日本のチョコパーティー

日本では2月14日はバレンタインデーで、チョコレートが主役になります。 この日は女性が気になる男性(そうでない場合もある)にチョコレートを贈るのが一般的な習慣です。以下のように対象によりチョコレートの種類も変わります: 本命チョコは片想い又は両想いの相手に贈られます。 義理チョコは、会社の同僚、上司、あまり親しくない友達などに贈られます。値段の安いチョコレートが一般的です。 友チョコは親しい友人や家族などに贈られます。 逆チョコは、男性が女性にプレゼントする場合の呼び名です。 ホワイトデー バレンタインデーからちょうど1か月後の3月14日はホワイトデーと呼ばれ、チョコレートを貰った男性が今度は女性にお返しをします。以前は白いチョコレートを返していたことからホワイトデーと呼ばれ、その金額は貰ったチョコレートの3倍が相場と言われています。最近ではチョコレートではない贈り物が主流です。

日本文化の発掘

先日在レオン日本国総領事館の主催で文化事業が開催され、メキシコ人が日本の伝統文化について更なる理解を深めると共に、バヒオ地域に住む日本人コミュニティも日本文化の良さを再確認する機会となった。 「Tu y Japón」では書道、茶道、着物の着付け、伝統音楽が披露され、代表的な日本料理も振る舞われました。 書道教室では師範による指導があり、お茶会ではおもてなしの心についての紹介もありました。 イベント中は日本文化の豊かさに触れ、あちらこちらで着物が目に留まり、抹茶の香りが立ち込め、書道の墨が作品に生み出す様子は、まるで日本にいるかのような雰囲気でした。 また、日本文化が謙虚さや勤勉さと言った日常生活における日本人の特性と深く関わっていることを感じました。 着物の着付けは魔法のようで大変驚きました。そして日本の伝統音楽ではメキシコ人と日本人が共に歌い踊り楽しいひと時となりました。 職場を離れた場での文化交流は、更にメキシコと日本の関係を深めていくでしょう。

けん玉とバレロ

日本とメキシコそれぞれの国の伝統玩具であるけん玉とバレロは共通点が多く、どちらもテクニックと集中力が必要な遊びである。 けん玉 原産国:日本 素材:木製 特徴:十字状の「けん(剣)」と穴の空いた「玉」で構成される伝統的な玩具。 テクニック:バランスよく玉を皿の上に乗せたり、けん先に入れたりして遊ぶ。 歴史:アイヌ民族によりもたらされた、何百年も前から日本に伝わる伝統玩具。 風習:現代でも老若男女問わず親しまれており、けん玉の特別授業を行っている小学校もある。 BALERO 原産国:メキシコ 素材:木製 特徴:「頭」と呼ばれる底に穴があいたパーツと、持ち手となる棒状の2つのパーツからできており、様々な大きさのバレロがある。 テクニック:頭部分の穴に棒状の先を入れる。 歴史:プレヒスパニック期にメキシコ原住民マヤ族がガイ骨を用いてバレロに興じていたことが起源だとされている。 風習:現代ではバレロを始めとする伝統玩具で遊ぶ子ども達が減少している。

第4回: 会社のお金

メキシコ人の考える“お金の遣い方” 筆書「現役通訳夫婦が見たメキシコ自動車産業と今後」では多くの共感・納得の声を頂いていますが、本シリーズは著書に書き切れなかったこぼれ話&メキシコ人向けの内容でお届けしていきます。 第4回目は「会社のお金」、つまりお金の使い方や金銭感覚についてです。メキシコ人も日本人も自分のポケットマネーだったら財布の紐を引き締める行為は同じですが、会社のお金だと大分話が変わってきます。 全体的に言える事は、メキシコ人は会社のお金を「賢く」使うというよりは、「自分の仕事を楽にする」為に使う事に重きを置いています。例えば、何か設備を購入しようとしたら「ちょっと高くても」性能の良いもの、最新技術のもの、付帯設備を付けるなどです。もはやそこには「費用対効果」や「長期視点での回収」は希薄な場合が多いです。 何故かというと、「自分達の雇い主はお金持ちだ。だから彼らのお金を使う罪悪感を覚える事は無い、彼らはこの投資で今以上に儲けるだろうから」という外国資本に搾取され続けている歴史が生んだ考え方があるからです。 全てのメキシコ人がそうではありませんが、貴方も思い当たる節がありませんか?

祝3周年!

メキシコ人と日本人を結ぶ話題を提供し続けて創刊から3周年を迎えました。読者の皆様に感謝の気持ちを伝えると同時に、今後もメキシコと日本の絆を深めるのに役立つような情報を発信していきたいと思います。 これからもよろしくお願いいたします。 ビバ・メヒコ!ビバ・日本!

