あやかさん:グアナファト新体操競技のパイオニア

エレガントで笑顔が素敵な小野寺あやかさんは、グアナファトで新体操の普及に努める若き日本人インストラクターです。 エレガントで笑顔が素敵な小野寺文香(あやか)さんは、グアナファトで新体操の普及に努める若き日本人の新体操指導者です。 彼女の第一の目的は、メキシコであまり知られていない新体操スポーツの面白さを広めることです。1年前に新体操教室を開校し、グアナファト地域で才能のある子供を発掘してきました。そして、教え子たちが国際的に通用するレベルの選手に育つように、選手の育成に励んでいます。 メキシコ人の友人たちから「アニータ」と呼ばれ、新体操のレベルが世界で高いことで有名な、ウクライナやロシアで指導してきました。また、2016年にブラジルで開催されたリオ・デ・ジャネイロオリンピック、2017 年にイタリアで開催された新体操世界選手権大会での大会運営の経験もあり、日本の体育学を卒業後はロシアの大学院でスポーツの修士も取得している新体操の専門家です。 子供の頃は新体操の技術や柔軟性を高めるために、最大9時間のトレーニングをしていましたが、20歳の時、怪我により引退しました。現在は子供から大人まで幅広く指導しています。新体操は19世紀にロシアで生まれたスポーツで、非常にエレガントで、手具操作の技術、体の柔軟性、動きのハーモニー、音楽に合わせながら表現力も求められるスポーツです。リボン、ボール、フープ、こん棒の道具を使用しながら行います。 演技中のように優雅で笑顔を絶やさないアニータさんは、グアナファトでの生活についてこのように語ってくれました。 「大好きな新体操スポーツを広めたいという思いで、1年前から教室を始めました。レオンとイラプアトで新体操教室を開いています。メキシコ人は踊るのが好きで、日本人ほど恥ずかしがり屋ではないので、新体操に向いている子供が多いと思います。」 あやかさんは、メキシコで新体操の才能を発掘し、メキシコ人女性をこの競技の国際大会に送り出すという夢を、で実現できると確信しています。 そして、アニータさんはそのために日々努力しているのです。 連絡先:  ayafit.sports@gmail.com https://allstaracademy.com.mx 4792231601

ラベンダー:心を癒す香り

嗅覚は人類の生存を可能にしたが、香りと精神効用との関連はまだ未開拓な分野である。 世界的に流行したパンデミックにより、人類はこれまでほぼ無関心だったことを再認識することになりました。その一つが「嗅覚」です。新型コロナの初期症状の一つは、この嗅覚の喪失です。そして、歴史上、嗅覚は私たちが知る社会の進化には欠かせないものでした。 しかしながら、香りがもたらすであろう、神経系へのプラスの影響については、ほとんど研究されていないのが現状です。 故郷を思い出す香り、気持ちを落ち着かせる香り、特定の花の香りに包まれた空間で過ごす幸福感など、感覚だけでなく、脳レベルでも大きな効果が期待できるのです。 鹿児島大学の研究者は、ラベンダーに含まれるリナロールという成分の抗不安作用をマウスで実験しました。この研究成果は、専門誌「Frontiers in Behavioral Neuroscience」の2018年10月号に掲載されました。 研究チームのリーダーである柏谷英樹講師は、「La Vanguardia」紙に、「リナロールを嗅ぐとバリウムを飲んだような効果があった」と報告していますが、副作用はありません。 古くから民間療法では、植物エキスから得られる芳香成分に、癒しやリラックスの効果が見いだされてきました。そして、ラベンダーには抗不安薬としての効能があることが確認されています。 アロマコロジー(芳香心理学)とは、香りが人間の精神状態に及ぼす変化との関係を研究する新しい科学分野です。 ラベンダーの香りが、掃除用洗剤や家庭用芳香剤などの「広告手段」として使われているのは。偶然ではありません。 実際に、科学で認識されるずっと以前から、ハーブの伝統的な自然療法として、このラベンダーの微妙な香りが、不眠症などの睡眠障害の治療薬(枕元に2,3滴たらすと良い)、あるいは頭痛の鎮痛剤として含まれていたのです。 観光客を魅了する香り「ラベンダー」 グアナファト州では、日本の北海道と同様にラベンダーの風景が観光地として定着しており、自撮り用のユニークなフレームを提供している。 「ファーム富田」がある北海道富良野町は、ラベンダーを主な観光資源としている。富良野地方でラベンダーの大量植栽が始まったのは1950年代。しかし、多くの生産者が転向し、ラベンダー栽培を続ける人はわずかだった。 現在のファーム富田は、初夏のラベンダー畑が見ごろを迎える時期になると、主要な観光スポットの一つとなる。 北海道から1万304Km離れたグアナファト州ドローレス・イダルゴ近郊のラス・コロラダスでは、2005年の干ばつで被害を受けた地域で、ラベンダー栽培を活かした社会経済活動を展開している。 現在では、持続可能な農業を推進するもう一つの観光名所として定着させることを目指している。さらに、あらゆる地域を美しく彩り、栽培地域の経済・社会発展の源ともなるこの美しい紫色の植物が持つ、あらゆるメリットを普及させることも目的としている。

