グアナファト州は、公的機関に登録された人々の個人情報を保護し、公的情報の開示を担保する機関を設置してから20年が経ちました。 設立20年を迎えるIACIP(公的情報アクセス機関)は、公共情報へのアクセス、個人情報の修正、取り消し、異議申し立てなどに関する人権を保証する機関です。 この機関を通じて、グアナファト州の公的機関で生じる情報の取り扱いの透明性が確保されています。
日本では血液型で性格を判断
血液型によってその人の気質がわかるため、日本企業が人材を採用する際には重要なデータとなり得る。政治家の中にも、選挙運動で血液型を公表する候補者もいる。 その起源は1926年、平野麟と八島富田による血液型説についての出版物の発表に遡ります。その1年後、東京女子高等師範学校教授の古川竹二が「血液型による気質の研究」という論文を発表しました。これが、弁護士であり放送作家としても有名だった能見正比古のおかげで日本や韓国で広まったのは、1970年になってからです。
日本で増すグアナファトの存在感
グアナファト州と広島県の友好関係、そして両地域の貿易関係を通じて、双方の文化的および職場での交流が強化され、ますます多くのグアナファト住民が日本を訪れるようになっています。 グアナファト州知事の日本視察では、研修生として日本のトヨタやマツダで数か月にわたって働いているグアナファト出身者と対面しました。 また、広島の学校で学んでいる高校生や修士課程の学生たちは、その経験について意見交換しました。 グアナファト州青少年交流派遣事業は、10日間にわたって州の高校生が異国の文化に触れ、視野を広げ、人間的・技能的に向上することを目的としています。 この派遣事業は2015年から始まり、グアナファト州と広島県の交流活動として、15歳から18歳までの青少年を対象に募集されています。
ある芸者の物語日本の美
江戸時代(1603年~1868年)は芸者の全盛期だった。西洋では、芸者は売春のために雇われる女性だと考えられていたが、全く事実ではない。確かに日本人から見れば魅力的だが、芸者はそれ以上の存在なのである。
広島でのグアナファト人会
ディエゴ・シヌエ州知事が広島のマツダ工場を訪問した際、マツダ・サラマンカ工場勤務で、現在日本で研修中のグアナファト出身者との会合を設けました。マツダ社の役員と従業員は、投資誘致活動の一環で来日したグアナファト州知事一行を歓迎しました。
茶道の秘密日本古来の伝統的な儀式
茶道は、自然を感じながら心を落ち着かせてお茶を点て、客人に振る舞う儀式です。茶道は奥が深く、神聖で精神的な伝統文化であり、20年間稽古をしていてもその秘密を理解できないほど複雑だと言われています。千利休は茶の湯を形式化した歴史上の人物であり、茶道の精神を「和敬清寂」という四字で表現しました。では、茶道の儀式は何を意味するのでしょうか?それは芸術の崇拝であり、人生は儚いものであるということを理解しながら今を生きることを表現しています。今、その場所で体験していることはそれを共有する人々と共にあり、そのような瞬間は二度とないことを理解することなのです。茶道には「一期一会」ということわざがありますが、これは「唯一無二の瞬間」「唯一無二の出会い」を意味しています。日本に行く機会があれば、是非この唯一無二の体験をしてみてください。茶道は日本伝統文化の代表格なのです。
ボランティア精神にあふれた女性たち
レオン総合病院(Hospital General)のゲストハウスで力を合わせて働いている女性グループがいます。ゲストハウスでは、病院で療養している患者の家族で支援を必要とする人々に無償で食事を提供しています。この女性グループは、4年前からNPO支援団体との協働を模索してきた結果、メキシコ元大統領夫人であるマルタ・サアグン・デ・フォックスが主宰する「バモス・メヒコ財団」との連携が実現しました。
目標達成を祈願する「だるま」
