厄払いの考え方は共通する日本とメキシコ 新年明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。 筆書「現役通訳夫婦が見たメキシコ自動車産業と今後」では多くの共感・納得の声を頂いていますが、本シリーズは著書に書き切れなかったこぼれ話&メキシコ人向けの内容でお届けしていきます。 第11回目は「縁起」です。新年という事もあり、縁起の良いスタートを切りたいと思う今日この頃ですが、読者の皆様の中には去年の厄払いをしたい!と思う方もいるのではないでしょうか? 実はメキシコでも古代文明から引き継がれたお祓いや占星術、厄払いの文化が残っています。特に盛んな地域はメキシコシティー(アステカ文明の中心地)、ベラクルス州カテマコ市(黒魔術・白魔術の街)、そしてユカタン半島全般(マヤ文明)です。3つすべてに共通する事は、お香を焚き、煙を多用する事です。メキシコシティーの旧市街、ソカロ広場に行けばあちこちでお香を焚いて厄払いをしてくれる場所があります(現在はコロナで禁止されております) もし去年から不調続きの方は、機会があればメキシコ流の厄払いの儀式に参加して、すこしでもメキシコの古代文明に触れてみるのも良いかと思います。
レオン自治体がメッセージの普及革新で賞を獲得
ラテンアメリカの政治、行政機関のコミュニケーションを表彰する権威あるReed Latinos Awards 2020において、レオン市のコミュニケーションと普及活動における業績が認められ、賞が授与されました。 エクトール・ロペス・サンティジャナ レオン市長は、バーチャルイベントとして開催された第2回年次報告で、「政治活動のアプリケーション・デジタルイノベーション化最優秀賞」を受賞しました。 さらに、レオン市は「中程度の聴衆に向けた政府報告キャンペーン最優秀賞」も同時に受賞しました。 また、新型コロナ関連のラジオPRスポットにおいてもレオン市が放送した「ステイホーム」を喚起するジングルが表彰を受け、コロナウイルス感染拡大防止のための予防対策を市民に促す重要な手段となりました。 「これらの賞は、レオン市民に政治参加を呼びかけるコミュニケーションを改善するために共に尽力してきたチームへの賞だと思います。」とソーシャルコミュニケーション部のホルヘ・カノ部長は述べました。 授賞式はキンタナ・ルー州カンクンで12月5日に行われ、ラテンアメリカ、そしてスペインで有名なコンサルタントが出席しました。
自転車でメキシコを駆ける日本人
メキシコグアナフアト在住の山田洋平さんはメキシコでサイクリストとして活動をしています。 これまでカンクンやモンテレーでのロードレース参加に加え、アグアスカリエンテス、グアナフアト、ケレタロ、コリマなどあらゆる場所で自然とふれあえる環境でのサイクリングを楽しんでいます。 2021年1月現在で29歳、10年前に自転車旅を始めてから、世界中を何千キロも旅してきた洋平さんは、メキシコの山々も大好き。 洋平さんはGFNY(グランフォンド ニューヨーク)の日本親善大使として、日本でGFNYレースの開催を目指しています。 GFNY(グランフォンド ニューヨーク)は、プロアマチュ ア関係なく、すべての人が自転車を楽しめるレースイベントである事をコンセプトとしています。 日本でのレース開催実現は大きな挑戦です。 「日本は他の国よりも交通法が厳 しいので、レースのために道を閉鎖 することが難しいです。なので日本にはGFNY本格的だけどどんな人でも楽しめるようなアマチュアレースはありません」と洋平さんは話します。 洋平さんは自転車旅行を大学時代から始めて、熱中しました。 「東京から京都、姫路、そして日 本の北のほうにも自転車で行きました。自転車で キャンプに行くのにハマっていたんです。大学時代、最後の学期に、アムステルダ ムからスペインのパンプローナまで自転車で旅しました(スペイン語は勉強していたのですがフランス語はすごく苦戦しました笑) 楽しい思い出です。 パンプローナまで2,300kmでした。21日かかりました」と洋平さんは語ります。 洋平さんは2015年にアグアスカリエンテ スの会社の通訳としてメキシコに来ました。