祝・10周年!

エウニセ・メンドサ編集ディレクター ココ・メキシコは、今まさに祝祭の ときにあります! この10年間、ココ・ メキシコは単なる雑誌以上の存在 であり続けました。それは2つの文 化の架け橋であり、2つの国を結ぶ 絆であり、メキシコ人と日本人をつ なぐ統合のメディアでした。  この10年の間、私たちはメキシ コと日本の関係を強める数々の物 語を伝えてきました。メキシ コにおける日本人の存在 感が高まるのを目の当た りにし、そして私たちのス ペースから両文化のより深 い相互理解に貢献できた ことは、この上ない特権で した。  私たちはこれからも、地 元企業と国際的な企業を結 びつけ、日本ファンの知的好 奇心を満たし、メキシコの産 業界が求める情報ニーズに応 え、そして両文化の価値観を 発信するた めに尽力し続けます。  ココ・メキシコが10周年を迎える今日、私 たちはメキシコ人と日本人の距離を縮め、コ ミュニケーションを生み出し、新たなチャン スを創出する「架け橋」であり続けるという 決意を新たにします。  読者の皆様、スポンサーの皆様、関係者、 そしてご友人の方々、この歴史の一部とな っていただき心より感謝申し上げます。最 高の未来が、これから待っていると確信して います! 

メキシコと日本の関係にお ける10の決定的な瞬間

メキシコと日本の関係における 10の決定的な瞬間 メキシコが日本と初めて接触し たのは17世紀初頭のことでし た。日本の海岸沖でのメキシコ 船の難船が、両国の住民を引き 合わせました。それ以来、メキシ コと日本は歴史のさまざまな局 面で巡り合ってきました。『ココ・ メキシコ』の創立10周年にあた り、メキシコと日本の友情の歴史 における10の決定的な瞬間を ご紹介します: 1609 1609年 – 最初の出会い:日本が「サン・フランシス コ号」の難破生存者を救助 1609年、サン・フラン シスコ号と呼ばれるメキシコ船が日本の海岸沖で 難破しました。日本の当局と住民はメキシコ人の 生存者を助け、乗組員376人のうち317人が命を救われました。 1614 1614年 – サムライ、支倉常長がアカプルコに到着 支倉常長が60人のサムライと130人の日本人商人とともに ヌエバ・エスパニャ(メキシコ)に到着しました。サムライの 使命は外交関係を樹立し、ヌエバ・エスパニャから日本への フランシスコ会修道士の派遣を実現することでした。合意 には至りませんでしたが、これが日本のサムライがメキシコの地を踏んだ初めての出来事となりました。 1874 1874年 – メキシコが金星観測のため日本へ渡る 1874年、メキシコ人の天文学者グループが金星を観測 するために日本へ渡航しました。彼らは地球と太陽の 距離の測定精度を向上させるための研究を実施しまし た。また、日本の経済、政治、社会情勢に関するレポー トも作成しました。…

ガスなしの暮らし: ポンティチェリ・タ ワーの新たな挑戦

レオンにおいて、不動産開発会社イノバ・グループ (Grupo Innova)が手がける「トーレ・ポンティチェ リ(Torre Ponticelli)」は、建物全体の稼働を太陽 光パネルで賄う、持続可能性に配慮した100%オール電化の住宅モデルを開発しました。 ラ・カンピーニャ・デル・ボスケに位置する本プ ロジェクトでは、より安全で効率的な生活環境を 追求し、ガスの使用を全面的に取りやめる決定を下しました。 このコンセプトにより、タワー内への燃料供給が排除され、ガス漏れや火災のリスクが低減され ます。さらに、室内の空気質の向上やカーボンフッ トプリントの削減にも寄与し、よりクリーンなエネ ルギー源への移行を促進します。 このオール電化への取り組みを支えるた め、299枚の太陽光発電パネル(共用部に135 枚、各住戸用に164枚)が設置されており、LED照 明、遮熱ガラス窓、駐車場照明、ドリップ散水シス テムに電力を供給しています。また、各住戸には 将来的な電気自動車(EV)用充電ステーションの 設置に対応した配管・配線設備があらかじめ用意 されています。 ポンティチェリは、家具付き住戸をはじめ、断 熱性・遮音性に優れた独立壁を採用しているほ か、住戸の枠を超えた快適な暮らしを提供する共 用施設を備えています。具体的には、スカイジム、 サウナ・スチームバス・ジャグジーを完備したスカ イスパ、コワーキングエリア、ミーティングルーム、 ペットパークなどが用意されています。 本プロジェクトの背景にある思想は、「持続可 能な住宅を選ぶことが、快適さやプライバシー、利 便性を犠牲にすることを意味してはならない」とい う点であり、ポンティチェリはそれらを一つのライ フスタイルとして融合させることに成功しました。

