メキシコの独立記念日を祝うフィエスタ・メヒカーナが、東京で盛大に行われました。 3日間で10万人以上の人々が集まり、メキシコの音楽、手工芸品、料理、ダンスなど、メキシカンスタイルのお祭りを体験しました。 このフィエスタ・メヒカーナは、日本におけるメキシコ文化普及のために、20年前から毎年9月に開催されています。グアナファト州の日本代表であるロドルフォ・ゴンザレス氏が発起人であるこのイベントは、毎年日本で成功を収めています。
グアナファトで広島祭りが再開
食文化を通じて、広島とグアナファトのシェフがメキシコと日本の味を融合させた極上のメニューを友好の祭典で提供する。 広島県とグアナファト州は姉妹都市です。この友好提携を記念して、双方の行政機関が提携し、美食の祭典が開催されます。 日本流のマグロの解体ショーや、刺身やお好み焼きなどの広島の味を楽しめる3日間です。 開催期間: 11月3,4,5日 場所: SATO(グアナファト州レオン市) Sushi Tai Saje Bar (グアナファト州イラプアト市、サラマンカ市)
日本人の心をつかんだ災害救助犬のフリーダ
メキシコで有名な救助犬「フリーダ」を覚えていますか?2017年9月19日の地震では、フリーダの働きは人命を救うためにとても重要なものでした。フリーダは、救助隊が倒壊した建物の瓦礫の下にいる人々を探すのに大きな貢献をしたのです。 フリーダは日本でも非常に有名になり、「マリナちゃん」という愛称で呼ばれました。日本人は、彼女が着ている海軍省のユニフォームの「マリナ」が名前だと思ったのです。そのかわいらしい外見から「ちゃん」も付けました。 フリーダへの尊敬を込めて。 日本人にとってフリーダは、災害時の団結と希望の象徴となり、渋谷で追悼の意を表したのです。 ハチ公は忠誠と愛の象徴として日本人にとって最も有名な犬であり、渋谷には彼の銅像があります。 この日本の像には、「マリナちゃん」にちなんで、フリーダが救助活動で着ているのと同じ「マリナ」名前のついた腰巻が装着されました。
日本とグアナファトの関係に一時代を築いた安倍晋三氏
安倍元総理が日本の首相を務めた最初の2年間である2012年から2014年にかけて、グアナファト州では800人以上の日本人を受け入れました。 安倍氏が任期を終えた2020年には、2500人以上の日本人がこの州に居住しており、これは彼の経済政策が直接私たちに影響を与えたことを証明しています。日本を再び世界の舞台に押し上げ、長期低迷に陥っていた日本経済を回復させたと評価されています。安倍氏は、戦後生まれで初の最年少の首相となりました。 彼の在職期間であった8年間は、グアナファト州に日本人コミュニティが誕生した時期と重なっています。 政権初期には、ホンダやマツダのグアナファト州進出により、これまでの日本人移住者の90パーセントがやって来ました。2011年から2014年にかけて、日系企業は当初の14社から150社に増加しました。この間、安倍元首相は訪日したエンリケ・ペニャ・ニエト大統領(当時)と、14の貿易協定に調印しています。 また、2016年には、アグアスカリエンテス州、ハリスコ州、ケレタロ州、サン・ルイス・ポトシ州、サカテカス州に住む5000人以上の日本人、そして安倍政権の経済政策「アベノミクス」によって、日本とメキシコの経済連携が再認識され、州内で増加傾向にある日本人移住者に対応する目的で、グアナファト州に領事館が開設されました。
原爆から再生した広島とマツダ
グアナファトは広島と友好関係にあります。マツダがサラマンカに設立されて以来、同州に移住してきた日本人の多くは、原爆の悲劇に見舞われた広島県の出身者です。 マツダは1920年、広島で創業されました。それから数年後の1945年8月6日、この町は世界史上最も悲惨な出来事のひとつを経験することになります。この悲しみの瞬間は、マツダが従業員との絆を深める時間にもなりました。 広島は原爆で人口の約3分の1を失い、第二次世界大戦への日本の参戦を終える要因となりました。 死者の数は8万人にのぼりました。広島は一面火の海となり、犠牲者の多くは熱風で蒸発し、数千人が重症を負いました。爆発と同時に爆発点の温度は100万度を超え、住民の4割が死去したと被爆資料に残されています。 爆心地から360メートル以内では、すべての生命が破壊されました。広島にあった9万棟の建物のうち、原爆で残ったのはわずか2万8千棟でした。その中で倒壊を免れたのが、マツダの工場だったのです。 原爆投下後、マツダは直ちに医療品の配布を開始し、家族が再会できるよう市内各地に集合所を設け、さらに工場内に町役場、病院、国営放送局を1年間設置できるように手配しました。 それから70年後、広島の再生はマツダにとって大きな誇りです。「社員の5割以上が広島出身者であり、社会貢献の意識が非常に高い」と、毛籠勝弘取締役専務は公式ホームページで述べています。
