日本政府は、長年にわたり日本·メキシコの二国間関係強化に貢献した功績をたたえ、ロドルフォ·ゴンサレス·オノ氏に表彰状を授与。

在レオン日本国総領事館の板垣克己総領事は、日本・メキシコの二国間、特に広島県・グアナファト州関係強化に貢献した功績をたたえ、ロドルフォ・ゴンサレス・オノ氏に表彰状を授与しました。日本人の母とメキシコ人の父の間に生まれたグアナファト出身のロドルフォ・ゴンサレス・オノ氏は、グアナファト州政府の専門家チームや職員とともに、10年以上にわたって日本企業のグアナファト州への進出を促進してきました。ディエゴ・シヌエ・ロドリゲス グアナファト州知事一行が先日日本を訪問した際に湯崎英彦広島県知事から歓迎レセプションが開かれ、その場でロドルフォ・ゴンサレス氏が表彰されました。 ロドルフォ・ゴンサレス・オノ氏、二国の架け橋●ゴンサレス・オノ氏は20年以上前から東京在住。●メキシコと日本の文化・経済交流関係の柱となるさまざまな役職を歴任。●1998年~2002年:メキシコ外務省を通じて駐日メキシコ大使館文化担当参事官に就任。 ●2003年~2005年:メキシコ農畜水産農村開発食糧省(SAGARPA)より、在日コミッショナーを担当。●メキシコ農畜水産農村開発食糧省(SAGARPA)駐日事務所の設立および運営の基盤を築く。 ●2006年~:対メキシコを中心とした国際的なサービスを提供するコンサルティング会社、グローバル・パシフィコ・コンサルタンツを東京に設立し、現在も代表取締役を務める。●*ミゲル・マルケス、ディエゴ・ロドリゲス両州知事のもとで、ゴンサレス・オノ氏がグアナファト州駐日代表に任命されたこと(2014年~2020年)は、日本・メキシコ二国間の経済・学術・文化交流の拡大、強化に良い結果をもたらした。●グアナファト州政府が日本に常設オフィスを設けたことで、より多くの日本企業がグアナファトに進出するための鍵となった。

ケンジさん:日系グアナファト人ユーチューバー

ケンジさんの父親は1990年代にニューヨークからグアナファトへ自転車でやって来た。 ケンジさんの父親、トヨカシさんはニューヨークからアルゼンチンまで自転車で行くことを決意しました。しかし、道中のグアナファトで人生のパートナーとなる女性と出会い、その旅は中断することになりました。その決断には多くの人が驚いたそうです。当時の新聞はこの珍しい出来事を取り上げ、「世界を旅する途中で愛を見つけた」という見出しのニュースが掲載されました。このロマンティックな国境を超えるラブストーリーは、サンタ·ロサ·デ·リマののどかな風景を舞台に綴られました。東京生まれのトカヨシさんは、当時自国の生活に適応することができず、まさにサンタ·ロサ·デ·リマのような静けさを求めていました。YouTubeチャンネル『Japón Desconocido』のインタビューで、「母方の祖父がグアナファトで農業を営んでいたので、父はしばらく農作業の手伝いをしていました」と語っています。ケンジさんは母親と同じくグアナファトで生まれましたが、幼少期に一家はコアウイラ州に移り住みました。チューニング(車のカスタマイズ)のコンテンツに特化したクリエイターであるケンジさんは、その頃から“周りとは違う”メキシコ人であることを意識するようになりました。「12歳のとき、自分が100%メキシコ人ではないことに気づき、そこから日本の文化に興味を持ち始めました」とケンジさんは語ります。今日、ケンジさんのYouTubeチャンネルはメキシコと日本を結ぶ架け橋となり、二国の共通点や相違点などを自然体で伝えています。現在22歳のケンジさんは、本当の自分を見つけようとしています。子どもの頃に一度日本を訪れたことがあるものの、18歳で初めて長期滞在を経験しました。日本国籍を所有しているにもかかわらず、カルチャーショックは複雑だったようです。彼は日本での日常生活を紹介した動画の中で、「車と、タイヤの焦げた匂いと、エンチラーダス·スイサ(メキシコ料理)の大ファン」と語っています。ケンジさんの北部訛りのスペイン語と、コアウイラの習慣(コリード音楽を聴いたり、バーベキューをしたり、アコーディオンを弾くなど)により、彼のチャンネルはメキシコ人からも、メキシコに興味がある日本人からも、「同胞の声」として支持されています。数十年前、彼の父親がそうであったように、ケンジさんは自分の心がどちらの国を求めているのかを模索しています。地球の裏側で育ったものの、日本からの影響も受けて成長してきました。ケンジさんはSNSを通じて、自身でそれを発見しながら、フォロワーにも発信し続けています。 YouTube: @kenyinakamura Instagram: @kenjikuun