アルコ・スールとビセンテナリオ:レオン の柔軟な産業団地

近年、レオン市では産業活動が拡大してお り、企業のオペレーション、物流、セキュリテ ィ上のニーズに対応できるスペースへの需 要が高まっています。 こうした需要に応えるため、ウルサ・グループは、レオンの戦略的エリアに位置し、 多様な企業のプロファイルに応じた柔軟な インフラを備える2つの産業クラスター「ア ルコ・スール(Arco Sur)」と「ビセンテナリオ(Bicentenario)」を展開しています。 アルコ・スール:最も安全な産業団地 5年間の操業実績を持つ「アルコ・スール」は、最も安全な産業団地として評価さ れています。24時間365日の監視体制、出 入管理、警察監視システム(C4)に連動し た監視カメラ、そして高セキュリティ施設で 採用される、破損や不正侵入を防ぐ強固な コンクリート(PC板)の境界壁を備えていま す。現在、27社以上の企業がアルコ・スー ルで事業を展開しており、最大50社まで受 け入れ可能なキャパシティを有しています。 アルコ・スールは、レオン〜アグアスカリ エンテス高速道路、レオン〜ラゴス道路、 北環状道路などの主要幹線道路に直結し ているほか、中央卸売市場にも近く、物流、 保管、物品移動を伴う事業を展開する企業 のオペレーションをスムーズにします。 当開発地区は、小規模企業向けの貸倉 庫から大型プロジェクト用の産業工場棟や 敷地まで、さまざまな規模のスペースを用 意しています。さらに、大型貨物車両を利用 する企業に使い勝手の良い「複線搬入口」や「複数トラックバース」を備えた施設も整備 されています。 ビセンテナリオ:レオン北部エリアの産業 団地 保管エリア、オフィス、車両操車場を完備し た倉庫を統合した施設です。さらに、売買お よび賃貸が可能な、サービス業者やコンビ ニエンスストア向けの商業スペースも併設 されています。 本産業団地は、レオン市北部の市街地 内(ラゴス・デ・モレノ方面の出口近く)に位…

街を彩る芸術: セルバンティーノ国際芸術祭の起源

毎年10月になると、グアナフアトの街は一変 します。その石畳の通りや路地は、世界中から 集まるアーティストたちを迎える巨大な舞台へと 生まれ変わるのです。これが、メキシコおよびラ テンアメリカで最大級を誇る「セルバンティーノ 国際芸術祭」です。 すべての始まりは1953年、グアナフアト大学 の教授であったエンリケ・ルエラス氏が、街の通 りを演劇の舞台へと変えたことに遡ります。州都 の広場や小道で、ミゲル・デ・セルバンテス・サア ベドラの戯曲に基づく短編劇『幕間劇(ロス・エ ントレメセス)』が上演されました。このプロジェ クトの目的は、芸術を日常生活の中でも体験で きるものとして示し、市民の身近な存在にするこ とにありました。住民全体が一体となって制作に 関わったこの取り組みこそが、のちのセルバンティーノ国際芸術祭の前身となったのです。 やがてこれらの公演は高い評価を集めるよう になり、1972年に第1回「セルバンティーノ国際 芸術祭」が正式に開催されました。現在では、こ の分野において世界で最も重要な4大フェスティバルのひとつに数えられています。 芸術祭の名称は、スペイン文学とスペイン語に多大な功績を残した『ドン・キホーテ・デ・ラ・マ ンチャ』の著者、ミゲル・デ・セルバンテスへのオ マージュとして名付けられています。

