マス・ハポン・エン・グアナファト

グアナファト州は今日、世界で最も多くの日本人が移住している地域です。 同州には276社以上の日系企業が進出しており、それに伴って約2300人の日本人が、主にレオン、イラプアト、セラヤ、グアナファトなどの町に居住しています。 世界でも名高い日本の3つの自動車メーカー(トヨタ、ホンダ、マツダ)がグアナファト州で自動車を製造しており、年間50万台以上の日本車が生産されています。 グアナファトでは、レストラン、自宅周辺、学校、職場などさまざまな場所における日本人との日常が話題になることがよくあります。日本人は自動車を作るためだけにグアナファトにやって来たのではなく、私たちの生活様式までも変化していったのです。 現在、グアナファトの人々の中には、大学で日本語を学習し、日本の規律や哲学を学び、時間厳守で仕事に取り組む習慣を身につけている人や、アニメや寿司など日本文化が大好きな人もいます。また、メキシコ人と日本人が結婚し、家族を築いている例も少なくありません。 日ごとに「マス・ハポン・エン・グアナファト(グアナファトでもっと日本を)」が実現しています。 在レオン日本国総領事館は、9月2日から4日まで、第1回「マス・ハポン・エン・グアナファト」を開催します。 講演会、コンサート、伝統舞踊、茶道、書道、美食ワークショップ、武道、コスプレ・ファッションショー、日本映画上映、ネットワーキングなどが行われます。 「マス・ハポン・エン・グアナファト」のプログラムは、ホームページwww.kokoméxico.com、又はココ・メキシコのSNSでご確認ください。

日本で初めて聖人となったメキシコ人修道士の歴史

長崎の難破船が、聖フェリペ・デ・ヘスス教会へと続く道のりの原点となる。 日本で初めてメキシコ人として聖人となった聖フェリペ・デ・ヘススは、群衆の前で処刑され、日本で殉教しました。 豊臣秀吉の命により、京都から長崎の西坂の丘に至るまで各地で見せしめにされ、フランシスコ会司祭6名、イエズス会3名、そして日本人信徒17名が磔の刑に処されました。

セルビンと日本の子どもたち

グアナフアト日本人学校では、60人以上の生徒が、陶芸家セルビンの学校で講習を受け、その技術を学びました。

おめでとうCOFOCE

 本号において、COFOCE(グアナファト州貿易振興調整機関)の創立30周年を迎えられたことについてお祝い申し上げます。今後とも、COFOCEが、経済成長のためのグアナファト州の企業の国際化というビジョンを現実のものにする重要な業務を継続されることを期待します。COFOCEは、グアナファト州の企業が世界各国にその製品・産品を輸出するための国際貿易の研修サービスを提供する専門的で競争力のある組織と言えます。 日本との関係で言えば、日墨経済連携協定が発効した後の2008年にFOODEXへ参加し、グアナファト州・日本間の通商関係に貢献しました。私のグアナファト州における勤務において、COFOCEが輸出促進を支援したいくつかの企業(例えばMr. Lucky, Red Sun Farm, CICABA)を訪問しましたが、常にCOFOCEの研修などで高い能力を身につけたスタッフに同行いただきました。 積み重ねられた知識は大きな価値であり、2022年に30年周年を迎えるこの期間、COFOCEの業務の質は顕著でありました。引き続き更なる発展を祈念します。改めてお祝い申し上げます。 在レオン日本国総領事 板垣 克巳