日本人にとって、目標や目的を達成するための方法のひとつに、だるまの力を借りることがあります。日本では良く知られている縁起物の一つで、張り子でつくられているだるまは「大願成就の縁起物」として親しまれています。
力と力のぶつかり合い:グアナファトで戦う 日本人プロレスラーたち
プロレスは、メキシコや日本でとても人気のあるスポーツです。どちらの国でも、プロレス興行では情熱と栄光が体験できます。グアナファトは日頃からメキシコ人と日本人が共に暮らしている場所であり、ここで日本人プロレスラーとメキシコ人プロレスラーの対戦が実現しました。一方のコーナー:ライオン・ドッグとラティン・スターもう一方のコーナー:ニシカワとクウカイメキシコの歓声がレスラーを迎えます。リング上では、日本人挑戦者がラテン王者と対戦しました。ヒール(悪党派)とベビーフェイス(正統派)。エキサイティングで拮抗した戦い。叫び声、ブーイング、そして拍手。日本人の悪役たちは敗れましたが、ニシカワ選手とクウカイ選手は敗戦のブーイングに満足して帰って行きました。彼らは熱狂的なプロレスラーでした。ニシカワ選手はデビュー戦で「プロレスはとても面白いショーで、観客が興奮するので大好きです」と語っています。「日本でもプロレスは人気のあるスポーツです。是非観戦に来て、日本チームを応援してください」とクウカイ選手も話してくれました。 第二次世界大戦後に日本でプロレスが生まれる 終戦時、多くの日本人がアメリカに対して悲しみや憤りを感じていた中、日本人プロレスラー力道山がアメリカ人レスラーに勝利した姿を見て、それを誇りに感じた人々はプロレスの虜になりました。プロレスは柔道や野球と並んで最も人気のあるスポーツとして日本に浸透していきました。英語のプロフェッショナルレスリングの省略形としてプロレスという言葉が生まれました。日本のプロレスの違いはその技に武道のテクニックが織り交ぜられていることと、対戦相手への配慮が深いことがあげらます。メキシコでは好きなスポーツ第5位にプロレスがランクインしています。 メキシコでは19世紀にルチャリブレが誕生 メキシコで最初にルチャリブレが行われたのは19世紀半ばで、メキシコがフランスに干渉されていた時代に、外国人による興行として始まりました。その後、メキシコのルチャリブレは独自の技術、アクロバット、ルール、慣習などが取り入れられ、次第に大きな人気を得るようになりました。最初のメキシコ人ルチャドール(プロレスラー)であるエンリケ・ウガルテチェアが、メキシコのルチャリブレの基礎を作り上げました。
「ひまわりのおかげで、日本にいるような気分になる」
ビジャス・デ・イラプアト地区にある小さな店が、バヒオ地域に住む日本人にとって特別な場所になっています。イラプアトだけでなく、ケレタロ、サラマンカ、レオン、アグアスカリエンテスなど近隣の町からも日本人が訪れる、100%日本スーパーの「ひまわり」には、毎日お客さんが来店しています。ひまわりは単なる日本食材店ではなく、母国にいるかのような気分になるために、そこに足を運んでいます。この場所では、日本語の本を読んで時間を共有することで「グアナファトにある日本の一部」を楽しむことができます。 大岩さん一家はレオンに住んでいますが、週末にはひまわりを訪ねてイラプアトにやって来ます。「ここに来るのが大好きなんです」と大岩さんは話します。金曜日には仕事を終えた日本人たちがバスでひまわりにやって来てくつろいでいます。ひまわりでは、日本の匂い、味など日本の独特の雰囲気があり、200種類以上の輸入品を扱っているだけではなく、焼きたての日本のパン、お弁当、そして新鮮な食材をつかった日本料理も提供されています。また日本の野菜も売られていますが、どれもグアナファトで丹精込めて育てられたものです。興味深いことに、ひまわりのオーナーを始め、スタッフは全員メキシコ人なのです。パンはエリック・ロペスが焼き、レジはシルビア・カリストが担当、そしてオーナーはマルタとアントニオです。彼ら同様、ひまわりのスタッフ全員が、日本人が満足する上質なサービスを提供するために努力しています。