三船敏郎:日本人原住民

スペイン語が話せないにも関わらず原住民役としてメキシコ映画の主役を演じた日本人俳優。当時のエピソードをご紹介。 今から58年前「価値ある男」というメキシコ映画で、三船敏郎さんは飲んだくれで無責任な農夫役を演じました。 1961年4月に映画の撮影でメキシコへ渡った三船さんが着物姿でメキシコ空港に降り立つ姿を、当時多くの新聞社が取り上げました。 渡墨した際の記者会見で三船さんは、スペイン語が全く話せなかったため映画でのセリフは全て丸暗記をしたと話していますが、三船さんの「独特なアクセント」により、最終的にはネイティブによる吹き替えが使われました。 三船さんの映画出演料は1万ドルで、その頃の相場に比べると低めだったそうです。 三船さんがメキシコ映画に出演する(1961年5月オアハカで撮影開始)という珍事は、当時メキシコ映画の国際化を模索していたイスマエル・ロドリゲス監督のアイデアにより始まります。 「三船敏郎さんを探しに日本へ渡りました。」と語るロドリゲス監督は長い交渉の末に三船氏を説得し、あの飲んだくれの原住民農夫が誕生したのでした。 そして映画公開から1年後に、外国語映画賞としてゴールデングローブ賞とオスカー賞にノミネートされました。 三船さんの心にはメキシコでの思い出が刻まれていたのではないでしょうか。帰国後に三船さんから届いた手紙にはこう記されていました。「メキシコの地でメキシコ人の皆さんに出会うことができ、とても嬉しく思います。私の母国日本と同様にメキシコを尊く、恋しく思います。」

アランダ・デ・ラ・パラ病院 創立80周年式典

メキシコ中心部において最も知名度のある民間病院、アランダ・デ・ラ・パラ病院が開院80周年を迎えました。 これまで最新の医療設備を導入し優秀な専門医を採用することで、グアナファトで実績を残しつつ質の高い医療を提供してきました。 現在専門医166名と一般医40名を配置し、病室109室、手術室12室を整備し24時間体制で対応しています。 アランダ・デ・ラ・パラはバヒオ地域の病院でも国際認証を取得したパイオニアであり、重症患者治療にも高度な専門性で取り組んできました。 プエルト・インテンリオール工業団地に開院 アランダ・デ・ラ・パラ病院のプエルト・インテンリオール開設により、外国人又は市外患者に対しても救急医療、外来診療、健康診断、検査入院、集中治療、専門手術、日帰り手術などの医療サービスを提供。 手術室3室、退院サポート室も完備されており、臨床診断、レントゲン検査、エコー検査や乳がん検診も受けられる。 arandadelaparra.com.mx

エストゥディアンティーナが 日本語で演奏

広島県とグアナファト州の文化交流の一環として、エストゥディアンティーナ(グアナファト市の名物楽団)のグループが去年4月に広島を訪れ、フラワーフェスティバルに出演してグアナファトの伝統音楽を披露しました。またそのうち何曲かは日本語で演奏されました。 桜の開花時期に合わせて開かれたフラワーフェスティバルでは、グアナファトで行われる「カジェホネアーダ」と同様に、エストゥディアンティーナ楽団が広島の道を演奏しながら練り歩きました。 楽団長であるマヌエル・アメスキータさんは、日本語での演奏は忘れられない経験になったと述べています。細谷すけみちさんにより日本語に訳された「シエリート・リンド」と「ラ・クカラーチャ」の2曲が演奏されましたが、日本語の歌詞を覚えるのに何日もかかったそうです。「日本語を曲のリズムに合わせるのに苦労しましたが、最終的にはとても感動的な演奏になりました。」とマヌエルさんは話してくれました。 グアナファトの伝統音楽が広島へ渡ったことで、二都市間の交流も更に深まったに違いありません。 また広島県知事が今年グアナファトに訪問された際に、同じエストゥディアンティーナ楽団が再び日本語での演奏を披露しました。知事を始めとする日本からの訪問団にとても喜ばれ、皆友人として歌や踊りを楽しみました。 グアナファトのカジェホネアーダ エストゥディアンティーナの演奏はグアナファト市の伝統音楽で、夕方になるとスエードの上品な衣装をまとった音楽家たちが陽気な音楽を奏でながら町の小道を練り歩く。 ギター、タンバリン、マンドリンそしてカスタネットの音色は1962年にスペイン人によってもたらされた。その後グアナファト大学の学生たちがこれらの楽器を用いて野外演奏を始めたのが「エストゥディアンティーナ」楽団の発祥である。