同郷人よ、おかえりなさい!

福嶌大使は、自身がメキシコ人であることを証明する出生証明書をツイートし、ソーシャルメディア上では驚きの声が上がった。 福嶌大使は、メキシコ生まれの最初の日本大使です。1958年8月27日午後2時に、メキシコシティのサンタモニカ病院(ポランコ地区テミストクレス210)で産まれました。一年後の1959年6月に、両親により出生届が提出され、スペイン語で「ハイメ」というミドルネームが付けられました。 2017年から2021年まで在メキシコ日本大使館を成功裏に導いた高瀬前大使の後を引き継いだ福嶌大使は、ソーシャルメディアによる最初のメッセージに「両国に貢献できることを誇りに思います。同胞の皆さん、初めまして。」と書き込みました。 その際に紹介した画像は、自身のメキシコ人としての国籍を確認する、出生証明書という意外なものでした。 着任日の2021年12月12日、大使のツイッターアカウントにはアクセスが集中し、コメントやリツイート、「いいね!」が殺到して、数時間にわたって規制がかかりました。 「出生当時、実業家だった大使の父親は、メキシコで仕事をしていた」と2019年にJapan Hoy TVが報じています。 2021年の最終週に行われた、メキシコ国立工科大学(IPN)のテレビ放送カナルオンセのインタビューで、大使は生まれてから1年半だけメキシコで暮らしていたこと、そして弟もメキシコ国籍を取得していることを語りました。 「必ず戻って来ようと思っていました。メキシコに帰るために、外交官になることを決意したのです。子供の頃から、自分はメキシコ人だ(中略)『ハポメックス』だ、と思っていました」と、カナルオンセで誇らしげに述べています。 大使の父親が来墨したのは1953年。その5年後、現在の大使が誕生し、彼の運命はメキシコの大地と永遠に結ばれることになりました。 <アンバサダー3.0> しかしながら、ソーシャルメディア上での騒ぎは、福嶌大使にとって驚きではなかったかもしれません。 2015年から2019年の駐アルゼンチン日本国大使在任中、現地の「ラ・ナシオン」紙のジャーナリストは、福嶌大使は外交インフルエンサーであるとして、<アンバサダー3.0>と名付けました。 当時ブエノスアイレスでのツイッターを活用した外交について、「人々と直接コミュニケーションをとることができ、それが気に入っています」と語っていました。 アルゼンチンでの在任期間中は、社会的、政治的、経済的にも困難な時期であったにもかかわらず、夢のような経験だったと言います。日本は、悪化していたアルゼンチンとの関係を修復しつつありました。福嶌大使が就任当時、アルゼンチンに進出していた日系企業はわずか50社でしたが、任期中にその数は倍増しました。また、50年もの間、日本の首相がアルゼンチンを訪問しない時期が続きましたが、2017年から2019年にかけて、二度の歴史的な訪問が実現しました。アルゼンチン産の有名な牛肉が日本へ上陸し、同時に世界で知られている日本のブランド牛である神戸牛も、大陸の最南端にあるアルゼンチンへやって来ました。また、アルゼンチンが議長国となり、G20首脳会議がブエノスアイレスで開催されました。 福嶌大使は、その時期をアルゼンチンと日本の外交関係の「黄金期」だったと表現しています。そして、その友好関係の大半は、大使の精力的な現地での、そしてソーシャルメディアを通しての活動に起因していました。 ブエノスアイレスを離れる際、デジタル外交の達人であるマーク・ケント元駐アルゼンチン英国大使が、世界各国の外交官を招いて、福嶌大使のために夕食会を開きました。ニュースポータルサイト「Ámbito Digital」がYoutubeで公開している動画では、取材に応じた全員が、大使の楽観的で合理的な人柄を賞賛しています。 「第二の故郷のために働きたい」 京都大学卒業の外交官というキャリアを持ち、難題に直面してきた福嶌大使は、2019年に日本政府から「2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会担当特命全権大使」という、もう一つの任務を任されました。新型コロナウイルス拡大により1年延期され、オリンピック終了後の昨年後半にメキシコへわたることになりました。 2003年には、在メキシコ日本国大使館参事官を務め、その10年前の1993年には、ニューヨークで国連代表部一等書記官を務めるなど、キャリアを積んできました。 外交官として、これまでアメリカ、スペイン、アルゼンチンに滞在し、そして幼少期には家族でチリに住んでいました。 以前のSNSでの投稿にはフレンチブルドッグも登場しており、メキシコで日本人移住者が最も多いグアナファト州を観光している様子も紹介されています。 京都大学法学部を卒業し、スペイン語に堪能な新大使は、「メキシコ人として、第二の故郷のために働きたい」と語っています。