グアナファト日本人学校に今井厚志校長が着任
バヒオ地区に住む日本人の子どもたちがグアナファト日本人学校にランドセルを背負って登校する風景が戻ってきました。 イラプアトにあるこの日本人学校では、日本の文部科学省の基準に従って100%日本式の教育が行われています。 13人の教師は全員日本人で、53人の小中学生も日本人です。今年は今井厚志校長が着任しました。メキシコのグアナファトで日本と同じ内容の授業が行われています。 今井校長はインタビューの中で、パンデミックの影響から子供たちが普段の学校生活を取り戻すことの重要性を語っています。 「”生徒が行きたい学校”、”親が行かせたい学校 “を作りたい。グアナファト日本人学校で、生徒たちが笑顔で勉強してほしい。日本と同じ教育を受けられるだけではなくメキシコにいることでグローバルな教育が受けられることを確認してほしい」と新校長は語ってくれました。 例えば グアナファトの日本人学校ではスペイン語と英語の授業があることと、学校を出て、メキシコのスーパーや公園を見学し、日本との共通点や違いを学ぶことなどがそうです。 日本のカリキュラムには観察実験をはじめ、体験を重視した授業が多くあります。動植物を直接観察したり、実験したり、インタビューしたりと、子どもたちが考えて行動する授業を、日本人学校でも大切にしています。 今井校長は、「メキシコで、日本人学校で学ぶ生徒に母国語で学び、様々なことを吸収しながら 成長してほしい もっと多くの生徒に来てもらいたい」と語っています。 現在、イラプアト、セラヤ、レオン、ケレタロから生徒が通学しています。 メキシコには、イラプアト,メキシコシティ、アグアスカリエンテスの3校の全日制の日本人学校があります。
「お金」や「投資」が目的ではなく、規律とメンタリティを追及した
グアナファト州で日本の存在感が高いのは決して偶然ではない。グアナファトを世界の自動車産業発展のための重要拠点とするために、先見性のある人々が何年もかけて州の経済を立て直し、日本からの企業誘致に尽力してきた結果なのである。 日本企業のグアナファト進出から10年が経ち、その立て役者たちが自動車ブーム、そして日本の産業から学んだことを語ってくれました。 「お金や投資が目的だったのではありません。規律とメンタリティを追及したのです。同盟関係を模索していました」と、現プエルトインテリオール ディレクターで、日本からの投資促進の中心人物の一人であるエクトル・ロペス・サンティジャナ氏は述べました。ロペス氏は、前経済開発長官兼州知事であり、州政府の関係者と共に、日本からの投資に賭けていました。「日本人は誰もグアナファト州のことを知らず、州の名前を発音するのも困難な状態でした。」 自動車産業の発展を記念して、州政府は2022年9月2日から4日まで「マス・ハポン・エン・グアナファト」というイベントを開催します。セミナーでは、日本とグアナファトの関係について議論されます。 フアン・マヌエル・フェルナンデスシカゴ事務所長は、バスク地方のビルバオや、ドイツのシュトゥットガルトなど他の国にも行ったが、自動車分野において戦略的な味方を見つけることができたのは日本だったと語っています。 ラモン・アルファロ グアナファト州経済開発局長によると、グアナファト州への企業進出を説得するために、50回以上日本を訪れたそうです。 「決断する理由は経済的なことだけではなく、企業にとって立地を選定する条件は50以上にのぼります」とアルファロ局長は述べました。 グアナファト州に最初に進出した日系自動車企業は、カサイとヒロテックの2社です。カサイは日産アグアスカリエンテスのサプライヤーでしたが、労働力の奪い合いにならないように1998年にレオンに設立されました。そしてヒロテックはゼネラルモーターズのサプライヤーとして、アメリカンアクスルをサポートするための進出でした。 トランスカルチャーのプロセスは容易ではありませんでした。「ヒロテックでは従業員が聖母グアダルーペの絵を機械に貼り付けていたため、ストライキを起こす寸前でした」とロペス氏。 