江戸時代(1603年~1868年)は芸者の全盛期だった。西洋では、芸者は売春のために雇われる女性だと考えられていたが、全く事実ではない。確かに日本人から見れば魅力的だが、芸者はそれ以上の存在なのである。
広島でのグアナファト人会
ディエゴ・シヌエ州知事が広島のマツダ工場を訪問した際、マツダ・サラマンカ工場勤務で、現在日本で研修中のグアナファト出身者との会合を設けました。マツダ社の役員と従業員は、投資誘致活動の一環で来日したグアナファト州知事一行を歓迎しました。
茶道の秘密日本古来の伝統的な儀式
茶道は、自然を感じながら心を落ち着かせてお茶を点て、客人に振る舞う儀式です。茶道は奥が深く、神聖で精神的な伝統文化であり、20年間稽古をしていてもその秘密を理解できないほど複雑だと言われています。千利休は茶の湯を形式化した歴史上の人物であり、茶道の精神を「和敬清寂」という四字で表現しました。では、茶道の儀式は何を意味するのでしょうか?それは芸術の崇拝であり、人生は儚いものであるということを理解しながら今を生きることを表現しています。今、その場所で体験していることはそれを共有する人々と共にあり、そのような瞬間は二度とないことを理解することなのです。茶道には「一期一会」ということわざがありますが、これは「唯一無二の瞬間」「唯一無二の出会い」を意味しています。日本に行く機会があれば、是非この唯一無二の体験をしてみてください。茶道は日本伝統文化の代表格なのです。
ボランティア精神にあふれた女性たち
レオン総合病院(Hospital General)のゲストハウスで力を合わせて働いている女性グループがいます。ゲストハウスでは、病院で療養している患者の家族で支援を必要とする人々に無償で食事を提供しています。この女性グループは、4年前からNPO支援団体との協働を模索してきた結果、メキシコ元大統領夫人であるマルタ・サアグン・デ・フォックスが主宰する「バモス・メヒコ財団」との連携が実現しました。
目標達成を祈願する「だるま」
日本人にとって、目標や目的を達成するための方法のひとつに、だるまの力を借りることがあります。日本では良く知られている縁起物の一つで、張り子でつくられているだるまは「大願成就の縁起物」として親しまれています。
力と力のぶつかり合い:グアナファトで戦う 日本人プロレスラーたち
プロレスは、メキシコや日本でとても人気のあるスポーツです。どちらの国でも、プロレス興行では情熱と栄光が体験できます。グアナファトは日頃からメキシコ人と日本人が共に暮らしている場所であり、ここで日本人プロレスラーとメキシコ人プロレスラーの対戦が実現しました。一方のコーナー:ライオン・ドッグとラティン・スターもう一方のコーナー:ニシカワとクウカイメキシコの歓声がレスラーを迎えます。リング上では、日本人挑戦者がラテン王者と対戦しました。ヒール(悪党派)とベビーフェイス(正統派)。エキサイティングで拮抗した戦い。叫び声、ブーイング、そして拍手。日本人の悪役たちは敗れましたが、ニシカワ選手とクウカイ選手は敗戦のブーイングに満足して帰って行きました。彼らは熱狂的なプロレスラーでした。ニシカワ選手はデビュー戦で「プロレスはとても面白いショーで、観客が興奮するので大好きです」と語っています。「日本でもプロレスは人気のあるスポーツです。是非観戦に来て、日本チームを応援してください」とクウカイ選手も話してくれました。 第二次世界大戦後に日本でプロレスが生まれる 終戦時、多くの日本人がアメリカに対して悲しみや憤りを感じていた中、日本人プロレスラー力道山がアメリカ人レスラーに勝利した姿を見て、それを誇りに感じた人々はプロレスの虜になりました。プロレスは柔道や野球と並んで最も人気のあるスポーツとして日本に浸透していきました。英語のプロフェッショナルレスリングの省略形としてプロレスという言葉が生まれました。日本のプロレスの違いはその技に武道のテクニックが織り交ぜられていることと、対戦相手への配慮が深いことがあげらます。メキシコでは好きなスポーツ第5位にプロレスがランクインしています。 メキシコでは19世紀にルチャリブレが誕生 メキシコで最初にルチャリブレが行われたのは19世紀半ばで、メキシコがフランスに干渉されていた時代に、外国人による興行として始まりました。その後、メキシコのルチャリブレは独自の技術、アクロバット、ルール、慣習などが取り入れられ、次第に大きな人気を得るようになりました。最初のメキシコ人ルチャドール(プロレスラー)であるエンリケ・ウガルテチェアが、メキシコのルチャリブレの基礎を作り上げました。
