「注射器を薬局で購入し、隣人や友人に注射してもらう」というメキシコでは日常的に行われている行為は、日本人にとっては驚くべきことで、危険すら感じるでしょう。 日本では、厚生労働省に認定されている医療機関でなければ自由に注射器を購入することはできません。また、医師や看護師など医療従事者以外の人が第三者に注射することもまずありません。 コロナ禍の現状では、メキシコに住む日本人も投薬のために注射器を購入せざるをえませんが、医師又は看護師のもとを訪ねて注射をしてもらいます。 「一般の人に注射を頼むのは怖いですし、リスクが高いです。」とココ・メキシコの読者は語ってくれました。 薬局で注射器を購入すること自体が日本ではできないユニークな経験だそうです。 「日本ではあり得ないことですね。」と、メキシコ在住3年の佐久間ミレイさんは言います。 日本では注射の扱いもメキシコよりずっと厳しいそうです。 現在バヒオ地域に住む日本人の多くは、新型コロナワクチンをメキシコで接種することに懐疑的です。現段階では日本政府からの指示を待つそうです。
古川領事が離任、 メキシコを発つ
ついに3年間の在レオン日本国総領事館での勤務を振り返る時が来ました。 この1年の新型コロナウイルス感染症の拡大はメキシコのみならず世界中の人々の生活を一変させ、私たちの生きる価値観を根底から覆そうとしています。この出来事があまりにも強烈すぎ て、それ以前の出来事は遙か遠くのことのように思えます。それでも、2018年2月に在レオン総に着任してから、バヒオのいくつかの州知事が交代したり、日本から沢山の要人が訪問したり、中南米で初めて日本商工会のミッションの受け入れを行ったり、新しい日本人学校や補習校が開校したりと、忙しくも充実した仕事をさせて頂きました。一方で突如街からガソリンが消えたり、治安情勢がなかなか安定せず、当館からの領事メールの発出頻度は増加の一途をたどる等、心苦しいことも沢山ありました。それでも当地への日本企業の進出は進み、数々の開所式や記念式典、文化イベントに参加させて頂いたことは、忘れられない思い出です。 この3年間を通じて、日本人の皆さまとの絆を改めて感じたこともまた触れざるを得ない点です。当館管轄地域には、約660社の日本企業と約6000人の在留邦人の方がおり、もちろん直接お会いしたりお話したりする方は一握りの方でありましたが、皆さまとの意見交換や情報提供を通して、総領事館の存在はまさにこの大きな日本人コミュニティの皆さまに支えられていると言っても過言ではないと感じています。私たちは、邦人援護、日本企業支援をその主要な任務としているわけですが、反対に当地の日本企業の皆さま、在留邦人の皆さまからご協力やご支援を頂くことが多々ありました、心より感謝の気持ちで一杯です。最後の最後に、共に働き、いつも明るく前向きに我々日本人コミュニティのために尽力頂いたベティ・ヤマモト氏の逝去は心が締め付けられる思いでした。 メキシコでの生活は、最高の気候とホスピタリティ溢れる人々に囲まれて、家族ともども充実した日々でした。18年ぶりのスペイン語圏、かつメキシコ独特の言い回しには最初は困惑しましたが、当地のメキシコ人の決して早口でないスペイン語、優しく何度でも繰り返してくれる人々の優しさに助けられて、今では自然に「アオリータ」や「ケ、パドレ」が口から出るようになりました。そうは言っても2歳半から3年間現地の学校に通った息子には既にスペイン語レベルは追い越されていますが・・・。最後までメキシコ人の運転マナーには慣れませんでしたが、アラチェラやタコス、そしてオレンジジュースの美味しさと、世界一美味しいコーラの味でそれも忘れることができるでしょう。 ココメヒコには、いつも総領事館の行事をフォローしてくれて感謝します。これからもバヒオの日本人コミュニティの情報源として更なる発展をお祈りします。 この記事が掲載されるころには、私はエルサルバドルのサーフィンビーチで美味しいコーヒーを飲んでいるかもしれません。この度、在エルサルバドル日本大使館に異動となりました。是非、メキシコから遊びにきてください。 コロナ禍はメキシコでも世界でもまだ終りが見えず厳しい日々が続きますが、皆さまのご健康をお祈りします。 さよならレオン、さよならグアナファト、さよならメキシコ、そしてありがとう。 2021年2月吉日 在レオン日本国総領事館 前・首席領事 古川佳世子