日系ゼネコンのキーパーソン、仁田原幸さん

世界各地で活動を展開している日本の準大手ゼネコン株式会社安藤ハザマで、エンジニアや建築家に混じり重要な役割を担っている。 豊富な実務経験とスペイン語・日本語の堪能さから、複数の日本企業にて管理部門のリーダーを務めている。現在は、イラプアトにある建設会社「安藤ハザマ」で、メキシコ人と日本人の間の良好な労働環境を維持するための責任者を務めている。 この重要な日本企業の成功の多くは、日本人の両親を持ちボリビアで生まれた幸さんの決断にかかっている。メキシコ人と日本人の労働文化が尊重されるよう、日々努力している。 幸さんは、ふたつの文化を理解するための手段なのです。彼女の存在は必要不可欠です。人事・総務のマネージャーである彼女に、日本企業でのキャリアを語ってもらいました。 “私はボリビアで生まれ育ちました。 私の両親は日本人です。祖父母は第二次世界大戦後、日本が荒廃したときに移住してきたのですが、その日本人を受け入れ開墾の機会を与えてくれたのがボリビアだったのです。 そこは無人の土地で、ジャングルでした。私の祖父母は、サンフアン日本人移住地の開拓者です。” 幸さんは、ボリビア、エルサルバドル、グアテマラ、ガーナ、パラグアイ、東京にて日系企業で働いた経験があります。現在はイラプアト(メキシコ)に住み、日本のトップクラスゼネコンの株式会社安藤ハザマでメキシコ人と日本人をつなぐ仕事をしている。 “日本人とメキシコ人、両方の真ん中で仕事をしているので、日本の文化もわかるし、ラテンの部分も理解できます。日本人の上司は迅速な結果を求めるのに対し、そのスピード感はメキシコの文化ではないので、要求に応えるのが時に難しいこともあります。” “必死に焦らないように、でものんびりもしないように” その中間地点で両方の文化のバランスを取るのが大変でした。仕事の面で衝突することもありますが、常にバランスを保つのが私の役割です。簡単なことではありません。 メキシコ人スタッフからは「要求が多い」と言われましたが、後ろでは日本人上司が「もっとやれ」と言っていました。長年の経験を得てようやく両方の文化を理解することができるようになりました。 「メキシコの価値観はとても誠実で、何が悪いのか、何が嫌なのか、はっきりとしています。日本の文化では、そこまでは言わないですね」。 メキシコと日本の労働環境のバランスを取るエキスパートである幸さんが、職場の生産性を上げるために最も重要だと考えるポイントを教えてくれました。 メキシコ人と日本人が職場でよりよく共存するための5つのポイント。 メキシコに入る日本人は、メキシコの習慣や文化を理解し、受け入れなければなりません。 日本の仕事文化を浸透させることは重要だが、同じ人間ではないし、習慣も違うので、無理に日本と同じように働かせることはできない。 メキシコ人は、「メキシコではこうなんだ」と反論してはいけません。 日本の美しいところは、時間を守ることであり、すべての人の役に立つことです。私たちは、こうした良い習慣を取り入れ、時間を守ること、責任を負うことを大切にしなければなりません。 ネガティブなことは見ないこと。ポジティブなことを見る機会を作り、それを積み重ねる。もし、ある場所にたどり着いたら、それを最大限に利用して足し算をする。

125年前にやってきたはじめの日本人たち

チアパスでコーヒーを栽培するため35人の日本人がメキシコに到着 1897年榎本移民はコーヒーを栽培して日本に持ち帰るためメキシコに到着した。 榎本の夢は達成されることはなかった。チアパスにたどり着く事なく榎本移民はばらばらになってしまったからだ。 レオン領事館の資料によると 1903年に次の日本人移民がやってきた。コアウイラの鉱山で48人が働くためにやってきたのだ。 その後の到着した日本人はコリマで鉄道を作ったり、オアハカのサトウキビ畑で働いていた。 1907年には8千人の日本人がメキシコにいた その中の一人にマツモトという人がいた。彼は現在のメキシコでとてもポピュラーな2つの植物をブラジルから運んできた。 ハカランダとブーゲンビリアだ。 日系人の増加に伴いメキシコシティーに日本人学校ができ日系の小中学校ができた。現在の日本メキシコ学院の前身になった。 榎本武揚はラテンアメリカ大陸初の 日系移民コロニアを作った

セーブ・ザ・チルドレンと日本が協力し、メキシコにいる移民のための医療クリニックを開設

セーブ・ザ・チルドレン(NGO)は日本大使館の支援を受け、バハ・カリフォルニア州ティファナの移住者に対応する診療所を開設し、設備を導入する予定である。 この診療所では、子供や青少年を含む4000人以上の移民に直接医療が提供される。 福嶌大使によると、このプロジェクトは人間の安全保障に関するコミュニティ・プロジェクトのための無償資金協力の一環である。 大使は、「この協力が、中米からの移民問題に対するメキシコと米国の取り組みに貢献することを期待している。」と述べた。

レオンと日本の関係強化

板垣総領事は、日本とレオン市の経済、教育、文化面での協力関係を強化するため、アレハンドラ・グティエレス レオン市長と会合を持ちました。 板垣総領事夫人と中川原領事も参加し、レオン市の観光とビジネスプロジェクトに関する問題について意見交換しました。 また、レオン市内に住む日本人コミュニティとの友好関係の強化、自治体が現在直面している課題、日本文化・ビジネスイベントにおける協力の可能性などについても話し合われました。 「互いに親近感を持つことができ、大変光栄に思います」とレオン市長は述べています。

