みなさん一年の中でで最もメキシコらしい一週間が始まりますね!そこで今回は、メキシコの国旗にまつわる不思議な事実をご紹介します。 1.メキシコの国旗は、現在の形になるまで色んなデザインの旗がありました。 最初のはミゲル・イダルゴ司祭が使用したもので、グアダルーペの聖母が描かれた旗でした。 2つ目は、トリガランテ軍の旗で、現在の3色の色が使われています。 3つ目は1823年に誕生したもので、3色の色とサボテンに乗った鷲が蛇を捕まえている絵が入っています。 2.緑は独立、白は宗教、赤は連帯の意味があります。 3.メキシコ国旗はイタリア国旗に似ていますが、メキシコ国旗が最初に作られました。 4.- 2月24日を国旗の日と定めたのはラサロ・カルデナスでした。 5.- 国旗を処分する場合は捨てるのではなく焼却処分するという決まりがあります。
透明性を図ったグアナファトの20年
グアナファト州は、公的機関に登録された人々の個人情報を保護し、公的情報の開示を担保する機関を設置してから20年が経ちました。 設立20年を迎えるIACIP(公的情報アクセス機関)は、公共情報へのアクセス、個人情報の修正、取り消し、異議申し立てなどに関する人権を保証する機関です。 この機関を通じて、グアナファト州の公的機関で生じる情報の取り扱いの透明性が確保されています。
えんぴつを植えるビジネス
このアイデアは、高校時代のある課題から始まり、現在では、サステナブルな古新聞で出来たエコえんぴつで環境に配慮する「Küil Escritura Sustentable」という名の会社に成長しました。当時高校生だったダニエルさんは、今ではサステナブルなエコえんぴつの販売を通じて環境意識を高めることに専心する、若き弁護士となりました。そして、ナワトル語で「書く」を意味する「Küil(キュイル)」社の生みの親でもあります。 ココ・メキシコとのインタビューで、ダニエルさんは環境に優しい会社として、成長と統合を目指すために解決してきた課題について話してくれました。 「最初のエコえんぴつはどのような鉛筆でしたか?」 最初は鉛筆には見えず、砂糖の入ったチュロスのようでした。見た目は実際の鉛筆からかけ離れたものでした。 「グリーン経済とは何ですか?」 *リデュース:古新聞を使用することで、新聞紙がゴミとなり下水や河川に流れ込んだり、燃やされたりするのを防ぎます。 *リユース:ユニークで新しいプロセスでの再利用。 *リサイクル:環境にポジティブな変化をもたらします。ゴミの量を減らし、木を大量に伐採しません。 「植えるえんぴつとは?」 鉛筆の上部にはカプセルがあり、野菜の種が入っています。鉛筆が短くて字が書けなくなったら、湿った土を入れた、深さ3センチの植木鉢に鉛筆を埋めます。カプセルはタピオカでできているので生分解され、約2〜3週間後には発芽し始めます。 もう一つの方法は、使用前の鉛筆のカプセルを少量の水で濡らして砕き、種を植えます。鉛筆は新品のままです。 「何か面白いエピソードはありますか?」 信号待ちの車に鉛筆を売っていた頃は、ひどい渋滞を引き起こしてしまいました。エコえんぴつ1本の購入でとプチトマトの苗をプレゼントをしたこともあります。女性たちはそれが気に入って何回も車で通ってくれたので、さらに交通量が増えてしまいました。 「Küilの鉛筆はどこで販売されていますか?」 現在、メキシコ全国のサンボーンズで販売されており、文具店ルメンでも販売される予定です。ほかにも多くの代理店で販売されており、フリーダ‧カーロのコレクションは、フリーダ‧カーロ博物館で購入できます。 www.kuil.com.mx
日本では血液型で性格を判断
血液型によってその人の気質がわかるため、日本企業が人材を採用する際には重要なデータとなり得る。政治家の中にも、選挙運動で血液型を公表する候補者もいる。 その起源は1926年、平野麟と八島富田による血液型説についての出版物の発表に遡ります。その1年後、東京女子高等師範学校教授の古川竹二が「血液型による気質の研究」という論文を発表しました。これが、弁護士であり放送作家としても有名だった能見正比古のおかげで日本や韓国で広まったのは、1970年になってからです。
日本で増すグアナファトの存在感
グアナファト州と広島県の友好関係、そして両地域の貿易関係を通じて、双方の文化的および職場での交流が強化され、ますます多くのグアナファト住民が日本を訪れるようになっています。 グアナファト州知事の日本視察では、研修生として日本のトヨタやマツダで数か月にわたって働いているグアナファト出身者と対面しました。 また、広島の学校で学んでいる高校生や修士課程の学生たちは、その経験について意見交換しました。 グアナファト州青少年交流派遣事業は、10日間にわたって州の高校生が異国の文化に触れ、視野を広げ、人間的・技能的に向上することを目的としています。 この派遣事業は2015年から始まり、グアナファト州と広島県の交流活動として、15歳から18歳までの青少年を対象に募集されています。
JICAが結ぶ日本とメキシコ
JICAは50年にわたり、日本とメキシコの二国間協力関係の発展に貢献してきた。 独立行政法人国際協力機構(JICA)は、メキシコ事務所開設50周年を迎えました。1973年にメキシコに設立されて以来、JICAは両国関係の発展にとって重要な役割を果たしてきました。 メキシコはその恩恵を受け、メキシコ人のための支援プログラムがJICAを通じて行われてきました。 先住民コミュニティでのボランティア活動、農村での技術開発プログラム、保健・医療分野での最新機器の技術提供、日本での研修プログラムなどの事業が、50年にわたりメキシコで実施されてきました。 この間、JICAとメキシコ外務省(SRE)が連携する中で、日本人とメキシコ人を含む1万3000人以上の人々が共に働いてきました。 今回のJICA記念式典には、両国の代表者、メキシコでJICAのプログラムに参加してるボランティアの人々、関係者、学者、ビジネスマン、そして日系人社会の人々などが参加しました。 また、JOCV派遣30周年、そして日本・メキシコパートナーシッププログラム20周年も同時にお祝いされました。