高瀬大使が離任

高瀬大使はメキシコでの任期を終え、自身のツイッターにこう記した: 「メキシコの友人たち、私はメキシコを発つことになりました。これまでたくさんの良い思い出をありがとうございました。メキシコは善良で優しい人々にあふれた、美しく素敵な国です。皆さん、ありがとうございました。またお会いしましょう。」 高瀬大使は2017年9月に駐メキシコ大使に就任し、4年以上にわたって大使館のトップに立ち、メキシコ全国を回りながら両国の友好関係を深めてきました。 駐メキシコ大使として、メキシコ在住の日本人と深く交流し、またメキシコの人々からも愛されてきました。 SNSでもその存在感を示し、メキシコの隅々まで足を延ばした経験を発信してくださいました。ツイッター(@EmbYasTakase)では、いつもメキシコ人を称賛し、両文化の素晴らしさを共有されていました。 メキシコ料理が大好きで、特にチレスエンノガダという料理とテキーラが大好物だそうです。9月を好む理由は、メキシコ独立記念日のお祝いにちなんで国中どこへ行ってもこのメニューを堪能することができるからだそうです。 またスポーツの愛好者でもあり、サッカーでメキシコ代表と日本代表が対戦した際には、どちらかを選ぶことが出来ず両チームに賭けていました。 「日本チームの勝利に日本酒を一本、そしてメキシコチームの勝利にテキーラを一本賭けて、どちらが勝ってもお祝いできるようにしました。」と2020年11月16日の自身のツイッターで語っています。 高瀬大使は、何度かグアナファト州を訪れています。 アパセオ・エル・グランデにあるトヨタ新工場の落成式、レオンで行われた徳仁天皇の誕生日を祝う祝賀会、ホンダ セラヤ工場でのトランスミッション生産100万台達成を祝う式典など、数々の政府関係者との外交目的でグアナファト州を訪問されました。 高瀬寧氏の経歴: 東京大学法学部卒業、スペイン、マドリッド外交官学校卒業 1982年外務省入省、経済局国際貿易課課長就任 2000年代には中南米局中南米第二課長、国連代表部公使に就任 2009年在メキシコ日本国大使館公使 2013年リオデジャネイロ総領事、2014年外務省中南米局長 2017年から2021年11月初旬まで駐メキシコ特命全権大使

グアナファト州知事が協力関係の強化を求めて来日

グアナファト州と日本はこれまで友好関係と貿易関係の絆を深めてきました。日本からの投資により、日本は米国に次ぐグアナファトの主要貿易相手国となっています。 ディエゴ・シヌエ・ロドリゲス知事は、2022年3月に日本を訪問することを発表しました。 「マツダ、トヨタ、ホンダはもちろん、グアナファトにある日系企業を訪問する予定です。また広島県の湯崎知事と面会し、姉妹都市協定のさらなる強化のための会談を行います。日本はグアナファト州にとって重要な貿易国です。」 ロドリゲス知事はココ・メキシコのインタビューで、州が抱える健康面と安全面の課題を解決しつつあると述べました。 「新たな時代を迎えて、私たちが直面してきた課題をうまく克服してきました。パンデミックに対応できる医療システムの構築や、犯罪率の低下にも力を入れてきました。」 INEGI(国立統計地理情報院)の発表によると、昨年と比べて州内の犯罪率は42.8%、殺人件数は900件減少しています。 「私たちはこのような問題を克服しつつ、未来へのビジョンへと向かっています。グアナファトは間違いなくメキシコの偉大さを示す参照点であり続けるでしょう。」