茶道の秘密日本古来の伝統的な儀式

茶道は、自然を感じながら心を落ち着かせてお茶を点て、客人に振る舞う儀式です。茶道は奥が深く、神聖で精神的な伝統文化であり、20年間稽古をしていてもその秘密を理解できないほど複雑だと言われています。千利休は茶の湯を形式化した歴史上の人物であり、茶道の精神を「和敬清寂」という四字で表現しました。では、茶道の儀式は何を意味するのでしょうか?それは芸術の崇拝であり、人生は儚いものであるということを理解しながら今を生きることを表現しています。今、その場所で体験していることはそれを共有する人々と共にあり、そのような瞬間は二度とないことを理解することなのです。茶道には「一期一会」ということわざがありますが、これは「唯一無二の瞬間」「唯一無二の出会い」を意味しています。日本に行く機会があれば、是非この唯一無二の体験をしてみてください。茶道は日本伝統文化の代表格なのです。

日本人はなぜ清潔なのか神話から読み解く

日本の創世神話には、愛し合いながらも疎遠になっていた二人の神の物語があります。イザナミ(女神)が病気で亡くなり、黄泉(死者の世界)へ去ってしまいます。イザナミを追うイザナギ(男神)は黄泉へ入って、愛する妻を必死に探します。他の神々から「探すのは良いが、彼女を決して見ないように」と進言されるものの、イザナギはその約束を守らず、イザナミの姿を見てしまいます。黄泉の国の物を食べたイザナミは、すでに体が腐敗した状態でした。その姿を見て恐ろしくなったイザナギは、その場を逃げ去り、なんとか生還します。そして水辺で身を清めるために禊(みそぎ)を行いました。 その時から、日本人にとって毎晩お風呂に入り、清潔に保つことが日常となりました。温泉(公衆浴場)では、男性用と女性に分かれており、それぞれ浴槽の外の浴場で体を洗ったあとで、浴槽に入るというしきたりがあります。日本の慣習である入浴は、イザナギがお祓いを受けたと言われる古来の言い伝えに由来しており、日々の生活の中で儀式的で神聖な感覚を保ち、日本人が清潔である所以なのです。 アンドレア・ナバレテは疲れを知らないメキシコ人旅行家。今回、彼女が日本を旅行した際の経験や魅力的な日本文化への愛着を語ってくれた。

グアナファト-広島友好の絆はサッカーの フィールドにも広がる

グアナファトと広島の両政府が、若手サッカー選手の親善試合「フラタニティ・カップ」を開催 サッカーのピッチ上でも、日本人とメキシコ人の友情は深まっています。フラタニティ・カップに出場するため、広島からサッカー選手がグアナファトにやって来ました。 広島VSセラヤの決勝戦では、両国のサポーターが一堂に集まり、競技性が高いのはもちろんのこと、活気があり、友好関係を深めるイベントとなりました。 決勝戦を終えた広島チームのキャプテンにインタビューしました: 「メキシコに来れたことは、自分にとってとてもいい経験になりました。日本とは全く環境が違いますが、メキシコが大好きになりました。」 Cascarita(カスカリータ):試合形式の遊びChutar(チュタール):ボールを蹴るGolazo(ゴラソ):素晴らしいゴールFucho(フッチョ):サッカーFutbol llanero(フットボル・ジャネロ):道で遊ぶサッカーPorra(ポラ):応援の掛け声Villamelón(ビジャメロン):にわかファン

ボランティア精神にあふれた女性たち

レオン総合病院(Hospital General)のゲストハウスで力を合わせて働いている女性グループがいます。ゲストハウスでは、病院で療養している患者の家族で支援を必要とする人々に無償で食事を提供しています。この女性グループは、4年前からNPO支援団体との協働を模索してきた結果、メキシコ元大統領夫人であるマルタ・サアグン・デ・フォックスが主宰する「バモス・メヒコ財団」との連携が実現しました。