現在ヒロテックには聖母グアダルーペの祭壇が飾られ、この問題は解決しました。 グアナファト州の投資誘致推進チームは、マツダ、ホンダ、トヨタの誘致に何年もかけて取り組みました。 「このようなプロジェクトは、どれも知事の直接的な関与なしには実現しません」と、フェルナンデス氏は言いました。「私たちは、これらの企業が成功することを補完的に想定していたのです。橋が必要ならば、橋を調達するために全力を尽くしました。」 そして、なぜ日本なのか? 「偶然ではない」とエクトル・ロペス・サンティジャナ氏はいいました。州政府、経済開発庁、シカゴ・デトロイト事務所(フアン・マヌエル・フェルナンデス所長)、日本事務所(ロドルフォ・ゴンサレス・オノ所長)によって多くの宣伝活動が行われました。 「当時は工業団地も建設されていなかったので、非常に完成度の高いパンフレットを作り、投資誘致の説得を図りました。形になるものは何も無かったので、空気を売っているようなものでした」とフェルナンデス氏は語りました。 8人の知事は皆、決断を下してリスクをとる必要があることを、明確に理解していたそうです。 ロペス氏は、日本とグアナファトの関係にはまだ課題が残っていると断言しています。 「これまでのところ、自動車分野しか開拓されていません。しかし、エネルギー、バイオテクノロジー、健康、技術、貿易、教育などの分野にも関係を広げていかなければなりません」とロペス氏は続けています。「日本とメキシコのつながりには、まだまだ大きなチャレンジがあります。私たちは孤立するのではなく、統合するために努力しなければなりません。」 現在、グアナファトには276社の日系企業が進出しており、ここに住む2300人の日本人が自動車産業に従事しています。 20年前には3つだった工業団地が、現在では50にまで到達しています。 重要な決定事項 30年前から、グアナファト州は自動車産業を発展させるために重要な決断を下してきた: 計画:21世紀グアナファト州研究 宣伝:シカゴと日本に事務所を設置(COFOCE) 税関:プエルトインテリオール内に設置 トレーニング:IECAにて専門技術者を養成 教育:UNAMとIPNを誘致 インフラ:道路や橋を建設 経済回廊:イラプアト−アバソロ、セラヤ—アカンバロ 工業団地:50か所新設
マス・ハポン・エン・グアナファト
グアナファト州は今日、世界で最も多くの日本人が移住している地域です。 同州には276社以上の日系企業が進出しており、それに伴って約2300人の日本人が、主にレオン、イラプアト、セラヤ、グアナファトなどの町に居住しています。 世界でも名高い日本の3つの自動車メーカー(トヨタ、ホンダ、マツダ)がグアナファト州で自動車を製造しており、年間50万台以上の日本車が生産されています。 グアナファトでは、レストラン、自宅周辺、学校、職場などさまざまな場所における日本人との日常が話題になることがよくあります。日本人は自動車を作るためだけにグアナファトにやって来たのではなく、私たちの生活様式までも変化していったのです。 現在、グアナファトの人々の中には、大学で日本語を学習し、日本の規律や哲学を学び、時間厳守で仕事に取り組む習慣を身につけている人や、アニメや寿司など日本文化が大好きな人もいます。また、メキシコ人と日本人が結婚し、家族を築いている例も少なくありません。 日ごとに「マス・ハポン・エン・グアナファト(グアナファトでもっと日本を)」が実現しています。 在レオン日本国総領事館は、9月2日から4日まで、第1回「マス・ハポン・エン・グアナファト」を開催します。 講演会、コンサート、伝統舞踊、茶道、書道、美食ワークショップ、武道、コスプレ・ファッションショー、日本映画上映、ネットワーキングなどが行われます。 「マス・ハポン・エン・グアナファト」のプログラムは、ホームページwww.kokoméxico.com、又はココ・メキシコのSNSでご確認ください。
日本で初めて聖人となったメキシコ人修道士の歴史
長崎の難破船が、聖フェリペ・デ・ヘスス教会へと続く道のりの原点となる。 日本で初めてメキシコ人として聖人となった聖フェリペ・デ・ヘススは、群衆の前で処刑され、日本で殉教しました。 豊臣秀吉の命により、京都から長崎の西坂の丘に至るまで各地で見せしめにされ、フランシスコ会司祭6名、イエズス会3名、そして日本人信徒17名が磔の刑に処されました。