自由な時間があれば、いつもメキシコの 町や山を旅しています。グアナファト、ケレタロ、コリマなどメ キシコのいろいろな州に自転車で行きました。そして、カ ンクンとモンテレーでのサイクリングレースにも参加。 「メキシコの気候は、サイクリングにぴったりです。日本は雨が降るし、標高が低い、道も狭いので、条件がよくない。」 「私のルーチンは、車で町の郊外まで行き、そこから100kmくらいをサ イクリングすることです。練習が終わったら、車に戻って家に帰ります。」 現在、洋平さんはグアナファト州のレオンで働いており、自転車の活動を続けて います。グアナファトの山々をよく走っています。 「おかしな形をしたバッタや臭い虫、トンビやイグアナも見かけます。ノパルサボテンを切って、とげを取り除 き、料理したこともあります!」と楽しそうに言います。 洋平さんは、メキシコに住んでいる日本人の方々に、問題なくメキシコの山々を自転車で旅行できることを知ってほしいし、せっかくメキシコは気候がいいのでそれを利用してほしいと思っています。 日本人は怖がって家にいる傾向が ありますが、行くべきところはたく さんあります。」
メキシコに新紙幣が登場
メキシコ銀行(Banxico)は100ペソ、1000ペソの新紙幣を発行すると発表した。メキシコ紙幣には著名人の肖像画やメキシコゆかりのデザインが用いられている。 1000ペソ紙幣 メキシコ革命の代表的人物であるフランシスコ・マデロ、エルミラ・ガリンド、カルメン・セルダン、そしてその時代の象徴である機関車も描かれています。 二人の女性が同時にメキシコ紙幣に描かれるのは、今回が初めてです。 カルメン・セルダンはメキシコ革命のヒロインと考えられており、エルミラ・ガリンドは女性の権利を求めて運動を起こした先駆者です。 紙幣の裏側には古代都市マヤのジャングル、ジャガー、セイバやサポテ、そしてカンペチェ州カラクムルの保護熱帯雨林など、世界文化・自然遺産が描かれています。 表側も裏側も灰色を基調とし、暗闇で光る蓄光インキが用いられています。 これまで12年間流通してきたミゲル・イダルゴ牧師とグアナファト大学が描かれた現1000円紙幣から新紙幣へと、今後徐々に入れ替わっていきます。 100ペソ紙幣 メキシコ植民地時代の詩人、そして作家でもあるソル・フアナ・イネス・デ・ラ・クルスが紙幣の表側に描かれています。 裏側には、メキシコ州とミチョアカン州の境にあるモナルカ蝶生物圏保護区の松、オーク、そしてもみの木などの森林生態系が描かれています。 他のメキシコ紙幣と違い、新100ペソ札のデザインは縦型です。材料はポリマーで普通の紙よりも強度が高く、6年以上流通可能です。 赤色がメインカラーで、1000ペソ紙幣と同じく蓄光インキが使用され、蝶や森林の細部まで強調されます。 新紙幣はすでに流通を開始しており、現在は旧紙幣と共に使用が可能です。
アルマンド・マンサネーロと 日本の愛の歴史
メキシコ出身の作曲家・歌手であるアルマンド・マンサネーロ氏は、ラテンアメリカで多大な人気を誇るだけでなく、何千キロも離れた日本でも彼のロマンチックな歌声は多くの日本人に受け入れられてきた。 テレビドラマの主題歌として作曲された「アドロ」は1967年にメキシコで発表され、日本語でもカバーされました。 マンサネーロ氏はメキシコで知り合った日本人音楽家の誘いで初めて来日し、ヤマハ音楽フェスティバルに参加しました。 日本の美しさや礼儀作法に感銘を受けたマンサネーロ氏は、この時から日本への思いを強く抱くようになります。 実際彼は日本で6回ツアーを行っており、それ以外にも20回観光で訪れています。日本は海外旅行で家族と訪れるお気に入りの場所だったようです。 高瀬寧メキシコ大使はマンサネロ氏の死去を受けて、彼の楽曲の中から「コンティゴ・アプレンディ」を挙げたうえで、生前の彼と日本の深い関係を追憶する声明を次のように発表しています。 「マンサネーロ氏は、2011年に日本が東日本大震災により大きな被害を受けた際、復興を支援するためのチャリティーコンサートを開催してくれました。心よりご冥福をお祈り申し上げます。」
パンデミックの間、レースは2,000 人以上で開催されました!