ある芸者の物語日本の美
江戸時代(1603年~1868年)は芸者の全盛期だった。西洋では、芸者は売春のために雇われる女性だと考えられていたが、全く事実ではない。確かに日本人から見れば魅力的だが、芸者はそれ以上の存在なのである。
広島でのグアナファト人会
ディエゴ・シヌエ州知事が広島のマツダ工場を訪問した際、マツダ・サラマンカ工場勤務で、現在日本で研修中のグアナファト出身者との会合を設けました。マツダ社の役員と従業員は、投資誘致活動の一環で来日したグアナファト州知事一行を歓迎しました。
日本政府は、長年にわたり日本·メキシコの二国間関係強化に貢献した功績をたたえ、ロドルフォ·ゴンサレス·オノ氏に表彰状を授与。
在レオン日本国総領事館の板垣克己総領事は、日本・メキシコの二国間、特に広島県・グアナファト州関係強化に貢献した功績をたたえ、ロドルフォ・ゴンサレス・オノ氏に表彰状を授与しました。日本人の母とメキシコ人の父の間に生まれたグアナファト出身のロドルフォ・ゴンサレス・オノ氏は、グアナファト州政府の専門家チームや職員とともに、10年以上にわたって日本企業のグアナファト州への進出を促進してきました。ディエゴ・シヌエ・ロドリゲス グアナファト州知事一行が先日日本を訪問した際に湯崎英彦広島県知事から歓迎レセプションが開かれ、その場でロドルフォ・ゴンサレス氏が表彰されました。 ロドルフォ・ゴンサレス・オノ氏、二国の架け橋●ゴンサレス・オノ氏は20年以上前から東京在住。●メキシコと日本の文化・経済交流関係の柱となるさまざまな役職を歴任。●1998年~2002年:メキシコ外務省を通じて駐日メキシコ大使館文化担当参事官に就任。 ●2003年~2005年:メキシコ農畜水産農村開発食糧省(SAGARPA)より、在日コミッショナーを担当。●メキシコ農畜水産農村開発食糧省(SAGARPA)駐日事務所の設立および運営の基盤を築く。 ●2006年~:対メキシコを中心とした国際的なサービスを提供するコンサルティング会社、グローバル・パシフィコ・コンサルタンツを東京に設立し、現在も代表取締役を務める。●*ミゲル・マルケス、ディエゴ・ロドリゲス両州知事のもとで、ゴンサレス・オノ氏がグアナファト州駐日代表に任命されたこと(2014年~2020年)は、日本・メキシコ二国間の経済・学術・文化交流の拡大、強化に良い結果をもたらした。●グアナファト州政府が日本に常設オフィスを設けたことで、より多くの日本企業がグアナファトに進出するための鍵となった。
ケンジさん:日系グアナファト人ユーチューバー
ケンジさんの父親は1990年代にニューヨークからグアナファトへ自転車でやって来た。 ケンジさんの父親、トヨカシさんはニューヨークからアルゼンチンまで自転車で行くことを決意しました。しかし、道中のグアナファトで人生のパートナーとなる女性と出会い、その旅は中断することになりました。その決断には多くの人が驚いたそうです。当時の新聞はこの珍しい出来事を取り上げ、「世界を旅する途中で愛を見つけた」という見出しのニュースが掲載されました。このロマンティックな国境を超えるラブストーリーは、サンタ·ロサ·デ·リマののどかな風景を舞台に綴られました。東京生まれのトカヨシさんは、当時自国の生活に適応することができず、まさにサンタ·ロサ·デ·リマのような静けさを求めていました。YouTubeチャンネル『Japón Desconocido』のインタビューで、「母方の祖父がグアナファトで農業を営んでいたので、父はしばらく農作業の手伝いをしていました」と語っています。ケンジさんは母親と同じくグアナファトで生まれましたが、幼少期に一家はコアウイラ州に移り住みました。チューニング(車のカスタマイズ)のコンテンツに特化したクリエイターであるケンジさんは、その頃から“周りとは違う”メキシコ人であることを意識するようになりました。「12歳のとき、自分が100%メキシコ人ではないことに気づき、そこから日本の文化に興味を持ち始めました」とケンジさんは語ります。今日、ケンジさんのYouTubeチャンネルはメキシコと日本を結ぶ架け橋となり、二国の共通点や相違点などを自然体で伝えています。現在22歳のケンジさんは、本当の自分を見つけようとしています。子どもの頃に一度日本を訪れたことがあるものの、18歳で初めて長期滞在を経験しました。日本国籍を所有しているにもかかわらず、カルチャーショックは複雑だったようです。彼は日本での日常生活を紹介した動画の中で、「車と、タイヤの焦げた匂いと、エンチラーダス·スイサ(メキシコ料理)の大ファン」と語っています。ケンジさんの北部訛りのスペイン語と、コアウイラの習慣(コリード音楽を聴いたり、バーベキューをしたり、アコーディオンを弾くなど)により、彼のチャンネルはメキシコ人からも、メキシコに興味がある日本人からも、「同胞の声」として支持されています。数十年前、彼の父親がそうであったように、ケンジさんは自分の心がどちらの国を求めているのかを模索しています。地球の裏側で育ったものの、日本からの影響も受けて成長してきました。ケンジさんはSNSを通じて、自身でそれを発見しながら、フォロワーにも発信し続けています。 YouTube: @kenyinakamura Instagram: @kenjikuun