んでいた。一時期はペルーにも住んでいたそうだ。 フランシスコ・キンキチさんはアメリカに住もうと思いバハカリフォルニアのメヒカリから国境を越えようと思った。 しかし戦争が起こりメヒカリの日本人はグアダラハラへ送られそこで農業に従事した。 彼はレオンで自転車の商売をしている知り合いからレオンに来ないかと言われるまでハリスコ州にいた。 それからレオンに彼は留まった。 ミゲルアレマン通りの店舗に自転車の店を出してからは街で 自転車の王様といわれるほど有名になった。 今は同じ通りに2つ店舗を出し イラリオ・メディナにも一店舗ある。 彼はもう自分を日本人だと思っていない。トツカさんはメキシコ人なんだ。日本語も話さないし、日本のことも知らない。でも目は細長く肌も黄色い。メキシコ人っぽい日本人いや日本人っぽいメキシコ人だ。 その昔自転車を売る東洋人は日本人だけだった。でも今はグアナファトに何千人もの自動車産業に従事する日本人がいる。 自動車産業ブームによって生まれた日本人の移住者は世界でも類を見ない。 メキシコ人のオクタビオ・ミキオ・トツカさんはここで自転車屋さんを続ける。 トツカさんはメキシコのような遠く離れた違う国に来るということの意味を良く分かっている。 日本人のみなさんにお願いしたい事は メキシコ人はとてもオープンでグローバルな国だということ。 グアナファトで自動車産業に従事している今の日本人にとってもトツカさんが経験したことが将来起こりうるかもしれない。 トツカさんのお子さんもお孫さんもメキシコ人だ。彼の計画はアメリカへ行くことだったけれどレオンで自転車産業に従事することになったのだ。