ラ・サジェ大学バヒオ校、セルバンティーノ国際芸術祭との連携を強化

執筆:バルバラ・サピアイン、キツィア・トレス ラ・サジェ大学バヒオ校は10年以上にわたり、 セルバンティーノ国際芸術祭(FIC)と継続的かつ 緊密な関係を築いており、近年では「シルクイト・セ ルバンティーノ(巡回公演)」を通じてその協働関係 をさらに強固なものにしています。毎年、一般公開 される公演を招致することで、ラ・サジェのコミュニ ティや地域社会を国内外の多様な芸術シーンへと いざない、大学生活の一部である文化的な体験を 豊かなものにしています。そして今年は初めてFIC の公式ビジュアルアート・プログラムの一環として、 学内にある「マイ大学博物館(MiM)」での展覧会を 通じて同フェスティバルに参加します。 この関係を通じて、同大学は国内外の劇団や アーティストを受け入れ、多様な芸術表現と出会 う場を創出してきました。これらの体験は、芸術と 文化を、感受性や批判的思考、周囲の環境に対す るより深い理解を育むための手段として位置づけ る、同大学の「全人的教育モデル」の一部となって います。 今年は、アリステオ・モラ演出、マリア・セシリア・ グエルフィ脚本によるラ・コンパニア・オプシオナル の舞台『海岸への行き方はたくさんある(Existen muchas formas de llegar a la costa)』が、10月5 日(月)18時から大学の大講堂で上演されます。こ の作品は、ナヤリット州の沿岸部におけるマスツー リズムの影響を探り、開発や土地、そして多様な居 住のあり方について問いかけます。 さらに本学は、イシス・ジェペス氏のキュレーシ ョンのもと、78名のビジュアルクリエイターの作品 を集めたグループ展「トランシトス:溢れ出す大地 (Tránsitos. Una tierra…

東京・お台場で祝うメキシコ独立記念日: フィエスタ・メヒカーナ

メキシコで9月を迎えると、年間を通して も最大級のビッグイベントである「独立記念 日」に向け、どの町も一気に熱気が高まって いきます。街中が鮮やかな赤・緑・白のトリカ ラーに彩られ、各地で盛大な祝福の催しが 開催されるこの季節は、国全体が歓喜 と誇りに満ちあふれる特別な時期です。 そんな本国さながらの熱気を体感できるイベント「フィ エスタ・メヒカーナ」が、遠く 離れた日本でも2020年から 毎年、東京のお台場で開催 されています( https://www. fiestamexicana-tokyo.com/ )。 会場には、タコスやテキーラを はじめとする絶品グルメ屋台がずらり と並び、本場の味を堪能できます。さらに、 ステージで繰り広げられる情熱的なマリアッ チの演奏や民族舞踊の鑑賞、色彩豊かな民 芸品が揃うマーケットでのショッピングなど、 五感全体でメキシコ文化を満喫できる趣向 が盛りだくさんです。 まさに小さくて温かいメキシコそのもの の空間であり、ここには人々の思いや縁を引 き寄せる不思議な魅力が漂っています。実 際、筆者自身も2023年にこのイベントへ足 を運んだ際、かつてグアナファトで知り合っ た友人たちと10年以上の時を経て奇跡的に 再会するという出来事がありました。 国境を越え、メキシコと日本を結ぶ架け 橋として、人々と文化の温かい繋がりをいま も育み続けている注目の催しです。この時 期に東京を訪れる機会があれば、ぜひ足を 運んでみてください。

パン・デ・ムエル ト(死 者のパン)の由来とは?