FESPA BAJIO 展示会:印刷技術の革新

プリント業界で世界最大級の展示会がレオンに初めて上陸し、自動車産業および製造業向けの最も革新的な印刷技術が紹介される。 世界各地でプリント業界に関する専門的なイベントを開催する国際連盟FESPAは、大判デジタルプリント業界に特化した6つのグローバル展示会や会議を開催し、自動車、製造、繊維産業へ市場環境を提供しています。 FESPA MEXICOは、世界的なイベントポートフォリオの一部であり、メキシコおよびラテンアメリカを代表する印刷業界のイベントとして、メキシコシティで13回開催されてきました。2021年中は、印刷業界の活性化を直接支援する目的で、唯一リアル形式のイベントが催されました。 2年にわたるコロナ禍の影響の中、FESPA BAJIOは印刷業界の復興と新しいプロジェクトのためのインセンティブとして登場し、4月6日・7日にポリフォーラムレオン会場のパビリオンCで地域イベントが開催されます。 FESPA BAJIOは、自動車産業および製造業を対象に、捺染印刷、レーザー加工機(カット・彫刻)、製品カスタマイズ、3Dプリント技術など、専門性の高い技術を紹介することを目的としています。 メキシコのバヒオ地方は、多様な製造業への投資で大きな成功を収めているのが特徴的で、FESPAがメキシコで初めて開催する地域イベントの会場にレオンが選ばれたのも、この多様性によるものです。 このイベントでは、自動車および製造業向けの最新のソリューションやイノベーションを紹介する45社の出展が予定されており、4000名の来場者を見込んでいます。 FESPA BAJIOは4月7日にプリント会議と併催され、2022年9月22日から4日までメキシコシティのCentro Citibanamexで開催される地域最大のグラフィックアート産業展「FESPA MEXICO 2022」にも参加する予定です。 メキシコおよびラテンアメリカのグラフィック業界を代表するイベント バヒオ地域では初開催 出展社数45社 4月6日・7日 グアナファト州ポリフォーラムレオン会場 www.fespabajio.com

メキシコ労働組合連盟が創立86周年を祝う

メキシコ労働組合連盟(CTM)は、組合員と国の経済発展の向上に寄与してきた、86年間の闘いと労働環境改善の歴史を祝った。 CTMはメキシコで最大最強の労働組合で、1936年2月24日に設立されて以来、労働者の権利を擁護するとともに、不平等や不公正をなくすために絶えず闘ってきました。 逆境に立たされながらも、日本の「カイゼン」思想のように、常に時代の最先端を目指し、改善を続けてきました。 「今日、メキシコ労働組合連盟は労働者のためだけでなく、メキシコのためにも成果を上げたと言えるでしょう。そして今後も労働者のために闘い続けることを確信しています。なぜならそれがCTMの心髄だからです」と、全国委員会のパトリシオ・フローレス・サンドバル広報部長は述べました。 この86年間、CTMの主な目的は、組合員の労働そして社会環境の安定を維持することでした。 より良い生活賃金の雇用を生み出すとともに、若者への配慮も怠らず、学業を続けるための支援も行ってきました。 また、重要な制度や組織を作る際の基本的な柱にもなっています。CTMのリーダーシップのおかげで、労働者はIMSS(健康保険)、INFONAVIT(労働者住宅供給金)、退職年金基金などの適切な社会保障制度を受ける権利を持つようになりました。 ジェンダー問題では、女性の労働賃金、男女平等、福利厚生の充実を保証するため大きく前進しました。今日CTMの女性組合員は、より良い就労機会と平等な賃金を得ています。 さらに、CTMは組合の透明性、説明責任、民主主義に配慮、保証しながら、メキシコの責任ある労働組合主義に貢献しています。 CTMのリーダーであるカルロス・アセベス・デル・オルモ上院議員を通じて、平等社会を維持するために闘い、組合員の労働権を保護し、国の経済と政治に貢献していく考えです。 アセベス書記長は、「私たちの任務は、どんな状況でも永久に闘い続けることであり、これは労働者階級の生活向上や国の発展という成果において実証されています」、と祝賀メッセージの中で述べ、こう締めくくっています。「CTMは、不平等と不公正に終止符を打つために存続し、それを追及し続けます。団結と努力で、最後の一人となるまで、私たちは最善を尽くすでしょう。CTM86周年万歳!メキシコ万歳!」 「私たちの任務は、どんな状況でも永久に闘い続けることであり、これは労働者階級の生活向上や国の発展という成果において実証されている。」 カルロス・アセベス・デル・オルモ – CTM全国委員会書記長