今年のフェリア・レオンには日本のパビリオンがあります。日本酒、ラーメン、お寿司、サムライの兜の展示などなど見どころいっぱい。たくさんの日本食も販売されます。お酒やお菓子、Tシャツ、スイーツ、駄菓子なども売り出します。今年の招待国は日本。パビリオンには20人を超える日本人が真心を込めて 皆さんの来場をお待ちしています。日墨会館、ミカサグループ、ヤキヤキ、サムライショップ、ドッコイジャパン、ユキボロス、メキ学院がスポンサーとして協賛しています。フェリア・レオンの中の小さな日本で日本人シェフが作った日本料理をお楽しみいただけます。日本の音楽を聞きながら 日本酒、リキュール、お菓子、陶芸品、日本の伝統工芸品のお買い物をしてみませんか?日本パビリオンのコーディネーター亀田龍一さんは “朝10時から12時まで毎日 新しい発見が盛りだくさんのパビリオンへ是非お越しください。きっと日本文化への新しい発見があると思います。”と呼びかけました。
日本のチョコパーティー
日本では2月14日はバレンタインデーで、チョコレートが主役になります。 この日は女性が気になる男性(そうでない場合もある)にチョコレートを贈るのが一般的な習慣です。以下のように対象によりチョコレートの種類も変わります: 本命チョコは片想い又は両想いの相手に贈られます。 義理チョコは、会社の同僚、上司、あまり親しくない友達などに贈られます。値段の安いチョコレートが一般的です。 友チョコは親しい友人や家族などに贈られます。 逆チョコは、男性が女性にプレゼントする場合の呼び名です。 ホワイトデー バレンタインデーからちょうど1か月後の3月14日はホワイトデーと呼ばれ、チョコレートを貰った男性が今度は女性にお返しをします。以前は白いチョコレートを返していたことからホワイトデーと呼ばれ、その金額は貰ったチョコレートの3倍が相場と言われています。最近ではチョコレートではない贈り物が主流です。
日本文化の発掘
先日在レオン日本国総領事館の主催で文化事業が開催され、メキシコ人が日本の伝統文化について更なる理解を深めると共に、バヒオ地域に住む日本人コミュニティも日本文化の良さを再確認する機会となった。 「Tu y Japón」では書道、茶道、着物の着付け、伝統音楽が披露され、代表的な日本料理も振る舞われました。 書道教室では師範による指導があり、お茶会ではおもてなしの心についての紹介もありました。 イベント中は日本文化の豊かさに触れ、あちらこちらで着物が目に留まり、抹茶の香りが立ち込め、書道の墨が作品に生み出す様子は、まるで日本にいるかのような雰囲気でした。 また、日本文化が謙虚さや勤勉さと言った日常生活における日本人の特性と深く関わっていることを感じました。 着物の着付けは魔法のようで大変驚きました。そして日本の伝統音楽ではメキシコ人と日本人が共に歌い踊り楽しいひと時となりました。 職場を離れた場での文化交流は、更にメキシコと日本の関係を深めていくでしょう。
日本の「成人の日」は 国民の祝日
日本では20歳を迎えると成人とみなされ、満20歳となる新成人を祝う成人式が各地で開催される。 成人というと自由、独立、成熟などの言葉が連想されますが、同時に更なる責任も必要とされます。多くの国で成人を祝う儀式やパーティーが行われますが、日本のように国民行事とされているケースは稀です。 成人の日は毎年1月第2月曜日に制定され、今年は学齢20歳を迎える新成人を祝う成人式が1月13日に各市町村で開催されます。 その由来は明らかではありませんが、最初の成人式が行われたのは714年で、1948年には正式に1月15日が成人の日に制定されました。2000年以降は同祝日が1月第2月曜日に改正されたため、年毎に祝日が変わります。 この特別な日に、新成人の女性たちは振袖と呼ばれる袖の長い着物を纏い、首元には白いフェザーショールを身に付けます。男性は袴と呼ばれる濃色の着物を着用するのが習慣でしたが、現代では黒色のスーツを着る若者が増加しています。 成人の日には今でも多くの若者が神社やお寺を参拝しますが、友人と遊園地へ出掛けるなど、他の伝統行事と同様に形態も変化しています。それでも尚、日本では現在も親しまれている国民行事と言えるでしょう。 メキシコ在住の新成人の皆さん、おめでとうございます!