グアナファト州知事からベティ・ヤマモトさんへの哀悼の言葉
「親愛なる友人、ベティ・ヤマモトさんの悲報に接し、悲しみにたえません。これまでベティさんと共に時間を過ごせたことを誇りに思います。」 「ベティさんを知っている誰もが彼女の魅力に惹かれ、そのカリスマ性や人間性は職場、家庭、そして個人的な付き合いの中でも際立っていました。」 「ベティさんが兼ねてから尽力してきた国際友好関係の促進に関しては、彼女の遺志を受け継ぐべく今後我々が継承していきます。それがベティさんへの追悼となり、新たな方向へとプロジェクトが繋がっていくでしょう。そしてベティさんの思いは永遠に我々と共に生き続けるでしょう。」 「ベティさんがグアナファトと広島、そしてグアナファトの日系コミュニティーとのきずなを深めるために貢献してきたその特別な功績は、皆さんもよく知るところです。ベティさんは友好関係発展のために不可欠な存在だったのです。」 ディエゴ・シヌエ・ロドリゲス グアナファト州知事
日系のルーツ
ベティ・ヤマモトさんは、1907年に日本から渡墨したゴウイチロウ・ヤマモト・サクマさんの孫にあたります。 ゴウイチロウさんはオアハカ州の港からメキシコへ入国し、コアウイラ州にある石炭工場で7人の日本人と共に働く予定でしたが、メキシコ革命後の混乱の影響で目的地に到着するまでに10年かかったそうです。 道中ではスパイだと誤解されることもあったそうです。 コアウイラではムスキスという町に住むことに決め、そこで当時看護師をしていたメキシコ人女性と結婚し、6人の子供に恵まれました。 その後、町で最初の肉屋を開店し、牧場を営むなどムスキスの実業家となりました。 ゴウイチロウさんは再び日本の土を踏むことはありませんでした。 子どもや孫たちに日々精進する大切さを教え、孫のベティさんはおじいちゃん子でした。野球の試合に連れて行ってもらったり、お茶を飲んだり、一緒に時間を過ごしたそうです。ベティさんはゴウイチロウさんに、秩序、礼儀、そして料理の楽しみなど多くを教わりました。
ベティ・ヤマモト 日系人の良き友人 (1957-2021)
メキシコ日系コミュニティーは偉大な友人を亡くした。ベアトリス・ヤマモト・カサーレスさんは自身の母国であるメキシコと日本両国の友好関係発展のため、政治生命をかけた。。 「ベティ」という愛称で皆に親しまれ、二つの文化で育ち、両国を愛していました。 メキシコ、彼女の出生地:日本、日系として受け継いだ血縁。 ベティさんは先生であり、起業家、レオン市議、地方議員、そして国会議員を歴任し、何よりも常にメキシコと日本の架け橋となってきました。 二国間の文化交流や関連するイベントの開催に尽力し、グアナファト在住日系人の生活に寄り添ってきました。 2018年には日系コミュニティーへの貢献が評価され、ベティさんは在メキシコ日本領事館を通じて外務大臣表彰されました。 そして2019年には天皇陛下による旭日小綬章が受章されました。 ベティさんは偉大なメキシコ人であり、日系人であることを誇りに思っていました。 日本人である祖父から受け継いだ礼儀作法で職務を遂行し、メキシコ人ならではの創造力と努力の人でした。 そして「自動車ブーム」でグアナファトへ移住してきた多くの日本人を、彼女の持ち前の明るさで魅了してきました。 こうして日本とメキシコの姉妹関係、友好関係を促進してきたのです。 使命を全うしたベティさん、ありがとうございました! 安らかにお眠りください。
メキシコ総選挙が 近づく
