グアナファト州での飲酒運転による罰則

パーティーや会議、レストランなどでの飲酒に注意しよう。酒気帯び運転により、罰金や保釈金なしの禁固刑に課される場合がある。 「血中アルコール濃度0.8㎎/L以上、または呼気中アルコール濃度0.4㎎/L以上で運転の場合、または麻薬、向精神薬、同様の効果を生成する他の薬物の影響下で運転の場合」、20〜36時間の勾留。(交通法257条参照) 勾留に加え、180日間の運転免許停止。 3年未満に再犯した場合には免許取り消しとなり、その3年後に新たに申請できる。 酒気帯び運転では、9000〜11000ペソの罰金が想定される。

400年前メキシコに初めて日本人が渡墨

日本人として初めてメキシコに渡った支倉常長は、両国の友好・商業関係構築の先駆者であった。現在メキシコの各都市には、彼の功績をたたえるモニュメントがいくつもある。 支倉常長(1571-1622)は1614年にアカプルコに上陸し、わずか40代で日本とメキシコの友好の道を切り開きました。後にスペインに渡った際、フェリペ・フランシスコ・デ・ファチクラという名で洗礼を受け、日本の商業拡大の立役者になるとともに、アジア人として最初に西洋諸国との外交関係を築いたリーダー的存在でした。 いわゆる支倉ミッションは、1613年10月28日に月の浦港からアカプルコに向け、180人を乗せて出航した。

125年前にやってきたはじめの日本人たち

チアパスでコーヒーを栽培するため35人の日本人がメキシコに到着 1897年榎本移民はコーヒーを栽培して日本に持ち帰るためメキシコに到着した。 榎本の夢は達成されることはなかった。チアパスにたどり着く事なく榎本移民はばらばらになってしまったからだ。 レオン領事館の資料によると 1903年に次の日本人移民がやってきた。コアウイラの鉱山で48人が働くためにやってきたのだ。 その後の到着した日本人はコリマで鉄道を作ったり、オアハカのサトウキビ畑で働いていた。 1907年には8千人の日本人がメキシコにいた その中の一人にマツモトという人がいた。彼は現在のメキシコでとてもポピュラーな2つの植物をブラジルから運んできた。 ハカランダとブーゲンビリアだ。 日系人の増加に伴いメキシコシティーに日本人学校ができ日系の小中学校ができた。現在の日本メキシコ学院の前身になった。 榎本武揚はラテンアメリカ大陸初の 日系移民コロニアを作った

セーブ・ザ・チルドレンと日本が協力し、メキシコにいる移民のための医療クリニックを開設

セーブ・ザ・チルドレン(NGO)は日本大使館の支援を受け、バハ・カリフォルニア州ティファナの移住者に対応する診療所を開設し、設備を導入する予定である。 この診療所では、子供や青少年を含む4000人以上の移民に直接医療が提供される。 福嶌大使によると、このプロジェクトは人間の安全保障に関するコミュニティ・プロジェクトのための無償資金協力の一環である。 大使は、「この協力が、中米からの移民問題に対するメキシコと米国の取り組みに貢献することを期待している。」と述べた。

グアナファト大学内にある日本庭園

グアナファト大学内にある日本庭園に加藤みどり先生の名前を冠した日本庭園となりました。 日本語センターの創設に尽力した功績を称えこの度の命名となりました。 ココメキシコもメキシコと日本の相互交流に貢献された加藤先生を心よりお祝い申し上げます。

