私立と公立の 学校の違い

メキシコの学校は大きく2つに分かれている:私立の学校と公立の学校 公立は全てメキシコ政府によって管轄され、私立の学校は私的に学校運営を行っている。 メキシコの義務教育は幼稚園、小学校、中学校から成っている。 これらの義務教育の修了時にはメキシコの文部省(SEP)によって公立、私立学校共に修了証書が発行される。 義務教育において公立、私立共にメキシコの文部省(SEP)の定めたプログラムに沿った授業が組み込まれている。 算数、国語、理科、芸術、体育など教科別にプログラムが定められている。 では、私立と公立学校どんな違いがあるのでしょうか?   私立 学校の時間割は自由にプログラムすることが出来るので公立よりも教科も 多く授業時間も長い。 毎年度学校が定めた登録料を支払う 毎月もしくは10か月間授業料を支払う。授業料は学校の設備や教育内容によってそれぞれの学校が決定する。 教科書は授業料に含まれないので別途購入する。学用品もさまざま取り揃える必要がある。 ほとんどの私立校では芸術、科学、テクノロジー、体育など放課後のクラブがある。参加する場合は別料金がかかる ほとんどの私立校では文部省が実施する学力テストの結果が良い。 私立校は理科の実験室やコンピューター室、教室の設備も充実している カトリック系の私立校では宗教のクラスを取り入れている。 私立校では幼稚園から外国語のクラスがありそのほとんどが英語である 公立 時間割 幼稚園:8時~12時 小学校:8時~1時 中学校は2部制で午前・午後に分かれる。 毎年度300~700ペソの登録料を支払う 毎月の授業料はなし 教科書は無償配布され学用品は基本的な文房具のみ 例外的に保護者が芸術、科学、テクノロジー、体育など行う学校もある。 公立校の教員になるには 教員資格が必要である いくつかの学校ではインターネットアクセスが無料でできる 公立校は宗教教育を行わない 幼稚園、小学校はカリキュラムに入っていないため英語のクラスはない 中学校から英語のクラスが始まる   よく使うフレーズ Colegiatura 学費 (Gakuhi) Inscripción 入学…

さようなら鈴木康久領事!

鈴木康久総領事は紙面を通じ、メキシコに別れを告げた。そして2018年1月、次期領事に伯耆田修(ほうきだ おさむ)氏が着任すると発表した。 以下全文:

天皇が祝われる

在レオン日本国領事館はレオンにて、明仁天皇陛下の誕生日祝賀レセプションを開催、バヒオ地区在住の日本人たちと日本酒でお祝いした。また鈴木康久総領事は、日墨の経済成長を強調し、メキシコの友好的関係に敬意と感謝の気持ちを述べた。

耕作地帯と工業団地の工場

鈴木 康久 在レオン日本国総領事   最近、レオン市長のエクトル・ロペス・サンティジャーナ氏とお話する機会がありました。 市長はメキシコと日本には4つの共通点がありますねと話してくれました。 太陽の国と称されること 2.農耕民族であること 3.酒やテキーラなどの名酒があること 4.地震災害を受けてきたこと。 メキシコと日本の4つの共通点を聞いてなるほどと感心しました。 多くの日本人はメキシコの文化に敬意を抱いています。メキシコ人はとても社交的で家族をとても大切にします。 日本人はメキシコ人が家族とバルバコアを食べたり、気球フェスティバルへ出かけたり、パーティーへ出かける姿を羨ましいと思っているんですよ。週末に家族や友達と集まる姿には もうそこに何も足りないものはないと感じますね。 これは仕事でメキシコにやってきた日本人とは対照的だなぁと感じます。日本ではメキシコのように家族が頻繁に集まってパーティーをしたりイベントにメキシコ人が家族で楽しんで参加するような習慣があまりありません。 でもレオンやバヒオに住んでいる日本人もここでの生活を楽しんでいますよ。サービスは良いし、静かで快適な生活環境ですからね。メキシコ料理のレストランをはじめ日本食レストランや、日本食材店もどんどん増えてきていますし日本人がメキシコの生活になじみやすく生活しやすい環境になってきていますね。

発刊から一周年を迎えました

ココメキシコは発刊から一周年を迎えることができました。一年前からグアナファト州がどのように変化を遂げているのかココメキシコと共に皆さんにお伝えしてきました。今日は皆さんに心からありがとうとお礼を言いたいです。 これからもココメキシコをよろしくお願いします。 ありがとう Arigato!

2つの国のよく似た習慣

日本とメキシコは1万1397キロも離れている。遠く離れたこの二つの国は 文化も言語も時間も異なるけれど似ているところもある。 よく似た伝統玩具やお盆、死者の日などの習慣だ。 Por Violeta Bermúdez 日本にもメキシコにも木製の伝統玩具などは職人が丹精こめて手作りする。 日本では竹を材料にした伝統的なおもちゃが多くありメキシコではメスキートの木を材料にした伝統的なおもちゃが多い。 日本ではお相撲さんのおもちゃがありメキシコではボクサーのおもちゃがある。日本のコマはお正月の伝統的なおもちゃで竹や鉄、木製など色とりどりのコマもある。日本のコマにそっくりなのがメキシコのトロンポと呼ばれるおもちゃだ。遊び方もそっくり。日本のでんでん太鼓もメキシコにも同じような小さい太鼓のおもちゃがある。どちらも伝統的なおもちゃとしてお土産屋さんでよく見かける。 死者の日 メキシコを代表する伝統行事といえばディア・デ・ムエルト(死者の日)。日本にも同じく故人を大切に迎える日がある。 メキシコでは11月2日、日本では8月15日に死者の魂があの世から戻ってくる日と信じられている。メキシコでも日本でもお墓詣りに行ってお花を供えたり、家族が集まる団らんの日になっている。 日本では実家から離れて暮らす人はお盆休みに実家に帰って休みを過ごす人も多い。全国でお盆休みの帰省ラッシュが始まる。 メキシコでは11月1日が幼くして亡くなった子供たちが家族の元へ帰る日とされている。翌日の2日は大人の死者の魂が戻る日で両日とも家の祭壇に故人が好きだった食べ物や飲み物が供えられる。 日本では8月15日に戻ってくる故人の魂は翌日の16日にあの世に再び旅立つと信じられている。 故人を思う大切な日としてメキシコの死者の日、日本のお盆という習慣。二つの全く違う文化の中でも故人を大切にする文化は同じだ。  