山田洋平さん記 GFNY(グランフォンド ニューヨーク)コスメルは、第7回レースを開催しました。北米とラテンアメリカではよく知られているレースです。カンクンのコスメル島で、島を2周するレース(160km)なので、観光もできるため、このレースは人気が高まっています。コスメル島はカリブ 海の楽園としても知られており、カンクンの 観光ビーチで有名です。また、空の美しさとエメラル ド色の水は、訪れる人々を魅了します。レースのルートは平地ですが、 サイクリストが逆風に吹かれる道があるので、「キング・オブ・マウンテン」ではなくて、「キング・オブ・ウィンド」の賞が授与されます。通 常、フルレースには毎年1,200人が参加し、 ハーフレースには1,000人が参加します。今年はコロナウイルス感染症の問題があったにもかかわらず、参加者数は前年までと同じくらいでした。 レースの前日に開かれたエキスポでは、検温やユニフォームの消毒がされました。 レース中の人の密集を避けるため、商業エリアに入る最後の 30kmのルートが変更され、その周辺の80km のルートは74kmに短縮されました。 また、エキスポでもスタート地点でも、ゴールゾーンと休憩場所(救助ステー ション)まで、参加者はソーシャルディスタンシング(1.5 km)の維持とマスク着用を義務付けられました。
篠原誠二氏が モノクロ写真で 表現したいこと
写真家篠原誠二氏の写真展「HIROSHIMA」をレオン文化フォーラムで開催中 篠原誠二氏はメキシコでも著名な日本人写真家です。45年前に来墨して以来、メキシコと日本に関連するモノクロの写真を撮り続けてきました。 仕事、家族そして友人などメキシコですべてを得た篠原氏は、「メキシコは私の故郷です。」と語ります。 メキシコと日本という豊かな文化を持つ二国の類似性や関係性などに焦点をあてながら、これまで約25の展示会を開催してきました。 最新の展示会「HIROSHIMA」では、広島県の悲しい歴史を振り返ると同時に、その悲劇を超えた広島の生命力と希望に満ちた様子を表現しています。 この展示会は現在レオン文化フォーラムで開催されており、2月末まで野外で無料鑑賞することができます。 なぜ展示される写真はいつもモノクロなのですか? モノクロ写真が私の表現方法だと考えています。黒と白に存在する何千もの色合いを楽しみながら、私の目ではモノクロでこそ被写体をうまく捉えることができるのです。長年モノクロでやって来たので、それが私の作品の特徴となりました。 篠原さんの写真を通じてメキシコ人に伝えたいメッセージは何ですか? メキシコはカラフルな色で溢れていて、光と影があり、そして人々は明るく働きもので、温かさでいっぱいの美しい国だということをただただ感じてほしいです。 「HIROSHIMA」展で篠原さんが表現しているストーリーは? 広島は世界で語られているような単なる悲劇の町ではなく、歴史や文化に富んだ素晴らしい場所だということを皆に伝えたいと思いました。 メキシコと広島の共通点とは? メキシコ人も広島県民も温和な人柄で、働きものが多く、常に前向きな姿勢で困難にも立ち向かっているところです。 広島は日本人にとって何を象徴していますか? 人間同士が残忍に戦った傷跡のようなものを日本人は広島に対して感じていると思います。それと同時に、焼け跡から這い上がった人々の努力や強い意志なども象徴しています。 メキシコは篠原さんにとって何を象徴していますか? 私はこの美しい場所で人生の大半を過ごしてきたので、メキシコは故郷のようなものです。ここで家族をつくり、たくさんの友人ができ、仕事をする機会もできました。何よりもメキシコの美しい情景と温かい人々が私を迎えてくれたことに感謝しています。 写真で世界に発信されるべき日本とメキシコのそれぞれの場所はどこでしょう? 世界中のどの国にも伝えるべきストーリーや美しい景観、文化そして伝統があるので、それはとても難しい質問です。 日本もメキシコも世界に紹介すべき歴史や文化がたくさんあると思います。 それでは篠原さん自身が写真撮影するとしたら、メキシコ、日本それぞれどの地域を選びますか? 私なら日本の古い街並みを撮って発信したいですね。観光ツアーでは訪れない場所がたくさんあります。 メキシコには私の知らない美しい町がまだまだたくさんあります。全てを撮影するには時間が足りないかもしれません。
メキシコ人が400鉢以上の盆栽を 展示する美術館を設立