目標達成を祈願する「だるま」

日本人にとって、目標や目的を達成するための方法のひとつに、だるまの力を借りることがあります。日本では良く知られている縁起物の一つで、張り子でつくられているだるまは「大願成就の縁起物」として親しまれています。

力と力のぶつかり合い:グアナファトで戦う 日本人プロレスラーたち

プロレスは、メキシコや日本でとても人気のあるスポーツです。どちらの国でも、プロレス興行では情熱と栄光が体験できます。グアナファトは日頃からメキシコ人と日本人が共に暮らしている場所であり、ここで日本人プロレスラーとメキシコ人プロレスラーの対戦が実現しました。一方のコーナー:ライオン・ドッグとラティン・スターもう一方のコーナー:ニシカワとクウカイメキシコの歓声がレスラーを迎えます。リング上では、日本人挑戦者がラテン王者と対戦しました。ヒール(悪党派)とベビーフェイス(正統派)。エキサイティングで拮抗した戦い。叫び声、ブーイング、そして拍手。日本人の悪役たちは敗れましたが、ニシカワ選手とクウカイ選手は敗戦のブーイングに満足して帰って行きました。彼らは熱狂的なプロレスラーでした。ニシカワ選手はデビュー戦で「プロレスはとても面白いショーで、観客が興奮するので大好きです」と語っています。「日本でもプロレスは人気のあるスポーツです。是非観戦に来て、日本チームを応援してください」とクウカイ選手も話してくれました。 第二次世界大戦後に日本でプロレスが生まれる 終戦時、多くの日本人がアメリカに対して悲しみや憤りを感じていた中、日本人プロレスラー力道山がアメリカ人レスラーに勝利した姿を見て、それを誇りに感じた人々はプロレスの虜になりました。プロレスは柔道や野球と並んで最も人気のあるスポーツとして日本に浸透していきました。英語のプロフェッショナルレスリングの省略形としてプロレスという言葉が生まれました。日本のプロレスの違いはその技に武道のテクニックが織り交ぜられていることと、対戦相手への配慮が深いことがあげらます。メキシコでは好きなスポーツ第5位にプロレスがランクインしています。 メキシコでは19世紀にルチャリブレが誕生 メキシコで最初にルチャリブレが行われたのは19世紀半ばで、メキシコがフランスに干渉されていた時代に、外国人による興行として始まりました。その後、メキシコのルチャリブレは独自の技術、アクロバット、ルール、慣習などが取り入れられ、次第に大きな人気を得るようになりました。最初のメキシコ人ルチャドール(プロレスラー)であるエンリケ・ウガルテチェアが、メキシコのルチャリブレの基礎を作り上げました。

「ひまわりのおかげで、日本にいるような気分になる」

ビジャス・デ・イラプアト地区にある小さな店が、バヒオ地域に住む日本人にとって特別な場所になっています。イラプアトだけでなく、ケレタロ、サラマンカ、レオン、アグアスカリエンテスなど近隣の町からも日本人が訪れる、100%日本スーパーの「ひまわり」には、毎日お客さんが来店しています。ひまわりは単なる日本食材店ではなく、母国にいるかのような気分になるために、そこに足を運んでいます。この場所では、日本語の本を読んで時間を共有することで「グアナファトにある日本の一部」を楽しむことができます。 大岩さん一家はレオンに住んでいますが、週末にはひまわりを訪ねてイラプアトにやって来ます。「ここに来るのが大好きなんです」と大岩さんは話します。金曜日には仕事を終えた日本人たちがバスでひまわりにやって来てくつろいでいます。ひまわりでは、日本の匂い、味など日本の独特の雰囲気があり、200種類以上の輸入品を扱っているだけではなく、焼きたての日本のパン、お弁当、そして新鮮な食材をつかった日本料理も提供されています。また日本の野菜も売られていますが、どれもグアナファトで丹精込めて育てられたものです。興味深いことに、ひまわりのオーナーを始め、スタッフは全員メキシコ人なのです。パンはエリック・ロペスが焼き、レジはシルビア・カリストが担当、そしてオーナーはマルタとアントニオです。彼ら同様、ひまわりのスタッフ全員が、日本人が満足する上質なサービスを提供するために努力しています。