二文化バイカルチャーママになること

グアナファトに住むバイカルチャーママを目指すお母さんを紹介します。 メキシコ人のエリカ・エルナンデスさんと日本人の北野雄一郎さんは10年以上前に知り合いました。彼はグアナファトへ旅行に訪れた時、ドローレスイダルゴ出身の彼女はグアナファト州の州都で勉強していました。はじめの一年は遠距離で、その後メキシコで家庭を築こうと決めました。 エリカさんは3人の日系の母としてバイリンガルの家庭を築くだけでなく、2つの文化が融合する家庭を築くことを目標にきています。 ‘’子供たちに2つのスイッチを持つことの大切さを教えています。メキシコではメキシコの生活様式を日本に行った時は日本の生活様式に順応すること‘’ バイカルチャーのママになることは易しいことではありません。‘’子供たちは日本の家では玄関で、靴を脱ぐことを知っています。騒がしくすることは良いことではないので静かにしないといけないことも知っています。‘’とココメキシコの取材で教えてくれました。‘’子供たちにとってはすこしストレスでした。‘’ エリカさんは習慣の違いを少しずつ学んできました。彼女のように2つの文化の壁にぶつかるお母さんたちへのアドバイスは 両国の知り合いの輪、支援の輪を広げることで2つの異なる文化の共存ができるということです。子供たちが自然と全く異なる2つの文化を吸収し成長していけると感じています。

レオンと日本の関係強化

板垣総領事は、日本とレオン市の経済、教育、文化面での協力関係を強化するため、アレハンドラ・グティエレス レオン市長と会合を持ちました。 板垣総領事夫人と中川原領事も参加し、レオン市の観光とビジネスプロジェクトに関する問題について意見交換しました。 また、レオン市内に住む日本人コミュニティとの友好関係の強化、自治体が現在直面している課題、日本文化・ビジネスイベントにおける協力の可能性などについても話し合われました。 「互いに親近感を持つことができ、大変光栄に思います」とレオン市長は述べています。

日本人である西村亮太さんの夢

日本とメキシコの交換留学を経て、西村さんはサッカーの指導者になることを志してメキシコに渡った。それから12年、すでにメキシコ代表のジャージを着て東京オリンピックで銀メダルを獲得し、現在はメキシコのサッカークラブNECAXAのコーチングスタッフの一人である。 12年前、西村亮太さんはサッカーの指導者になることを夢見てメキシコにやって来ました。その才能と情熱により、メキシコ代表としてオリンピックでメダルを獲得し、現在はNECAXAのアシスタントコーチを務めています。 西村さんは大阪出身ですが、数年前からメキシコで活動しており、メキシコの複数のサッカークラブでプロとしての経験を積んできました。 メキシコに到着したのは、両国政府間による留学プログラムがきっかけでした。日本サッカー連盟がテクニカルディレクターの卵を募集しており、そこから西村さんの冒険が始まりました。 メキシコサッカー界でのキャリは2012年にユースのGKコーチへの就任からスタートし、CRUZ AZULではトップチームのアナリストを務めました。 2014年にSANTOS LAGUNA、2年後にTAMPICO MADEROに移籍し、2018年にケレタロのGALLOS BLANCOSにアシスタントコーチとして着任しました。 その後サッカーメキシコ代表に採用され、2020年東京オリンピックにアシスタントコーチとして出場し、母国日本を破って銅メダルを獲得しました。 祝賀会の最中、西村さんは感動を抑えきれず涙を流しました。その画像は拡散され、メキシコ人の心をつかみました。 西村さんは、家族、チーム、そして自分を受け入れ成長する機会を与えてくれたメキシコという国に感化され、常に自己の向上を追求しています。 「多くの人から、今でも『母国である日本との対戦はどうだったのか』と聞かれますが、『特別な感情はなく、いつも通りメキシコのために勝ちたかっただけだ』というのが僕の答えです。多くのものを与えてくれた国、僕が愛してやまない国。ビバ・メヒコ!」と自身のツイッターアカウントに投稿しました。 現在36歳になる西村さんは、RAYOS DEL NECAXAのアシスタントコーチ兼アナリストとして、メキシコリーグの優勝を目指しています。