盆栽とは木や苔を鉢に植えて自然の風景を模して造形し、その姿全体を鑑賞する。どんな種類の樹木でも盆栽として楽しめ、大きさは1.5メートル以下の小さなものが多い。 盆栽という日本独特の手法は、一種の芸術とみなされています。メキシコ人のエミグディオ・トゥルヒージョ・サンチェスさんは、47年前からメキシコで盆栽職人として活躍してきました。 ココ・メキシコのインタービューで、エミグディオさんは日本文化への関心や愛着、そして盆栽が彼の人生に欠かせないものとなった経緯などを語ってくれました。 エミグディオさんは現在80歳で、プエブラ州アトリクスコの出身です。ある雑誌で盆栽を目にして以来その美しさに魅了され、盆栽の大規模な展示会へ見学に行くために来日しました。 「初めて盆栽を見た時から、その独特の世界観、そして日本文化に深く惹かれ、1974年からはフルタイムで盆栽業に従事しています。盆栽は私の人生そのものなのです。」 1980年から盆栽のコレクションを本格的に始め、2001年には生まれ故郷にメキシコ盆栽芸術学院を創立しました。 エミグディオさんは日本語を話しませんが、ジョン・ナカ氏、寺川宝積氏、小林國雄氏、そして漆畑大雅氏など日本屈指の盆栽師を彼の学院に招待し、ワークショップや実演などを開催してきました。 10年前には同じくアトリクスコにジョン・ナカ盆栽美術館を設立し、日本、イタリア、そしてアメリカなど世界各地の盆栽師の協力を得てエミグディオさんが手掛けた、400鉢以上の盆栽コレクションが展示されています。 コレクションには50センチの小さな盆栽から3メートルに及ぶ大きなものまであり、アウエウエテ、コショウボク、オリーブ、ニレ、針葉樹など100種類以上の樹木からなります。 それぞれの盆栽に樹木の名前、形式、植え付けの日付などが記されたラベルが付いており、毎日必要な手入れがが施されています。 また、美術館では200種類以上の盆栽が販売されており、価格は200ペソから4万ペソに上るものもあります。 ジョン・ナカ美術館はパンデミック禍でも開館しており、感染防止対策を徹底しながら団体客に向けたガイドツアーも行っています。
日本人デュエットが ラテン歌手に
マリキータ&ジロー夫妻が才能を生かしてメキシコ音楽に従事 ラテン音楽は日本でも人気があり、スペイン語の曲も色んな場所で流れ、カラオケや歌声サロンなどでもメキシコの楽曲が歌われています。 日本で最初に紹介されたメキシコ音楽グループはロス・パンチョスでした。このトリオは60年代に「Los Panchos en Japón」というアルバムでスペイン語と日本語の楽曲を発表し、彼らのボレロ(舞踊音楽)は日本でも高い人気を得ました。 先日新型コロナ感染で死去したメキシコ人歌手、アルマンド・マンサネーロさんもロマンティックな歌声で日本人を魅了しました。 それ以降数々の日本人歌手やグループ、そしてオーケストラなどがラテン音楽を演奏するようになり、日本人デュエット:マリキータ&ジローもそのうちの一組です。 マリキータ&ジローは歌手の帆足まり子さん(マリキータ)と夫でありギターリストの三村秀次郎さん(ジロー)によるラテン・デュエットです。「あてどなく」、「それはきみのよう」、そして「今宵君が欲しくて」などのスペイン語楽曲をレパートリーに取り入れた日本では草分け的な存在です。 二人はアミーゴ株式会社や雑誌「Hola Amigos」を設立し、ラテンアメリカの音楽や文化を発信しています。また、ラテンアメリカと日本のアーティストの交流にも努めてきました。 マリキータ&ジローはスペイン語がわからないにも関わらず70年代にメキシコに渡り、2週間滞在してアルマンド・マンサネーロの歌を収録しました。そこでマンサネーロ氏との友情が芽生えたのです。 その後マンサネーロ氏は日本で6回ツアーを行い、そのうち1回は日本のサルサバンド:オルケスタ・デ・ラ・ルスと共にツアーを開催しました。 マリキータこと帆足まり子さんは2003年12月27日に亡くなりましたが、夫のジローさんは日本人歌手、松本マリアさん、ミニエ・マリエさん、そしてタカバ・マサミさんと共にメキシコ民族音楽を演奏し続けています。 去年10月、ジローさんは死者の日に関連してメキシコの楽曲「ラ・ジョロナ」を松本マリアさんと披露しました。 その他にもこれまでラテン音楽を演奏してきた日本人に、東京キューバンボーイズ、ロス・インディオス、そしてメキシコの伝統的な音楽ジャンル:ランチェーラを歌った宝とも子さんなどが挙げられます。また、サム・モレーノという芸名で知られる長谷川修さんは、18歳でメキシコに渡り日本へ帰国後、東京にメキシコレストランをオープンし、後に有名なマリアッチグループ、マリアッチ・サムライを結成しました。