「ひまわりのおかげで、日本にいるような気分になる」
ビジャス・デ・イラプアト地区にある小さな店が、バヒオ地域に住む日本人にとって特別な場所になっています。イラプアトだけでなく、ケレタロ、サラマンカ、レオン、アグアスカリエンテスなど近隣の町からも日本人が訪れる、100%日本スーパーの「ひまわり」には、毎日お客さんが来店しています。ひまわりは単なる日本食材店ではなく、母国にいるかのような気分になるために、そこに足を運んでいます。この場所では、日本語の本を読んで時間を共有することで「グアナファトにある日本の一部」を楽しむことができます。 大岩さん一家はレオンに住んでいますが、週末にはひまわりを訪ねてイラプアトにやって来ます。「ここに来るのが大好きなんです」と大岩さんは話します。金曜日には仕事を終えた日本人たちがバスでひまわりにやって来てくつろいでいます。ひまわりでは、日本の匂い、味など日本の独特の雰囲気があり、200種類以上の輸入品を扱っているだけではなく、焼きたての日本のパン、お弁当、そして新鮮な食材をつかった日本料理も提供されています。また日本の野菜も売られていますが、どれもグアナファトで丹精込めて育てられたものです。興味深いことに、ひまわりのオーナーを始め、スタッフは全員メキシコ人なのです。パンはエリック・ロペスが焼き、レジはシルビア・カリストが担当、そしてオーナーはマルタとアントニオです。彼ら同様、ひまわりのスタッフ全員が、日本人が満足する上質なサービスを提供するために努力しています。
ネコワイイ:バヒオ地域最大のアニメコン
コスプレコンテスト、ビデオゲーム大会などが行われ、ラテンアメリカでも人気の悟空、ナルト、セーラームーンなどのキャラクターの声を担当する有名な声優の参加も予定されています。 主催者のホルヘ・センデハス氏によると、日本人やキャラクターに扮する「コスプレイヤー」は入場が無料になるそうです。 ●開催日:5月19・20・21日●時間:午前11時~午後9時●入場料:100ペソ●場所:ドン・ボスコ広場、ルイス・ドナルド・コロシオ通り、イラプアト
さよならメキシコのサマータイム
メキシコ政府は、サマータイムを廃止することを決定した。今年から、時計を1時間進めるサマータイムがなくなりました。 26年前の1996年から、メキシコは省エネ、汚染の撲滅、日照時間の増加、商業上の利益を目的としてサマータイムを実施してきました。また、サマータイムは、米国との継続的な貿易関係にもプラスに働いています。 この週末、一部の携帯電話では自動的に時刻が変更され、多くのメキシコ人は今は何時なんだと混乱した朝を迎えました 皆さんは、どうでしたか、このようなことはありませんでしたか?
アントニオ・ラミレス・バジェホ氏との別れ
2月6日、前サラマンカ市長のアントニオ・ラミレス・バジェホ氏が死去しました。アントニオさんは、グアナファトに自動車ブームを巻き起こした最初の自動車工場、マツダの誘致に貢献しました。 市長としての任期が後1年となった時に、マツダ工場の建設が始まりました。「ミヤギ先生」と呼ばれていたアントニオさんはグアナファトのサムライでした。日本語を学び、刀を使いこなし、空手七段の腕前でした。 マツダと契約した夜アントニオさんは、6年前のココ・メキシコのインタビューで、マツダがサラマンカ進出を決めた夜のことを語ってくれました。「グアナファト州政府の協力者と私は、イラプアトのホリデーインホテルでマツダと契約を結んだのです。ホテルの会議室で夜10時ごろ、マツダの幹部がサラマンカにあるプリナ社の裏手の土地を要求してきました。それまでに12時間近くも打ち合わせを続けていました。政府は失敗した製油所の土地を譲りたいと話していましたが、マツダはその提案を受けませんでした。そこで州政府は「ピュリナ社の土地を渡せば、サラマンカに来てくれますか」と新たに提案しました。「マツダはそれを受け入れ、すでに趣意書にサインをしていましたが、即座に知事のサインを求めました。そこでグアナファト市へと向かい、当時のオリバ知事に契約書への署名をお願いしに行きました。」その夜グアナファトの歴史が変わったのです。そしてアントニオさんもそれに参加した一員でした。 勲章サラマンカ出身のこの輝かしい政治家が受けた表彰の一つに、2022年11月3日、日本政府から、日本とメキシコの交流促進への貢献、特に2009年から2012年のサラマンカ市長時代の経済・ビジネス分野での指導力が認められ、旭日小綬章を授与されました。また、2021年には板垣総領事により、両国の友好関係を深めたとして叙勲されました。