オーディオ
レオンにはじめに
やって来た日本人
Por Pablo César Carrillo
1995年ある日本人家族がレオンに
自転車産業を興した。
日本人特有の器用さで自転車の修理や整備をはじめたのだ。
当時はじめた店舗はまだミゲルアレマン通りに健在だ。
10歳で来墨したミキオ・トツカさんは62歳を迎えた。
商売を始めたのは彼の父キンキチ・トツカさんだ。フランシスコというメキシコ名もある。彼は荷物運搬船に勤務していて 日本の商品を南アメリカへ運んでいた。一時期はペルーにも住んでいたそうだ。
フランシスコ・キンキチさんはアメリカに住もうと思いバハカリフォルニアのメヒカリから国境を越えようと思った。
しかし戦争が起こりメヒカリの日本人はグアダラハラへ送られそこで農業に従事した。
彼はレオンで自転車の商売をしている知り合いからレオンに来ないかと言われるまでハリスコ州にいた。
それからレオンに彼は留まった。
ミゲルアレマン通りの店舗に自転車の店を出してからは街で
自転車の王様といわれるほど有名になった。
今は同じ通りに2つ店舗を出し
イラリオ・メディナにも一店舗ある。
彼はもう自分を日本人だと思っていない。トツカさんはメキシコ人なんだ。日本語も話さないし、日本のことも知らない。でも目は細長く肌も黄色い。メキシコ人っぽい日本人いや日本人っぽいメキシコ人だ。
その昔自転車を売る東洋人は日本人だけだった。でも今はグアナファトに何千人もの自動車産業に従事する日本人がいる。
自動車産業ブームによって生まれた日本人の移住者は世界でも類を見ない。
メキシコ人のオクタビオ・ミキオ・トツカさんはここで自転車屋さんを続ける。
トツカさんはメキシコのような遠く離れた違う国に来るということの意味を良く分かっている。
日本人のみなさんにお願いしたい事は メキシコ人はとてもオープンでグローバルな国だということ。
グアナファトで自動車産業に従事している今の日本人にとってもトツカさんが経験したことが将来起こりうるかもしれない。
トツカさんのお子さんもお孫さんもメキシコ人だ。彼の計画はアメリカへ行くことだったけれどレオンで自転車産業に従事することになったのだ。