FESPA BAJIO 展示会:印刷技術の革新

プリント業界で世界最大級の展示会がレオンに初めて上陸し、自動車産業および製造業向けの最も革新的な印刷技術が紹介される。 世界各地でプリント業界に関する専門的なイベントを開催する国際連盟FESPAは、大判デジタルプリント業界に特化した6つのグローバル展示会や会議を開催し、自動車、製造、繊維産業へ市場環境を提供しています。 FESPA MEXICOは、世界的なイベントポートフォリオの一部であり、メキシコおよびラテンアメリカを代表する印刷業界のイベントとして、メキシコシティで13回開催されてきました。2021年中は、印刷業界の活性化を直接支援する目的で、唯一リアル形式のイベントが催されました。 2年にわたるコロナ禍の影響の中、FESPA BAJIOは印刷業界の復興と新しいプロジェクトのためのインセンティブとして登場し、4月6日・7日にポリフォーラムレオン会場のパビリオンCで地域イベントが開催されます。 FESPA BAJIOは、自動車産業および製造業を対象に、捺染印刷、レーザー加工機(カット・彫刻)、製品カスタマイズ、3Dプリント技術など、専門性の高い技術を紹介することを目的としています。 メキシコのバヒオ地方は、多様な製造業への投資で大きな成功を収めているのが特徴的で、FESPAがメキシコで初めて開催する地域イベントの会場にレオンが選ばれたのも、この多様性によるものです。 このイベントでは、自動車および製造業向けの最新のソリューションやイノベーションを紹介する45社の出展が予定されており、4000名の来場者を見込んでいます。 FESPA BAJIOは4月7日にプリント会議と併催され、2022年9月22日から4日までメキシコシティのCentro Citibanamexで開催される地域最大のグラフィックアート産業展「FESPA MEXICO 2022」にも参加する予定です。 メキシコおよびラテンアメリカのグラフィック業界を代表するイベント バヒオ地域では初開催 出展社数45社 4月6日・7日 グアナファト州ポリフォーラムレオン会場 www.fespabajio.com

メキシコ労働組合連盟が創立86周年を祝う

メキシコ労働組合連盟(CTM)は、組合員と国の経済発展の向上に寄与してきた、86年間の闘いと労働環境改善の歴史を祝った。 CTMはメキシコで最大最強の労働組合で、1936年2月24日に設立されて以来、労働者の権利を擁護するとともに、不平等や不公正をなくすために絶えず闘ってきました。 逆境に立たされながらも、日本の「カイゼン」思想のように、常に時代の最先端を目指し、改善を続けてきました。 「今日、メキシコ労働組合連盟は労働者のためだけでなく、メキシコのためにも成果を上げたと言えるでしょう。そして今後も労働者のために闘い続けることを確信しています。なぜならそれがCTMの心髄だからです」と、全国委員会のパトリシオ・フローレス・サンドバル広報部長は述べました。 この86年間、CTMの主な目的は、組合員の労働そして社会環境の安定を維持することでした。 より良い生活賃金の雇用を生み出すとともに、若者への配慮も怠らず、学業を続けるための支援も行ってきました。 また、重要な制度や組織を作る際の基本的な柱にもなっています。CTMのリーダーシップのおかげで、労働者はIMSS(健康保険)、INFONAVIT(労働者住宅供給金)、退職年金基金などの適切な社会保障制度を受ける権利を持つようになりました。 ジェンダー問題では、女性の労働賃金、男女平等、福利厚生の充実を保証するため大きく前進しました。今日CTMの女性組合員は、より良い就労機会と平等な賃金を得ています。 さらに、CTMは組合の透明性、説明責任、民主主義に配慮、保証しながら、メキシコの責任ある労働組合主義に貢献しています。 CTMのリーダーであるカルロス・アセベス・デル・オルモ上院議員を通じて、平等社会を維持するために闘い、組合員の労働権を保護し、国の経済と政治に貢献していく考えです。 アセベス書記長は、「私たちの任務は、どんな状況でも永久に闘い続けることであり、これは労働者階級の生活向上や国の発展という成果において実証されています」、と祝賀メッセージの中で述べ、こう締めくくっています。「CTMは、不平等と不公正に終止符を打つために存続し、それを追及し続けます。団結と努力で、最後の一人となるまで、私たちは最善を尽くすでしょう。CTM86周年万歳!メキシコ万歳!」 「私たちの任務は、どんな状況でも永久に闘い続けることであり、これは労働者階級の生活向上や国の発展という成果において実証されている。」 カルロス・アセベス・デル・オルモ – CTM全国委員会書記長