広島とグアナファト: パイオニア精神

メキシコは日本が初めて結んだ修好通商条約の相手国であり、平等な商業・航海条約を結んだ国として日本がはじめて移民を送った国でもある。そのつながりは400年も前から続いている。 400年後の現在、多くの日本企業がメキシコ・グアナファト州に企業進出する時代になった。グアナファト州はメキシコ国内で日本人の移住者が最も多い州となった。 グアナファト州と広島県の交流は広島に本社があるマツダ自動車の進出がきっかけとなり2014年11月からはじまった。   広島県とグアナファト州は友好協定が結ばれてから経済、文化、観光、学術など様々分野でのイベントを通して両国の市民は活発に交流を行っている。 “広島は70年前は原爆の投下を受け破壊された街でした。その破壊された街を復興させ現在の発展を遂げた街なのです。メキシコのここグアナファトはメキシコ独立運動の発祥地として自由の象徴の街です。グアナファト州と広島県は歴史的にも深い意味を持っています。この2つの都市が未来に向かってともに歩んでいくことに 深い感慨を覚えます。  

メキシコで生まれた子供たち

切れ長の目をした新しいメキシコ人たち。雄満バレンティーノ、碧オルテンシア、杏奈ソフィア、英獅ジャスティン。 みんな日本人の両親を持つメキシコの国籍も持つ子供たちだ。生まれた時にメキシコの役所で出生届を出して予防接種を受ける時の手帳ももちろんある。 メキシコで生まれたのでメキシコ国籍も持っているのだ。メキシコの戸籍上は2つの名前がある。名前が2つもあることは日本ではないことだ。 彼らのような新しいメキシコ人がグアナファトには多くいる。メキシコと日本の2つの文化の中で成長している彼ら。子供たちのご両親も2つの文化の中で成長できることに とても満足している。          

友好国二つの

メキシコと日本が友好の絆で結ばれたのは今から408年前のこと。 千葉県の沖合でメキシコから出発したヌエバ・エスパーニャの船が座礁し岩和田(現在の御宿)で376名の乗り組員が投げ出された。日本の漁民が彼らを救出したことがメキシコと日本の現在まで続く友好関係のはじまりとなった。 ロドリゴ・デ・ビベロ・イ・ベラスコはヌエバ・エスパーニャの代表としてサンフランシシコ丸で日本を訪れて徳川家康将軍に謁見を許された。 この1609年に起こった出来事はメキシコと日本のはじめの外交交渉となり、 その一年後には座礁したヌエバ・エスパーニャの船から救出された317名が日本の船に護送されて再びヌエバ・エスパーニャの海岸(現在のメキシコ)に帰還することができた。 その四年後の1614年には日本政府から使節団の支倉常長が60名の侍と130名の商人を率いてメキシコ・アカプルコに到着し金融・商業の交流の先駆けとなり 1888年には日本にとってはじめての国際通商条約の日墨通商条約が結ばれことになったのである。 メキシコへ最初に進出した日本企業 第二次世界大戦後にメキシコに進出した大手日本企業は自動車、自動車部品、電気(発電所建設含む)電子製品マキラドーラ輸出産業 1954年に丸紅、1955年に三井、1956年 1962年三菱、1962年住友、1967年伊藤忠、1970年日商岩井、1975年双日、Sojitz Corporation、1975年ニチメン、1981年兼松が 代表的な企業である。 中でも自動車産業は日本が世界をけん引していく存在として注目を集めている。近年メキシコのグアナファト州では日本車の組み立て工場や部品の調達網が作られ多くのメキシコ人が自動車産業に従事している。日本とメキシコの経済関係はますます強固なものになってきている。両国が結んできた友情、寛容と連帯のように絆が深まることを期待したい。メキシコの12の都市と日本の都市は姉妹協定で結ばれている。姉妹都市では文化交流をはじめ様々なイベントが行われている。中でも大多喜町の大城祭りは毎年サムライがメキシカンハットをかぶってパレードしたり、メキシコ人女性が着物きたり友好的な雰囲気の中で行われている。

7歳のお誕生日会

林さんファミリーは息子の航生君の7歳のお誕生日をメキシコ風のパーティーでお祝いした。家族とお友達の日本人やメキシコ人を招いた誕生日会はとても素敵で楽しい思い出になった。 誕生日会の主役の航生君は大好きなサッカーチームであるレアル・マドリードのユニフォームで登場。 パーティーには特大のトランポリン、おいしいアイスクリーム、マシュマロが入ったチョコレートなどご馳走がいっぱい。 レアル・マドリードのチームグッズで飾り付けされた誕生日会は大人も子供もメキシコ人も日本人も一緒に楽しめる素敵なパーティーだった。