来る6月6日にメキシコで総選挙が行われます。国会議員(連邦議会)、州知事15名、30の地方議会、そして1900名の首長が新たに選出されます。 グアナファト州では46地方自治体の首長と地方議員の選挙が行われ、グアナファト州議会は新たな顔ぶれで出発することになります。 メキシコでは、州知事の任期は6年、自治体の首長は3年です。 法律によると州知事の再選は認められていませんが、首長は1回のみ再選可能です。例えば、エクトール・ロペス・サンティジャナ現レオン市長は6年間の任期を終え今年退任します。 メキシコで国政選挙を監督するのは全国選挙機関(INE)と呼ばれる機関で、州選挙は各州の選挙管理委員会によって実施されます。 市長選挙立候補者の選挙運動は4月5日から6月2日までで、6月6日日曜日が投票日です。当日メキシコ人有権者は自治体に設置された投票所へ向かい、投票を行います。 投票により選出された議員は10月10日より公務にあたります。 今回の選挙で選出される議員 連邦議会議員 地方議会議員(コアウイラ州とキンタナ・ルー州を除く) 30州の地方自治体首長(ドゥランゴ州とイダルゴ州を除く) 15州の州知事:バハカリフォルニア州、南バハカリフォルニア州、カンペチェ州、チワワ州、コリマ州、ゲレロ州、ミチョアカン州、ナジャリ州、ヌエボレオン州、ケレタロ州、サンルイスポトシ州、シナロア州、ソノラ州、トラスカラ州、サカテカス州
日本人学校の児童が 紙芝居を作成
日本では多くの学校ですでに対面授業が再開されていますが、メキシコでは継続するパンデミック禍での連邦政府及びグアナファト州政府の信号情報に基づき、イラプアト日本人学校ではいまだオンラインで授業が行われています。 そのような状況にも関わらず、児童たちはリモートでグループワーク活動をしています。その一環として、日本の童話で紙芝居を作成しました。 「桃太郎」は日本では誰もが知っている童話です。子供に恵まれないお爺さんとお婆さんのもとに、川から流れてきた大きな桃から生まれた元気な男の子がやって来ます。「桃太郎」はすくすくと育ち、立派な青年になりました。ある日、鬼に金品を奪われて困り果てる村人を見て、桃太郎は鬼ヶ島へ退治に行くと言い出しました。 島へ向かう途中、犬、猿、雉(キジ)に出会い、鬼退治を手伝うかわりにきびだんごが欲しいと言われ、桃太郎は快くだんごをあげました。こうして1人と3匹は鬼ヶ島に行き、村人たちの金品を取り戻したというお話です。 日本人学校の児童たちは、一人ひとりが家にある絵の具、紙、そして野菜などを使って紙芝居「桃太郎」の一場面をそれぞれ作成しました。 登場人物の制作にはズッキーニ、トマティージョ、トマト、ライム、ヒカマ、チャヨテ(ハヤトウリ)、ピーマン、チリ、豆類、トルティージャ、そしてサボテンなどの野菜も使用しました。 最後にそれぞれが作った場面をつなぎ合わせ、各自自分の紙芝居を演じて6分間の動画を撮影しました。 このように、新型コロナウイルスの状況下でも日本人学校ではクラス内での活動を強化する試みを実践しています。 Video: https://www.facebook.com/watch/?v=753793765563947
第二次世界大戦中における メキシコでの日本人弾圧
1940年代、第二次世界大戦の影響下で辛い日々を過ごした日本人移民そして日系人グループが存在した。。 1941年12月に日本軍が真珠湾を攻撃したことがアメリカに対する事実上の宣戦布告となり、そこから全てが始まりました。 当時メキシコ大統領だった、マヌエル・アビラ・カマチョは日本との経済活動を一旦停止し、メキシコにいる少数の日系人にも規制をかけました。 その頃バハカリフォルニア、ソノラ、ベラクルス、シナロア、コアウイラ、そしてタマウリパスなどメキシコ各地に約6000人の日系人が生活していましたが、連邦政府はメキシコシティ、グアダラハラ、クエルナバカ、そしてプエブラなどの州に日系人を集めました。セラヤやケレタロにも強制収容所があったと言われています。 