癒しのフラワーアート「生け花」

生け花は、日本文化に深く根差した自然への経緯から生まれた伝統芸能である。 生け花は、古来より行われていた仏様へのお供え物に由来すると言われています。本来は仏壇に供える花として飾られていたもので、日本人の仏や故人に対する愛情や敬意を表すためのものでした。 生け花の起源は500年以上前の中国で、それが日本に伝わり、新しい流派や伝統、スタイルが生まれました。 この伝統芸能は、自然とコミュニケーションをとる生き方に基づいており、花、枝、葉、果実、そして種子などを組み合わせて構成し、鑑賞する芸術です。 また、美的鑑賞にとどまらず、季節の流れや生命のサイクルとも結びついていることから、瞑想にも用いられています。 生け花は創造的な表現ですが、その形式には一定のルールがあります。主なルールは、生け花に使用されるのは自然な花材のみで人工物は使用しない、そして静けさの中で行うことです。生け花を実践している日本人は、自然を細部から鑑賞する時間として、静寂の中で1本1本に時間をかけて花を生ける必要があると考えています。 生花を用いる生け花は、数日で枯れてしまう短命な芸術であり、生き物ならば誰もが通るはかない無常を表現しています。 生け花は、その宗教的な起源と、誕生、成長、死、再生という自然サイクルとの深い関係から、精神的な共鳴をもたらします。 趣味として楽しまれることが大半の生け花ですが、心と体と魂のつながりを取り戻すための瞑想的な儀式でもあります。 生け花は単に花を生けるだけでなく、自然と人間が一体となった規律ある芸術であり、自然に対する敬意と調和を表現しているのです。

イラプアトで開発されたロボットが世界最高レベルに参戦

先日開催されたハノーバー・レオン見本市に出展された「プロメテウス」が、ANA Avatar Xprizeコンテストのファイナリスト15に選出 グアナファトで開発されたロボット「プロメテウス」が、世界で最も重要なロボットコンテストの一つである「ANA Avatar Xprize」の決勝に進出しました。 このロボットは、日本、アメリカ、フランス、ドイツ、ロシア、韓国、イギリスのロボットと並んで最終選考に残った15チームのうち、メキシコ唯一のロボットです。 プロメテウスは人型ロボットで、頭、首、腕、胴体があり、全方向移動プラットフォームに搭載されています。外部システムに接続して人の動きをコピーすることができ、さらに見る、話す、聞くなどの動作も実行できます。 このロボットは、災害や疫病が発生した地域での支援や、人に代わって危険度の高い作業を行うことを目的に開発されました。 このプロジェクトは、イラプアトの企業Inbiodroid社が、グアナファトの学生の協力を得て展開されており、現在のチームは、エンジニア、研究者、学生そして事務系スタッフなど40人以上のメンバーで構成されています。 コンテストのファイナルは2022年6月に開催され、優勝者には1000万ドルの賞金が授与されます。

沖縄―メキシコユニークで自発的な音楽の融合

国際交流基金と国際セルバンテス祭の主催で、沖縄の伝統音楽とメキシコのパーカッションを組み合わせた初のコンサートが開催された 日本の音楽家、平安隆とメキシコ人パーカッショニストのアルマンド・モンティエルがそれぞれの才能を発揮し、華やかな音楽コンサートを繰り広げました。互いの言語は話せないながらも、舞台上での積極的なパフォーマンスで、日本とメキシコの音楽は自然に融合され、限界がありませんでした。 「音楽に国境はありません」とアルマンドさん。 「自分の気持ちを込めて即興で演奏しました」と平安さん。 両者は国際交流基金の主催で、国際セルバンテス祭で演奏しました。 二人が直接対面したのは、メキシコシティでの初コンサートの数日前でした。リハーサルを通して親しくなり、コンサートでは観衆から大きな拍手と賞賛を得ることができました。 沖縄民謡の代表である三線の音色と、アルマンドのパーカッションが、独創的な雰囲気を醸し出していました。リズム、ダンス、喜びが相まって、沖縄とメキシコのフュージョンは大成功に終わりました。 平安隆 沖縄民謡の父として知られる日本の音楽家 ミュージシャンとして50年のキャリアを持ち、40枚以上のアルバムを収録 メキシコを知ったのは「ラ・バンバ」を演奏したロス・ロボスのメンバーによる ギター、ハープ、太鼓、三線を演奏 「このコラボレーションは感情と即興がベースになっています。アルマンド・モンティエルと日本でも一緒に演奏したいです。」 アルマンド・モンティエル 40年の経験を持つメキシコ人音楽家 メキシコで活躍中のパーカッショニスト メキシコ人著名アーティストとも多数共演 アルマンド・マンサネロのバンドメンバーとして、日本でのコンサートにも出演 「音楽に言語はなく、リズムは自然に融合します。これはユニークで自発的なコンサートです。」