パン・デ・ムエルトのレシピは、小麦粉、卵、イース トから始まります。これらの材料をこねた生地を 焼き上げ、仕上げにバターと砂糖を塗ってまぶし ます。こうして完成する美味しいパンは、死者の 日(Día de Muertos)の期間中、すべてのメキシコ人に親しまれ、楽しまれています。 しかし、この味わい深いパンは最初からこのように作られていたわけではありません。今から 400年以上前の先コロンブス期、メソアメリカの さまざまな文化においては、死に関連する儀式 が行われ、故人を称えるための象徴的な食べ物 が作られていました。当時作られていたのは、生 贄として捧げられた人の心をかたどった、アマラ ンサスと砂糖による人形であったと考えられてい ます。 一方、大西洋の向こう側では、スペイン人たち も独自の大切な伝統を持っていました。そのひと つが「パン・デ・アニマス(魂のパン)」と呼ばれる もので、メソアメリカ同様、故人を敬い、偲ぶ目的 で作られた食べ物でした。 スペイン人がメキシコの地に到着すると、双方 の伝統が出会い、時の経過とともに融合していき ました。こうして誕生したのが、混血文化の象徴 であり、私たちが今日目にしているパン・デ・ムエ ルトです。パンの丸い形状は髑髏どくろを、生地 で装飾された筋は骨を表しています。

死へ手紙を送り、死とと もに笑うメキシコ

バレリア・バラハス メキシコ人にとって「カラベリタ・リ テラリア(死の風刺詩)」は機知の 表れであり、死者の日における最 もユニークな伝統のひとつです。 副王領時代のメキシコにおいて不 満や鋭い批判を表現する手段とし て発展し、今日ではメキシコを代 表する象徴的な伝統文化となって います。 カラベリタ・リテラリア」とは、 実在の人物(存命・故人を問いま せん)と「死神」との遭遇をテーマ に描いた、韻を踏んだ短文の詩で す。職場の同僚や先生、友人、家 族、政治家、あるいは有名人など、 あらゆる人々がその主人公となり 得ます。 この伝統は19世紀のメキシコ の出版物を通じて確固たるものと なりました。表向きは「死」につい て語っているかのような詩句を用 いながら、ユーモアを交えて公人 の欠点を指摘し、特権階級に疑問 を投げかけ、政治的な不満を表明 することを可能にしたのです。

「サン・ミゲル・モ デル」とは何か?

長期的な計画、継続性、経済発展、そして生 活の質。これらは、マウリシオ・トレホ市長率 いる市当局が、サン・ミゲル・デ・アジェンデを 今後数十年間に向けて準備の整った都市、そ してグアナフアト州にとっても欠かせない重 要な拠点として確立するためのビジョンであ る。 今日のグアナフアト州は、 世界とつながる州となっていま す。国際的な投資、産業の発 展、そして日系企業の進出は同 州の経済に変革をもたらし、ビ ジネスの枠を超えた強固な関 係を築き上げました。 海外から 訪れた何千人もの人々が、ここ で働き、投資し、家族を育み、 新たな人生の歩みを進めてい ます。こうした現状は、都市に 対して「治安、行政サービス、イ ンフラ、モビリティ、機会、そし て高い生活の質」を提供すると いう新たな課題を突きつけてい ます。 このような状況下におい て、サン・ミゲル・デ・アジェンデ は特別な役割を果たしていま す。 国際的な評価、文化遺産、 文化、食文化、そして観光とい う本来の強みにより、同市は世 界に向けたグアナフアト州の代 表的な顔の一つとなりました。 こうした背景から誕生したのが 「サン・ミゲル・モデル」です。 これは、計画性、継続性、行政 能力、経済発展、独自のアイデ ンティティ、そして生活の質を 統合することを目指す施策のあ り方です。トレホ市長が民間企…