INFOBAEに先日掲載されたマリア・エレナ・オオタ・ミシマ氏とフランシス・ペディ氏の研究によると、当時日系人は政府の勧告から8日以内に収容所に向かわなければならなかったそうです。 「メキシコ人の日本人に対する戦争(2011年)」を書いたセルヒオ・エルナンデス・ガリンド氏は、年齢や性別、メキシコ国籍の有無に関わらず、全ての日系人を監視するというのがアメリカ政府から要請を受けたマヌエル・アビラ・カマチョ大統領の方針だったと述べています。 アメリカ政府は日本人のスパイ工作や、日系人工作員のサボタージュについて警戒するよう警告し、メキシコで監視するべき日系人のブラックリストも作成しました。 その結果、メキシコ国内にいる日系人は脅威であるという理由で日系人が逮捕、収容されるなどの弾圧が続きました。 また、日系人は銀行口座も凍結され(生活のため月500ペソまでの引き落としは許可された)、1939年以前に帰化した日本人移民のメキシコ国籍も無効とされました。 1941年12月のわずか3週間で、住んでいる場所を追われ、わずかなお金で監視生活を送るようになるなど、メキシコ在住日系人の生活は大きく変化したのでした。その数は約1500人に上ると言われています。
第12回(最終回):退職
退職は悪!? 肯定に悩む日系企業とメキシコ人 2年間に渡り連載の機会を頂いたKOKO MEXICO並びに読者の皆様には心より御礼申し上げます。 最終回は「退職」についてです。メキシコも欧米に習い、離職率・人材流動性が高い国となっております。面接を担当される方であれば20代の候補者でもあっても3回以上の転職歴を持つ人が多い事を実感していると思います。 世界的にも珍しい終身雇用制度が存在した日本ですが、理に適った制度だと思います。なぜならどんな仕事であっても必ず「その会社特有のルール/やり方」が存在し、それを極めるには経年の長さが一番効率化に繋がると考えるからです。しかし逆を言うと、「説明しなくても期待通りにやってくれる」、「こういう場合は必ずこういう対応をするだろう」と部下や同僚に対して無意識に過剰な期待をしてしまいがちです。 長年メキシコ人と仕事をしていると思う事は、責任感は皆さん有るのです、プレッシャーも適切に伝えれば重要性も理解してくれます、でも期待通りの結果を出せない。昔は「なんで?」と憤りを感じて怒りを覚えてばかりいましたが、最近思う事は考え方が違うだけ、アプローチの仕方が違うだけであり 人の能力云々だけでは無い気がします。 だからこそ、仕事の成果での判断も大事ですが、雇用主側としてはとにかく長く勤めてくれるように、心地よく勤められる環境を整えれば期待通りの結果を出してくれる、その期待に裏切らないのがメキシコ人の長所だと思います。
メキシコ人と日本人が 共演する舞台
メキシコにある日本舞踊グループ「銀嶺会」 が現代日本舞踊を披露 銀嶺会は新しい世代の日系移民に日本の音楽や踊りを普及することを目的に、1971年に川辺民子先生により創立されました。 「銀嶺」とは日本の富士山、そしてメキシコのポポカテペトル山のように、雪が降り積もって銀色に輝く山を象徴しています。 このグループはさまざまな年齢層からなる日本人、そしてメキシコ人により形成されており、世界一美しい芸術表現である踊りを通して中世日本の伝統や習慣、そして宗教観などを表現してきました。 色とりどりの衣装を身につけ、主に扇や傘、そして桜の枝などの持ち物をもって舞いを踊ります。 川辺先生は古典舞踊、現代舞踊そして民族舞踊を融合し、メキシコ、日本、ペルー、テキサス、サンフランシスコ、カリフォルニア、そしてプエルトリコなど各地で公演を行ってきました。また、日本舞踊のメジャーな流派である花柳流の師範・名取を取得しています。 昨年11月、銀嶺会はメキシコシティで数回公演を行いました。舞台では川辺先生、そして木原先生の子弟であるメキシコ人や幼い子供たち(最年少6歳)も演舞を披露し、日本武道を伝承する天真正伝香取神道流と共演しました。