メキシコのキンセアニェーラ
メキシコでは15歳の少女の誕生日を盛大に祝う習慣があります。 通常は派手なパーティーが行われ、女性へと成長している少女を世間にお披露目するという意味もあります。 この儀式は少女が成人するということではありませんが(メキシコでの成人年齢は18歳)、メキシコ人にとっては重要な伝統行事です。 15歳の祝儀ではキンセアニェーラが物語に出てくるお姫様のようなドレスを着用するのが慣例となっており、社会階級に関係なく15歳のパーティーはメキシコ人少女みんなの夢でもあります。 この馴染み深い慣習はカトリック教の影響を受けており、キンセアニェーラの多くは教会のミサに参加し、15歳まで到達できたことを神様に感謝します。 キンセアニェーラの家族は、通常100名以上の招待客をもてなす盛大なパーティーを催します。パーティーでは料理が振る舞われ、キンセアニェーラは友人と構成したオリジナルダンスを披露したり、父親たちとワルツを踊ります。 この祝儀の起源はプレヒスパニック時代に遡り、若い女性は結婚ができ、男性は戦士になれる年齢に達したことを祝う儀式でした。
けん玉とバレロ
日本とメキシコそれぞれの国の伝統玩具であるけん玉とバレロは共通点が多く、どちらもテクニックと集中力が必要な遊びである。 けん玉 原産国:日本 素材:木製 特徴:十字状の「けん(剣)」と穴の空いた「玉」で構成される伝統的な玩具。 テクニック:バランスよく玉を皿の上に乗せたり、けん先に入れたりして遊ぶ。 歴史:アイヌ民族によりもたらされた、何百年も前から日本に伝わる伝統玩具。 風習:現代でも老若男女問わず親しまれており、けん玉の特別授業を行っている小学校もある。 BALERO 原産国:メキシコ 素材:木製 特徴:「頭」と呼ばれる底に穴があいたパーツと、持ち手となる棒状の2つのパーツからできており、様々な大きさのバレロがある。 テクニック:頭部分の穴に棒状の先を入れる。 歴史:プレヒスパニック期にメキシコ原住民マヤ族がガイ骨を用いてバレロに興じていたことが起源だとされている。 風習:現代ではバレロを始めとする伝統玩具で遊ぶ子ども達が減少している。
三船敏郎:日本人原住民
スペイン語が話せないにも関わらず原住民役としてメキシコ映画の主役を演じた日本人俳優。当時のエピソードをご紹介。 今から58年前「価値ある男」というメキシコ映画で、三船敏郎さんは飲んだくれで無責任な農夫役を演じました。 1961年4月に映画の撮影でメキシコへ渡った三船さんが着物姿でメキシコ空港に降り立つ姿を、当時多くの新聞社が取り上げました。 渡墨した際の記者会見で三船さんは、スペイン語が全く話せなかったため映画でのセリフは全て丸暗記をしたと話していますが、三船さんの「独特なアクセント」により、最終的にはネイティブによる吹き替えが使われました。 三船さんの映画出演料は1万ドルで、その頃の相場に比べると低めだったそうです。 三船さんがメキシコ映画に出演する(1961年5月オアハカで撮影開始)という珍事は、当時メキシコ映画の国際化を模索していたイスマエル・ロドリゲス監督のアイデアにより始まります。 「三船敏郎さんを探しに日本へ渡りました。」と語るロドリゲス監督は長い交渉の末に三船氏を説得し、あの飲んだくれの原住民農夫が誕生したのでした。 そして映画公開から1年後に、外国語映画賞としてゴールデングローブ賞とオスカー賞にノミネートされました。 三船さんの心にはメキシコでの思い出が刻まれていたのではないでしょうか。帰国後に三船さんから届いた手紙にはこう記されていました。「メキシコの地でメキシコ人の皆さんに出会うことができ、とても嬉しく思います。私の母国日本と同様にメキシコを尊く、恋しく思います。」
