メキシコと日本の関係における 10の決定的な瞬間
メキシコが日本と初めて接触し たのは17世紀初頭のことでし た。日本の海岸沖でのメキシコ 船の難船が、両国の住民を引き 合わせました。それ以来、メキシ コと日本は歴史のさまざまな局 面で巡り合ってきました。『ココ・ メキシコ』の創立10周年にあた り、メキシコと日本の友情の歴史 における10の決定的な瞬間を ご紹介します:
1609
1609年 – 最初の出会い:日本が「サン・フランシス コ号」の難破生存者を救助 1609年、サン・フラン シスコ号と呼ばれるメキシコ船が日本の海岸沖で 難破しました。日本の当局と住民はメキシコ人の 生存者を助け、乗組員376人のうち317人が命を救われました。
1614
1614年 – サムライ、支倉常長がアカプルコに到着 支倉常長が60人のサムライと130人の日本人商人とともに ヌエバ・エスパニャ(メキシコ)に到着しました。サムライの 使命は外交関係を樹立し、ヌエバ・エスパニャから日本への フランシスコ会修道士の派遣を実現することでした。合意 には至りませんでしたが、これが日本のサムライがメキシコの地を踏んだ初めての出来事となりました。
1874
1874年 – メキシコが金星観測のため日本へ渡る 1874年、メキシコ人の天文学者グループが金星を観測 するために日本へ渡航しました。彼らは地球と太陽の 距離の測定精度を向上させるための研究を実施しまし た。また、日本の経済、政治、社会情勢に関するレポー トも作成しました。
1888
1888年 – 修好通商航海条約の調印 1888年11月30日、メキシコと日本は修好通商 航海条約に調印し、正式に外交関係を樹立しま した。
1897
1897年 – 日本人移民がコーヒー生産のためチアパスに到着 1897年、榎本武揚が率いる最初の日本人移民グループが、 コーヒー栽培を目的とした入植地を設立するためチアパス に到着しました。これ以降、両国の関係は単なる外交にとどまらず、家族やコミュニティの間で築かれ始めました。
1952
1952年 – 戦後の再会 第二次世界大戦により両国の関係は中断されま したが、1952年、メキシコは日本が国際社会へ復 帰することを支持した国のひとつとなり、メキシコと日本は公式に外交関係を再開しました。
1993
1993年 –『ドラゴンボール』がメキシコに上陸 1990年代になると、日本はもはや外交だけでなく、メ キシコのテレビ画面の中にも存在していました。『ドラ ゴンボール』は90年代にメキシコで放送が開始され、 瞬く間に国内で圧倒的な人気を誇る日本大衆文化の現象のひとつとなりました。
2004
2004年 – 日墨経済連携協定(EPA) 2004年9月17日、メキシコシティにて日墨経済連 携協定(AAEMJ)が署名されました。これは日本 がラテンアメリカの国と締結した初めての自由貿易協定でした。
2012
2012年 – 日本がグアナファトへ 2012年、自動車産業に関連する日本企業がグアナファト 州に進出し始めました。マツダ、ホンダ、トヨタは、メキシ コのバヒオ地域における日本人の存在感の主な原動力 となってきました。それ以来、同州における日本の存在 感は拡大し続け、現在ではグアナファト州に280社以上の日本企業が存在しています。
2016
2016年 – ココ・メキシコ 2016年、歴史、文化、ガストロノミー、アート、ビ ジネスを通じてメキシコと日本を近づけることに特化した雑誌『ココ・メキシコ』が誕生しました。 そして2026年、私たちは『ココ・メキシコ』の創立 10周年を祝うとともに、2つの文化の結びつきを祝福します。