「私はすでに日本人というよりもメキシコ人だと感じています。」:稲子いつみ

メキシコに数十年住んでいる日本人の稲子いつみさんは、すでにメキシコ人だと感じると言います。「私はこの素晴らしい国に住むことができ、とても幸せで誇らしいです。メキシコをとても愛しています。これからもメキシコ人と仲良くしていきたいですし、来世はメキシコ人として生まれたいです。」 メキシコを好きになることは簡単ではありませんでした。当初は、生まれ育った国と移住先の国の文化の違いは、いつみさんに大きな影響を与えました。 日本とメキシコはあらゆる面で正反対の世界です。いつみさんはメキシコについて何も知らずにレオンへ到着しました。「私の家族は伝統的な価値観を持っており、私がメキシコへ来たこをも快く思っていませんでした。以前は、日本を離れて海外で生活することは一般的ではありませんでした。」と、流暢なスペイン語で語ってくれました。 いつみさんが最初に衝撃を受けたのは、言語でも食べ物でもなく、メキシコ人は日本人と全く違うという事実でした。「日本人はとても静かで無口です。メキシコでアパートに住み始めた頃は、毎週末パーティーの騒音や、靴音が聞こえてきました。」 また、清潔さという面においてもカルチャーショックを受けました。「私がレオンにやって来た頃は、あまりきれいな町ではありませんでした。今は少し環境に対する意識が高まっているように感じます。以前はバスに乗っている人々が、窓からゴミやビール缶を道に捨てているのを見かけました。日本では、公私両方の場で清潔習慣が徹底されています。」 いつみさんにとってレオンでの最初の数年間はとても苦しいものでした。時間を守らない、そして計画性のない人々を相手にすることで、苛立ちを覚えることもありました。しかし、最終的にはメキシコ人と言い争うよりも、受け入れるほうが楽だと理解したのです。 そしていつみさんは現在メキシコで幸せに暮らしています。メキシコの文化、自然、食べ物などあらゆる面での豊かさを賞賛しています。 そして、いつみさんはメキシコ人をこのように評しています:「メキシコ人はとても善良で、心の優しい人が多いです。以前交通事故に遭ったときには、多くの人たちが駆け寄って来て、善意で助けてくれました。」 いつみさんは、人間的にも精神的にも成長させてくれたメキシコにとても感謝をしています。「メキシコに住んで、より寛大に、よりオープンに、より意思疎通をとり、笑顔を絶やさないことを学びました。以前は真面目過ぎました。」 メキシコで得た全てに感謝の気持ちを込めて、こう締めくくってくれました: 「今度は私がメキシコに何かをお返しする番です。」

観光名所のハルパ・デ・カノバスでの闘牛祭

闘牛祭は、今週10月2日土曜日、プリシマデルリンコン自治体で開催されます。ハルパ・デ・カノバスの闘牛祭では芸術性あふれる魔法と一体化した闘牛が楽しめます。 闘牛でメキシコを代表するレジョネアドールの牧場主のホルヘ・エルナンデス・ガラテとルイス・ピメンテルの夢の共演が実現します。 次世代の闘牛家を代表するのはフォーロアロイで 彼は 幅広い闘牛の経験と歴史ある家系の出身です。 この美しい闘牛の芸術はルネ・ティラドとフォルカドス・アマドレスに受け継がれています。 闘牛祭では、ハルパ・デ・カノバス教区の前でメキシカンパーティーも開催される予定です。 今週末は是非 闘牛の芸術性の高い世界を満喫しましょう。 10月3日(日)午後1時からは ハルパ・デ・カノヴァスのメイン広場でバヒオ・クラシックオーケストラによるコンサートも開催されます。