エストゥディアンティーナが 日本語で演奏
広島県とグアナファト州の文化交流の一環として、エストゥディアンティーナ(グアナファト市の名物楽団)のグループが去年4月に広島を訪れ、フラワーフェスティバルに出演してグアナファトの伝統音楽を披露しました。またそのうち何曲かは日本語で演奏されました。 桜の開花時期に合わせて開かれたフラワーフェスティバルでは、グアナファトで行われる「カジェホネアーダ」と同様に、エストゥディアンティーナ楽団が広島の道を演奏しながら練り歩きました。 楽団長であるマヌエル・アメスキータさんは、日本語での演奏は忘れられない経験になったと述べています。細谷すけみちさんにより日本語に訳された「シエリート・リンド」と「ラ・クカラーチャ」の2曲が演奏されましたが、日本語の歌詞を覚えるのに何日もかかったそうです。「日本語を曲のリズムに合わせるのに苦労しましたが、最終的にはとても感動的な演奏になりました。」とマヌエルさんは話してくれました。 グアナファトの伝統音楽が広島へ渡ったことで、二都市間の交流も更に深まったに違いありません。 また広島県知事が今年グアナファトに訪問された際に、同じエストゥディアンティーナ楽団が再び日本語での演奏を披露しました。知事を始めとする日本からの訪問団にとても喜ばれ、皆友人として歌や踊りを楽しみました。 グアナファトのカジェホネアーダ エストゥディアンティーナの演奏はグアナファト市の伝統音楽で、夕方になるとスエードの上品な衣装をまとった音楽家たちが陽気な音楽を奏でながら町の小道を練り歩く。 ギター、タンバリン、マンドリンそしてカスタネットの音色は1962年にスペイン人によってもたらされた。その後グアナファト大学の学生たちがこれらの楽器を用いて野外演奏を始めたのが「エストゥディアンティーナ」楽団の発祥である。
距離が縮まる広島とグアナファト
飛行距離にすると1万1397KMも離れているメキシコと日本。習慣、言語そして時間帯まで何もかもが異なっているにも関わらず、広島県とグアナファト州の友好関係が近年さらに強固になっていることで、互いに近く感じる。 広島県とグアナファト州の交流は深まる一方で、現在グアナファト州には日本語表示の標識や広告塔が溢れており、自動車産業関連日系企業の進出、日本食レストラン、お盆祭りを始めとする文化イベントなど、日本が日常にあります。一方広島県では、グアナファト州から派遣された交換留学生が勉学に励んでおり、またチリやサボテンでメキシコ料理を調理するシェフ、メキシコの伝統音楽を披露するエストゥディアンティーナ楽団もいます。また2020年の東京オリンピックでは、広島県はメキシコ選手団の事前合宿を受け入れています。 グアナファトと広島の友好提携は5年前に締結され、文化・経済交流発展の為に多様な活動に取り組んでいます。 この友好関係は広島に本社を置くマツダ社がサラマンカに進出した時点から始まり、そこからグアナファト−マツダ−広島へと繋がっていき、今では経済・教育・文化・スポーツなど様々な分野に交流が広がっています。 先日友好提携5周年の記念式典にグアナファトを訪れた湯崎英彦広島県知事によると、現在グアナファト州にはマツダを含む広島県の企業24社が進出しており、200名以上の広島県民が居住しているそうです。 式典では両都市の友好関係をより一層強固なものにしていくことが両知事により再確認されました。 ディエゴ・シヌエ・ロドリゲス知事「今後さらに広島とグアナファトの交流が深まることを願います。」 湯崎英彦知事「メキシコと日本を隔てる地理的な距離にも関わらず、グアナファトと広島はまた一歩近づいているように感じます。」 広島とグアナファトからなる自動車産業関連の職場では日本人・メキシコ人社員が努力を共にし、社内外でのコミュニケーションの活性化に取り組んでいます。また、歴史的観点からも不屈の精神という共通点があります:広島県は原爆から困難を克服し、グアナファト州はメキシコ独立のリーダーとして戦いました。 このような過去が更にグアナファトと広島の友好関係はを深めているのかも知れません。そして今、グアナファトに移住する日本人は増加の一途をたどっています。 マツダから始まった友情 マツダ自動車のサラマンカ工場建設により、両都市の友好関係が始まる。広島県の主要企業であるマツダの進出はグアナファト州の発展に大きく寄与し、両都市の友好関係の要でもある。 当初広島県からメキシコ工場に派遣されたマツダ社員により、企業、政府などが一体となって両者の交流を進め、親善を深めていく目的で、「広島グアナファト親善協会」が設立された。 親善協会設立趣意では以下のように述べられている: 「広島は、70年前の原爆の惨禍の中から、今日の復興と発展を遂げたまちであり、グアナファト州はメキシコ独立運動が始まった地として、自由の象徴とされており、こうした歴史を持つ両県・州が未来に向けて共に歩んでいくことは大変意義深いものと考えられます。」 友好関係5年 2011年4月 マツダがメキシコでの生産事業を発表 2014年2月 グアナファト州サラマンカ工場操業開始 2014年8月 グアナファト州と広島県が経済交流提携を締結 2014年11月 広島県‐グアナファト州が友好提携を締結 2016年1月 在レオン日本国総領事館が開設 2017年6月 ミゲル・マルケス・グアナファト州知事が広島を訪問 2019年7月 ディエゴ・シヌエ、グアナファト州知事が湯崎英彦、広島県知事をグアナファトに迎える。更に交流を深めることを再確認し、けん玉遊びやセルフィ−撮影などが行われた。 よく使われる言葉 Palabras comunes Ciudades hermanas 姉妹都市 Amigos 友達 (tomodachi) Acuerdos…
第3回:知ったかぶり
日本人が困るメキシコ人の “理解力” 筆書「現役通訳夫婦が見たメキシコ自動車産業と今後」では多くの共感・納得の声を頂いていますが、本シリーズは著書に書き切れなかったこぼれ話&メキシコ人向けの内容でお届けしていきます。 第3回目は「知ったかぶり」、筆書でも取り上げていますがメキシコ人は業務上の知識を問われたら「知らない」とは絶対に答えたくない性質を持っています。でも今回は、さらに一歩先の話です。 日本人は次世代の担い手を育て上げていこうと色々と部下に教えます。でも初歩的な事や、簡単な事しか教えていないにも関わらず、次の日には「俺は何でも知っている」と豪語して回り、最悪の場合、設備の設定を勝手に変えてしまい大問題に発展する事態に何度か遭遇しました。なぜこうなってしまうのか?それはメキシコ人にとっては日本人上司に教えてもらう事は光栄な事であり、すぐに他の同僚と自分は違う(教育を受けた)事を強調したがる傾向があるからです。さらに問題なのが、それを聞いて嫉妬した他のメキシコ人が「じゃあ、この問題の解決方法分かる?」などカマを掛けてきて、分からないまま対応してしまい問題になるのです。 その本 a 話題の本 著者: 中塚アンヘル信也 フリーランス日西通訳 メキシコ在住13年 自動車業界6年目 現役通訳夫婦が見たメキシコ自動車産業と今後(Kindle版) ある通訳者の黒歴史(Kindle版)